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00:00:00日本ではこれまで数多くの博覧会が開かれてきた世界の英知を結集し文化や産業の発展を促してきた博覧会
00:00:30その前身ともいえる催しの始まりは江戸時代の中期に遡る 全国から珍品騎手を集め人々に驚きや感動を与えた
00:00:46このような博覧会を初めて全国に呼びかけて開催したのが実はあの平賀玄内である
00:00:55平賀玄内といえばそうご存知
00:01:00ベレキテル
00:01:03静電気を発生させるまか不思議な機械で江戸中にセンセーションを巻き起こした
00:01:13玄内の活躍はまさに変幻自在
00:01:16ある時は作家となりベストセラーを連発
00:01:23またある時は画家となり日本初といわれる西洋画を手掛けた
00:01:30多彩な分野で才能を発揮するマルチクリエイターとして
00:01:35玄内はその名を江戸に轟かせた
00:01:39だが彼を常に困らせた問題があった
00:01:45夢は大きいが金が足りない
00:01:50実は玄内は藩を飛び出した浪人のみ
00:01:56事業の資金繰りに苦労しとんでもない額の借金まで抱えることに
00:02:02それでも自ら貧家銭内と名乗って笑い飛ばし
00:02:10江戸を殺草とかけていった
00:02:12スタジオには様々な分野の専門家が集結
00:02:18常人離れした現代の実情に迫る
00:02:22この指止まれのこのみんなが止まりたくなる指を作るのがうまい
00:02:28これが優秀なプロデューサーだと思うんですよね
00:02:31やってやるぞというやっぱりその覇気ですよね
00:02:34もうこれは
00:02:35ウェールの先頭を走るっていうか
00:02:37トンネルに穴を開ける先頭のドリルのような人ですよね
00:02:41人並み外れた才格で江戸を楽しませた平賀玄内
00:02:47変幻自在の活躍を可能にしたその秘密に迫る
00:03:17皆さんこんばんは
00:03:28こんばんは
00:03:29歴史のターニングポイントで英雄たちに迫られた選択
00:03:33その時彼らは何を考え何に悩んで一つの選択をしたのでしょうか
00:03:38そしてあなたならどうしますか
00:03:40今回の主人公はこちら
00:03:42平賀玄内です
00:03:45様々な分野で才能を発揮したマルチクリエイターとして知られていますが
00:03:51磯田さん今日どんなところに注目されますか
00:03:53今日はですね
00:03:54平賀玄内を通して近代とはちょっと違う江戸の地のあり方
00:03:59知性の地ですね
00:04:00近代の地っていうのは自然法則の発見とかね
00:04:03合理性とかそういうのいきますよね
00:04:05だけど江戸時代僕らが忘れてしまった地の姿はあるんです
00:04:09江戸の楽しくなければ技術じゃない
00:04:12驚きがなければ科学じゃないみたいな
00:04:14そのエレキテルなんかまさにそうですよね彼がやったのは
00:04:17地が非常にね芸術に近かったり
00:04:19エンターテイメントに近かった形で存在した時代が
00:04:22日本再生のヒントは好奇心に満ちた
00:04:25大江戸の知性
00:04:27玄内のような人物の生き方にあるかな
00:04:30みたいな話の
00:04:31英雄たちの選択
00:04:33やってみたいと思うんですよ
00:04:35はい
00:04:35それでは早速玄内の生涯を見ていきましょう
00:04:39現代の故郷
00:04:43香川県佐抜市市道
00:04:45瀬戸内海を望む静かな町である
00:04:49現代は強法13年頃
00:04:55高松藩の下級武士の家に生まれた
00:04:57後継ぎとして一家の期待を背負い
00:05:03幼少期から授学や感覚などの熱心な教育を受けていたという
00:05:09だが現代の関心は
00:05:15自然界の事物へと向かい
00:05:18植物や動物の観察に情熱を傾ける少年だった
00:05:22折市も時代はそんな玄内を後押しした
00:05:27世界的に博物学の世紀と呼ばれる18世紀
00:05:36日本でも動植物や鉱物を採集し研究する
00:05:44温蔵学という学問が盛んになっていた
00:05:47財政難にあえいだ幕府が
00:05:54新たな資源や産業を開発するために
00:05:58諸藩に強度の調査を命じたことも追い風となっていた
00:06:02そうした中
00:06:08現代がいた高松藩の藩主
00:06:10松平頼高は
00:06:12とりわけ本蔵学に力を入れたことで知られる
00:06:15いわゆる博物大名である
00:06:19高松城の堀に海水を引き入れ
00:06:25瀬戸内海に生息する魚を研究するなど
00:06:29範を挙げて本蔵学に取り組んだ
00:06:31頼高の鉱石として名高いのが
00:06:41シューリンズをはじめとする生物図鑑の製作であった
00:06:45シューリンズとは
00:06:51高松に生息する水性生物を肉質で描いたもの
00:06:55頼高が当時の技術の水位を集めて作らせた傑作だ
00:07:02例えばこのアジ
00:07:07金属箔を用いることで
00:07:10光が当たると表面の輝きが変化する
00:07:14アジを徹底的に観察し
00:07:18リアリティのある表現を追求したのだ
00:07:21実はこのシューリンズの製作に
00:07:3030代の平賀玄内が関わっていた
00:07:34玄内は若き日より本蔵学者として
00:07:38より高に使え
00:07:39その知見を発揮していたのだ
00:07:42シューリンズや玄内を研究してきた藤田昌一さん
00:07:48より高と玄内の間には
00:07:51身分を超えた信頼関係が生まれていたという
00:07:54研究という部分をやっている最中では
00:08:00その2人は全くそういう身分や階級を乗り越えて
00:08:05こう思うんじゃないか
00:08:06ここはこうなんじゃないかということを
00:08:08やっていたというふうに思われます
00:08:11より高は玄内に対しての
00:08:13そういうふうな学識や意見を
00:08:16ちゃんと述べてくれるっていうことに対しての
00:08:18いろんな感謝の気持ちもあっただろうし
00:08:21愛着もあったと思いますね
00:08:23玄内に知識の飛躍をもたらしたのが
00:08:2825歳の時の体験だった
00:08:31藩の許しを得て
00:08:36長崎へおよそ1年間
00:08:38留学することになったのだ
00:08:40当時長崎はいわゆる鎖国家の日本で
00:08:48唯一海外に開かれた防衛機構
00:08:50長崎を窓口として
00:08:55オランダや中国から輸入されたのは
00:08:58最先端の精密機械や学術書
00:09:01どれも玄内にとっては初めて見るものばかりだった
00:09:05この長崎での刺激的な体験が
00:09:14玄内の胸に一つの決心を宿らせる
00:09:17高松藩に戻ると
00:09:23玄内は妹向に家徳を譲り
00:09:26自ら老人となり藩を後にした
00:09:29もっと広い世界で身を立てたいと
00:09:33江戸に向かったのである
00:09:34玄内は道中で立ち寄った温泉で
00:09:43こんな句を読んでいる
00:09:45湯上がりや
00:09:51世界の夏の先走り
00:09:55この句に当時の玄内の感情の高ぶりが現れていると
00:10:03江戸文芸の研究家石上聡さんは言う
00:10:07自分自身が選ばれた存在だという高揚感
00:10:14自信を持ったと思います
00:10:16それは自信がなければ
00:10:19まず高松藩を抜け出そうとは思わなかったと思いますし
00:10:24やはり自分自身のこれだけの才能を生かす場は
00:10:29高松藩はどうしても少し狭すぎたかなという
00:10:34そんな気がいたします
00:10:37玄内が新天地江戸に着いたのは
00:10:42法歴6年30歳の時だった
00:10:44朝鮮人人の研究で名高い本造学者
00:10:50田村乱水の門下に入ると
00:10:52研究に没頭する日々が始まった
00:10:55卵水の下でまず手掛けたのが
00:11:02薬品へと呼ばれる展示会の開催だった
00:11:05本造学者たちが自身のコレクションを持ち合い
00:11:12品評や情報交換をする小規模な交流の場である
00:11:16やがて玄内自ら薬品への主催を務めるようになり
00:11:24田村乱水の門下で当格を表していく
00:11:27第3回となる薬品へでは
00:11:33独自のルートで入手したオランダの珍しい薬草など
00:11:3850種もの品々を披露し話題をさらったという
00:11:45玄内は新進気鋭の本造学者として
00:11:48その名を知られるようになっていった
00:11:55一方で江戸で活躍する玄内を
00:11:58故郷で惜しむ人物がいた
00:12:01高松藩主松平頼高である
00:12:06玄内を再び藩で召しかかえようと
00:12:13以前の4倍もの給料を提示し
00:12:15高松に呼び戻した
00:12:17そして玄内に藩の仕事を次々と任せたのである
00:12:25例えば藩の持つ薬草園の責任者に任命し
00:12:36植物の世話をさせた
00:12:38頼高は藩の外へ出るときも
00:12:45玄内を随行させ
00:12:46時には道中で植物や貝の採集を命じることもあった
00:12:52藩のお役目に傍殺される日々
00:13:02玄内は友人にその心情をこうとろしている
00:13:06忙しくて忙しくて
00:13:12一体自分が今何をしているのか
00:13:16分からなくなるほどだ
00:13:18むやみに忙しいだけで
00:13:22自分の研究がさっぱり前に進まない
00:13:26玄内はくすぶる思いを抱えていた
00:13:35今回も多彩なゲストの皆さんをお迎えしています
00:13:43どうぞよろしくお願いします
00:13:44まずは放送作家で
00:13:47大阪関西万博のテーマ事業プロデューサーの一人でもある
00:13:51小山君堂さんです
00:13:52よろしくお願いします
00:13:53マルチクリエイターという表現もありましたけど
00:13:56やはりいろんな企画を進めていくには
00:14:02一番大切なのは好奇心だと思うんですよね
00:14:05本当にそういう意味で好奇心が強い人だったんだろうなと思います
00:14:09それからやはり
00:14:11例えば僕の場合は新しい企画を考えるときに
00:14:16それは新しいか
00:14:17それは自分にとって楽しいか
00:14:20それは誰を幸せにするのかという
00:14:22この3つを常に心がけているんですけど
00:14:26きっと玄内は世の中の役に立つかどうかというのを
00:14:31意識していたんじゃないかなと
00:14:33やっぱり本造学というもの自体が
00:14:35社会の役に立つというところに根差していたと思うので
00:14:40きっと社会を良くしたいと思いが強かったんじゃないかなと思いますね
00:14:44続いては国文学者の石上聡さんです
00:14:49石上さんは主に作家としての玄内を研究されているんですよね
00:14:52玄内の作家としての側面というのはまだ広く知られておりませんしもっと評価が高くなってもいいと思っています
00:15:07本造学と文学そういったものの間にですねやはり垣根のない時代を彼らは生きていたんだと思われるんですね
00:15:21特に現代の場合は和漢の素養知識を重要に発揮したとても面白い文章を書きます
00:15:32本造学と文学というかつながるんですね
00:15:36そうですね今我々は理系と文系というふうにすぐ分けてしまいますけれども実はつながっていたと思います
00:15:44そして日本美術史がご専門の今橋莉子さんです
00:15:49先ほどシューリンズ出てきましたけれども現代はあのような図鑑の制作にも携わっていたんですね
00:15:57そうなんですねタイの絵ですとかあとちらっとクラゲとかが出ていたと思うんですが実はあれ紙に書いてあるだけでなくて一度全部切り抜いてありましてもう一度貼り付けるという大変手が込まれているんです
00:16:13しかもあの着彩に使う絵の具例えばのゴフンという白い絵の具があるんですがそのゴフンを盛り上げてその上にさらに彩色したり金箔を貼ったりする
00:16:25そうすると構成の具合によってまるであたかも本物の魚をそこの目の前にしているかのような迫力があるというそういうものを作らせるための発想これはもう現代以外ありえないじゃないでしょうか
00:16:43大阪万博の食のパビリオンやってるんですけどあれ見た時にこれうちで使いたいと思いました今やってもすごくいろんな人感動するんじゃないかなと今見ても感動的ですよね
00:16:58絶対妥協しないわけですよね本物に見せるために関してはでも予算足りないですね今うちでは多分あれ相当今再現すると高くなりますよねいやもうとてもじゃないですけどできないのではないでしょうか
00:17:13どれだけのその莫大な資金も用意してやったかということだと思いますね
00:17:18そのさも博物学恐るべしなんですよ
00:17:20そして現代の生涯にとって重要だったのが本蔵学に力を入れた藩主松平頼高の存在で松平頼高は当時本当先端を切っていた博物大名だったと思います
00:17:37より高は自分が家徳を継いだ時は大変な経済的な
00:17:45加工線をたどっている時でして何としてでもこれを回復させなくてはいけない
00:17:53そういう意味で自らが大名自らが本蔵学を学びその目で持ってやはり自分の右腕となるような有能な人物
00:18:04それが平賀県内がピタッとはまったというところでしょうか
00:18:10高松藩の上空から見るため池の風景は限界まで開発を進めた賢い農民たちともう日本の極めて園芸的な公衆薬農業の推移なんですよ
00:18:25溜め池があるっていうのは人間が水分のコントロールを田畑でできていることを意味するわけです
00:18:32だから水分を管理できるってことは栽培植物をお金に買える商品作物の商品型の農業ができるということですよね
00:18:43米一辺倒じゃなくて物産を持ってやっていくそれで豊かになるというお米でなく物産があの国を豊かにするという考えの範で僕らよく溜め池県とかって場合によっちゃからかいの原因にしたりするけどあれは歴史学者からしたらからかうどころか先進権の象徴なんですよ
00:19:05確かに現代は頼高に気に入られてましたね最初が微録ですので一人縁切り前三国10年後にはもう4倍4人縁でそこにですね銀10枚つまり本級と同じくらいのボーナスが出てる
00:19:33それだけよくやったと頼高は現代を認めていたと思います
00:19:41待遇はかなりよかったそれでも低いのよ年収200万円時代を生きるみたいなそんな状態でボーナスもらえたら400万になるからようやく人しなみな暮らしできるかどうかだから待遇もうちょっと良くしてよサヌキハン小さすぎるしみたいな気持ちはあるんじゃないですかさあ故郷でくすぶる玄内はある行動に出ます
00:20:08高松藩に出戻って1年半玄内は意を決して一通の願い出をしたためた
00:20:23恐れながらおいとまを頂戴したいどうかお慈悲をいただけると
00:20:32千万ありがたき幸せである
00:20:36玄内は再び藩に辞職を願い出たのである
00:20:43だが頼高は返答をしぶった
00:20:49本造学者として期待をかけた玄内を手放したくなかったのである
00:21:02辞職が聞き入れられるまで7ヶ月を要した
00:21:09その上一つの条件が課された
00:21:15それは藩を出るならば今後高松藩以外での士官は一切認めないというもの
00:21:25いわゆる士官おかまいである
00:21:32しかしそれでも玄内は辞職し再び浪人となる道を選んだのだ
00:21:4334歳で江戸に舞い戻った玄内
00:21:50自らの命運を切り開こうと挑んだのが
00:21:53これまで小規模で行われていた薬品絵を全国規模で開催することだった
00:22:01この試みを実現するため
00:22:03玄内は2つの画期的なアイデアを実行した
00:22:09一つは参加者の身分を取り払ったこと
00:22:13それまでは本造学者の仲間内で行っていた薬品絵を
00:22:18全ての愛好家へと門戸を開いたのである
00:22:26これは玄内がその試みを全国に知らせるために作った引き札
00:22:32いわばチラシ
00:22:36ここに思いの竹をぶつけ人々に呼びかけた
00:22:43我が日本は神の国と言うべき
00:22:47参戦は終礼で資源は外国と比べても恵まれている
00:22:56それなのに日本は国産の資源を使わず
00:23:01中国などからの迫来品をあてにしている
00:23:06当時日本は朝鮮人人をはじめ
00:23:10多くの薬や資源を外国からの高い輸入品に頼っていた
00:23:14玄内はそれらに代わる資源の発見が国のためになると呼びかけたのだ
00:23:23日本にはまだ埋もれている産物が多い
00:23:30それを発見できれば
00:23:32迫来品を待つ必要もなくなるだろう
00:23:36ぜひとも全国の同志同行諸君の所蔵品を送ってほしい
00:23:49全国から出品を募るための方法も発案した
00:23:53それが玄内2つ目のアイデア
00:23:56諸国産物取り継ぎ所の設置である
00:24:02全国25箇所に取り継ぎ所を設置
00:24:07出品者は最寄りの取り継ぎ所に物品を託すだけで
00:24:12それらは江戸、京、大阪の受取所に送られた
00:24:18そこから物品が江戸の玄内のもとに配送される仕組みだ
00:24:27画期的だったのは送料は受け手である玄内側が負担するということ
00:24:33今でいう着払い宅配便である
00:24:40半年という期間をかけながら着々と準備が進められていった
00:24:47そして迎えた法暦12年4月10日
00:24:56湯島を舞台に玄内プロデュースの博覧会がついに開幕
00:25:04会場には多種多様な物品が壮観に並んだ
00:25:10江戸から送られてきたのは鳥かぶと
00:25:19琉球産のジャスミンに
00:25:25はたまた南蛮から来たヤモリまで
00:25:291,300もの物品が一堂に会したのである
00:25:381日限りの開催ではあったが会は大盛況に終わった
00:25:46それだけではない
00:25:48玄内は成果を形に残そうと博覧会の図録を作成する
00:25:54全6巻の物類品質である
00:26:00藩元は将来館
00:26:02あの高松藩主松平頼高を彷彿とさせる名だった
00:26:07この物類品質の中で
00:26:13玄内は出品物を水の部、土の部、穀物の部など
00:26:1913のカテゴリーに分類
00:26:231,300の出品物から玄内が厳選した360品を掲載した
00:26:32こちらはサトウキビ
00:26:37その品種や産地、加工すると砂糖になるという特徴まで
00:26:42詳細に記されている
00:26:48さらに砂糖の作り方を図解するなど
00:26:52実用に役立たせるための工夫までこなされていた
00:26:57一方、物類品質の中にはこんなものも
00:27:06その名もダリュウ
00:27:09南蛮から持ち込まれた生物だというのだが
00:27:14この生き物、生態も何もわからない
00:27:19玄内が記した解説にはこうある
00:27:22船に近づき形を表せば
00:27:27水中より踊り入れて人を喰らう
00:27:31形は極めて大きいが音なく近づく
00:27:36南蛮人、皆恐れなす
00:27:41好奇心をかきたてる語り口で読者を引きつけたのだった
00:27:47実物を見ることができなかったり
00:27:53そういったものを知りたいなという
00:27:56知的な欲求を持った人たちが
00:27:59その展覧会が終わったあとも
00:28:02それを確認できるという状態を作り出したということは
00:28:06非常に重要なポイントだと思います
00:28:09共感の波を作り出していくことが
00:28:12非常にうまかったんじゃないかなと
00:28:16この物類品質は江戸だけでなく上方でも半を重ね玄内は日本で最も影響力を持つ本蔵学者の一人となったのである。
00:28:35博覧会を成功させた玄内ですが小山さんこの玄内のプロデューサー能力というのはどういうふうにご覧になりました?
00:28:43素晴らしいと思います。優秀なプロデューサーは何が優れているかというとこの指止まれのこのみんなが止まりたくなる指を作るのがうまい。これが優秀なプロデューサーだと思うんですよね。この博覧会を成功させるためにはたくさんいろんなものを集めなきゃいけない。それを自ら集めるんじゃなくて。
00:29:04同志諸君の所蔵品を送ってほしいと同志っていう言葉を使って集めたわけですよね。そのまず出品者の共感を得て集めたものを外に発信するというこのまず手順がすばらしいなと思いましたね。
00:29:23共感を集めるのがうまかったんだと思いますそこにやはりその着払いシステムそれも画期的だったんじゃないですかねあれも何か現代的ですよねこの時代にあったんだと思って僕現代すごいなと思ったのは着払いで送ってくれっつってそれだとやっぱり不安じゃないですか知らないところへそうですねそうすると各国に取り継ぎ書を置いてそれなら知ってるじゃないですか
00:29:53うまいこと考えるものだと思いますねこの仕組みがねちょっとこう空前絶望の大規模な薬品絵ができたわけですねうんうん誰もが出したくなるようなその気持ちを誘うような多分それはチラシだったんだろうとまず思うんですね
00:30:23わっと驚きを感じて自分これに乗りたいと思うような物産家たちも多分いたでしょうしまあでも一方でその事前準備にかかったお金も相当だったんじゃないかな僕あのまず不思議なのがなぜ1日しかやらなかったのかっていうそうなんですよねあれ何でなんですかね保存が難しかったというのがあると思います
00:30:531回目からずっと1日ですのでねそこだけは踏襲してるんですよねちょっと不思議ですけどなるほどそしてこの現代はですね薬品への成果を物類品質といういわばカタログにまとめるんですよね
00:31:14現代でも何かイベントが開かれると小冊子なりカタログなりが作られますがそれの先駆けのようなものを実行したということだと思うんですね非常に内容的に練られていましてしかもあんまり時を犯してこれがもう出版されているので成果を早く世に還元したいということだと思いますしそういうことを最初から
00:31:43もうやってやるぞというやっぱりその覇気ですよねもうこれは先ほど僕なぜ1日しかやらなかったんだろうと言いましたけどもしかするとこれ作りたかったのかなとこれを作るための方法として博覧会というイベントをやって集めてここに集めましたよという事実を作った上でこれ作ったのかなとなるほど面白いよくあのね
00:32:12ライブ1回やった後にそれをDVD化して売るとかこっちで儲けるみたいなのあると思うんですけどそれに近かったのかなと今ちょっと思いました品質の鑑定それから図録の正確さなおかつ産地の名機朝鮮人参とサトウキビに関しては実際の栽培の手引きにもなってるんですね
00:32:42バラエティーに富んだ本蔵書というのは当時やはり大変珍しくって図録をもう最初から構想した上での開催というのは確かにあったかもしれませんね
00:32:59そして玄内はですね物流品質と出版した版元の名前を将来観とするんですよね
00:33:06一説にはこれは玄内が歯科版として出すためにつけているものではないかという説と松平頼高が何らかに資金援助していた証しをそっとそういう形で示したものじゃないかということも言われているんですが謎でまだ調査をしていかなくちゃいけないところですね
00:33:28人たらしというのもプロデューサーの一つの裁量だと思うのでより高とつながっておくことによっていざという時に何かお金もらえるんじゃないかとか
00:33:40これで完全に縁を切るのではなく一応遠回しに離れてはいますがあなたのことを思っていますよというメッセージもあったのかなとかって思いました
00:33:52さあプロデューサーとして博覧会を精巧に導いた玄内ですが大きな選択を迫られることになります
00:34:00玄内の故郷 シドにある平賀玄内記念館
00:34:07ここに玄内が大切に集めたものが展示されている
00:34:13こちらが玄内が収集していた洋書の一覧となっております
00:34:17見ていただいたらわかるんですけども
00:34:22蚊の絵なんていうのはものすごく精密に毛の一本一本まで描かれてまして
00:34:28顕微鏡で覗いたんじゃないかというぐらい精密に描かれている
00:34:32長崎を通じて輸入されたオランダやドイツの洋書
00:34:39これらを現代は次々と購入していた
00:34:43その一つが著名な植物学者ドドネウスによる草木誌
00:34:58715もの図版を用い薬にする製法や効能の解説までがこと細かに記されている
00:35:07日本の本造学者たちにとってバイブルのような植物図鑑だった
00:35:13こうした洋書に没頭する中で
00:35:21玄内には大きな目標が生まれていた
00:35:23それは西洋の図鑑に匹敵する日本の博物図鑑を
00:35:29自らの手で作るというものだった
00:35:32だがその夢の実現には大きな壁があった
00:35:40費用の問題である
00:35:48洋書の購入費も去ることながら
00:35:50調査にかかる旅費や出版費
00:35:53とにかく金が足りない
00:36:01そもそも江戸時代の学者たちは
00:36:03幕府や藩に所属して研究をするのが一般的だった
00:36:08玄内が江戸で親しくしていた杉田玄白も
00:36:14オバマ藩の意思として法録を得ながら
00:36:17蘭学を研究していた
00:36:19一方玄内は浪人の身の上
00:36:26しかも士官お構いによって
00:36:29他藩に仕えることは許されていなかった
00:36:32ところが高松藩主松平よりたかは
00:36:40玄内の辞職許可書にある一言を付け加えていた
00:36:44辞めていく者にも
00:36:48いつも戸は開け放っておいてやる
00:36:52いつでも高松藩に戻ってこいという
00:36:58よりたかのメッセージだった
00:37:00今後の身の振り方に迷う玄内
00:37:07その心の内に分け入ってみよう
00:37:10浪人の身となっても
00:37:23一人で本蔵学の道で生きていけると踏んでいたが
00:37:27どうやら見通しが甘かったようだ
00:37:32江戸で名を挙げることはできたが
00:37:36いつも金が足りない
00:37:39要所も好きに買えぬようで
00:37:42何が本蔵学者だ
00:37:45そうだ
00:37:50本蔵学に理解があるよりたか様なら
00:37:54日本の博物図鑑を作るために
00:37:58惜しみない支援をしてくださるはず
00:38:01ここは恥をしのんで国に戻り
00:38:05よりたか様に頭を下げて
00:38:08再び召し抱えてもらうしか
00:38:09研究を続ける道はない
00:38:12しかし
00:38:23再び藩のお抱えとなれば
00:38:26自分の夢ばかりを追うわけにはいかなくなる
00:38:30藩の仕事に追われ
00:38:34忙しいだけの毎日に逆戻りではないか
00:38:38それによりたか様に気に入られすぎるのも問題だ
00:38:47周りの者たちの妬みや厄かみが
00:38:51以前よりさらにひどくなるのは明らか
00:38:54やはりここは江戸に残ろう
00:38:59広い世界で自由に生きるために
00:39:05故郷を離れたんじゃないか
00:39:06私の知識や才能を使って稼ぐ手が
00:39:11きっと見つかるはずだ
00:39:13これは原内が製作した日本初の歩数計
00:39:21これを使って歩いた距離を測ったと伝わる
00:39:25内部の振り子が揺れ
00:39:2940キロまでの距離を測ることができた
00:39:32当時原内はこうした発明の才能も発揮していた
00:39:37何心配はいらない
00:39:43私のことだ
00:39:44金儲けの方法など
00:39:46きっといくらだって思いつけるだろうさ
00:39:49故郷で再びおかかえ本造学者となるか
00:39:56あるいは江戸で浪人のまま活路を見出すか
00:40:01原内は人生の岐路に立たされていた
00:40:05平賀玄内は選択に迫られます
00:40:13選択1は高松藩に再び士官する
00:40:18選択2は士官せず浪人のままでいる
00:40:22もし皆さんが平賀玄内の立場だったら
00:40:25どちらを選択しますか
00:40:27まずは小山さんからお願いします
00:40:29はい選択1高松藩に再び士官する
00:40:36なぜですか
00:40:37これいやまずやめていくものにも
00:40:41いつもとは明け放っておいてやるとまで言われたら
00:40:45これ絶対戻った方が
00:40:49今度は自分のいろいろな
00:40:51もうこのお使いはしませんとか
00:40:54これをやらせてほしいという
00:40:56こう交渉ができるんじゃないかなと
00:40:58で再び士官するんですけど
00:41:01きっとそこでまたチャンスを見つけて
00:41:03やめるんじゃないかなと思うんですけど
00:41:05またやめて
00:41:05石上さんどちらを選択されますか
00:41:08はい
00:41:08私は2ですね
00:41:12頼高という人は
00:41:16高松藩の記録によりますと
00:41:19かなり木骨のあった人のようで
00:41:23怒ってたと思います
00:41:25現代としてはまず帰りにくかった
00:41:31実はお構いには2つ抜け道があるんですね
00:41:371つは頼高がもうお構いやめるよと
00:41:42あのそういう通奪を出せば解けます
00:41:45もう一つえより高がですね
00:41:48亡くなった時にお構い自体の効力が失われるという
00:41:54そういう可能性あるんです
00:41:55つかず離れずで
00:41:57何とか高松藩の情報を得ながらタイミングを探ってたんじゃないのかなという気がします
00:42:06続いて今橋さんどちらを選択されますか
00:42:10選択1の高松藩に再び歯官するというのを選びます
00:42:15気持ち的には自由人のままでいたいんですけれども
00:42:20よらば退治の陰ではないんですが
00:42:23生き抜くために頼れるものは頼った方がいいという考え方があってもいいのではないかというふうに思います
00:42:32より高は自分がまだ何者でもなかった時から
00:42:37自分の才能を買ってくれて取り立ててくれてきているわけなので
00:42:42そうした仕組んであれば
00:42:45これから先も自分が目指す博物学や本造学の研究を理解し
00:42:51助けてくれるのではと
00:42:53ちょっと甘い気味なんですけれども
00:42:56考えたいかなというふうに思います
00:42:59さあ選択分かれましたけれども
00:43:02どちらを選択されますか
00:43:03私は選択2
00:43:04歯官せず浪人のままでいようと思います
00:43:09その心は
00:43:10その心は
00:43:11殿様みたいに
00:43:13親ガチャで恵まれて生まれてきた人の中には
00:43:16天才の才能を自分勝手に浪費する人がいます
00:43:20全員ではありません
00:43:21みんなのために生かしてくれる人もいますけど
00:43:24多くは才能を自分の所有物にしようとします
00:43:29これはもう逃げた方がいいと私は思います
00:43:33なぜかというと江戸に出てこられなくなる可能性があります
00:43:38もう出られなくなる
00:43:39浪人でいれば高浜津藩より
00:43:43国高や発言力の藩
00:43:44特に紀州藩とかね
00:43:46松平にも睨みが利きそうな藩からお誘いが来るかもしれない
00:43:50育ててくれた藩ではあるんだけど
00:43:52玄内のすごい才能を思うと
00:43:55あの怖い殿様のもとには戻らないほうがいいんじゃないかと思いますね
00:43:59はい
00:44:00さあ果たして玄内はどちらを選択したのでしょうか
00:44:05続きをご覧ください
00:44:06博覧会開催の翌年
00:44:10一冊の本が江戸の話題をさらった
00:44:17作者の名は天竺浪人とある
00:44:22実はこれ平賀玄内のペンネーム
00:44:26執筆で一山当てようと
00:44:32玄内は浪人のまま作家デビューしたのだ
00:44:36タイトルは寝なし草
00:44:40実在の人物や事件を題材に
00:44:44根も葉もない話と銘打って
00:44:46下作いわゆる娯楽小説に仕立てたのである
00:44:53地獄の閻魔大王が
00:44:55女方の人気歌舞伎役者
00:44:58二代目瀬川菊野城に一目惚れ
00:45:01菊野城を殺して地獄に連れて来いと
00:45:05河童の刺客が放たれる
00:45:07ところがこの河童まで
00:45:10菊野城に惚れ込んでしまう
00:45:13ことを知ったのが
00:45:15同じく江戸の人気女方
00:45:18二代目荻野八重斬
00:45:20河童と菊野城の恋を成就させるため
00:45:23身代わりとなって川に身に
00:45:25身を投げ
00:45:26閻魔大王にその身を捧げたというお話
00:45:31実はこの物語
00:45:34小木野八重斬が川で溺れ死んだという
00:45:38実際に起こった事故の裏側を
00:45:40フィクションで描いたものだ
00:45:42さらに閻魔大王の身勝手さに振り回される
00:45:48河童や伊勢海老たちの姿は
00:45:50当時の政治を連想させるものだった
00:45:54ゴシップや風刺が効いたこの小説
00:46:01こんなものは初めて読んだと江戸っ子たちは大喜び
00:46:05値なし草はベストセラーとなったのである
00:46:09作家として名前が売れると
00:46:14原内の元には次々と新しい仕事が舞い込んできた
00:46:18例えばこちらは歯磨き粉のキャッチコピー
00:46:25効くか効かぬかは知らないが
00:46:28たかが歯を磨くだけのもの
00:46:30たとえ効果がなくとも害にはならず
00:46:33売る気があるのか
00:46:36人を食ったような原内節がかえって評判に
00:46:39続いて鉱木と銀を用いた高級な櫛をプロデュース
00:46:47有名なオイランを広告棟に起用することで
00:46:53たちまち話題となった
00:46:55そして原内一番のヒット作といえば
00:47:01ご存知エレキテルである
00:47:04壊れた医療器具とされたエレキテルを
00:47:11長崎で手に入れた原内は
00:47:13その修理復元に成功
00:47:15摩擦を利用して内部に静電気をため
00:47:20それを放ち火花を飛ばすことができた
00:47:23原内がエレキテルを見せ物にすると
00:47:33観客は大盛り上がりした
00:47:35後に原内は江戸で浪人を貫いた
00:47:42自らの生き様をこう振り返っている
00:47:45浪人の心安さは
00:47:50治療という飯粒が足の裏にひっつかず
00:47:55行きたいところを駆け巡り
00:47:58自分の体を自由にできるだけで
00:48:02儲けなり
00:48:03だが当時はまだ印税も特許もない時代
00:48:12小説やエレキテルでその場限りの儲けは得ても
00:48:16まとまった資金を集めることは難しかった
00:48:19そして一発逆転を狙ったある事業をきっかけに
00:48:28原内は転落への道を歩むことになる
00:48:32埼玉県秩父市中津川
00:48:35ここで原内は鉱山の採掘に乗り出したのである
00:48:43ところがいくら掘れども鉱脈には当たらない
00:48:49結局8年もの歳月を無駄にし
00:48:542億円とも言われる借金だけが残された
00:48:57江戸で原内をもてはやしていた人々は
00:49:05一点山市
00:49:07つまりペテン市と嘲笑うようになった
00:49:10やがて精神が不安定になっていった原内は
00:49:17取り返しのつかない過ちを犯してしまう
00:49:20殺傷事件を起こし投獄されたのである
00:49:27自分が人を殺傷して
00:49:36最終的に投獄されるなんてことは
00:49:40彼自身も夢にも思っていなかったんじゃないかなと
00:49:43でもひょっとしたら焦りというか
00:49:47本当に夢を達成できるのかなという
00:49:50いろんな意味での焦りがあったんじゃないかなと
00:49:54いうふうにも思います
00:49:55原内はそのまま獄中で生涯を終えた
00:50:0352歳だった
00:50:05友人の過ぎた原白は
00:50:11常識で測ることができなかったその才能を惜しみ
00:50:15墓にこんな言葉を刻んだ
00:50:17ああ非常の人よ
00:50:24非常なることを好み
00:50:26その行いも非常だった
00:50:29なんぞ
00:50:31死すらも非常であったか
00:50:34抜きんでた才能を持ちながら
00:50:40志半ばで早すぎる生涯を駆け抜けていった
00:50:44平賀玄内
00:50:46その玄内が故郷に残したおき土産がある
00:50:56ここは今からおよそ220年前
00:51:02文化元年に創業した青棟城
00:51:06江戸時代から続く伝統の製法で
00:51:12香川県の名家が作られている
00:51:15和三盆と呼ばれる砂糖菓子である
00:51:22実はこの和三盆の誕生の裏に
00:51:25玄内の姿があった
00:51:27玄内があの物類品質に詳細に記した
00:51:35砂糖菓子の研究
00:51:37これが高松藩での砂糖の産業化に
00:51:42役立てられていたのだ
00:51:43平賀玄内さんは偉大すぎて
00:51:47いろんなことされていますので
00:51:49砂糖作りに関しては
00:51:53一般の方はあまり知らないかも分かりませんね
00:51:56ただ砂糖作る人は
00:51:59当然関わったことをずっと知ってますので
00:52:02三盆糖作るときに
00:52:05いろんなお世話になったなと思っています
00:52:08非常の人平賀玄内
00:52:14彼は今でも故郷の人々に愛され語り継がれている
00:52:19玄内は浪人のまま江戸に残ることを選び
00:52:28それを機にマルチに活動の幅を広げました
00:52:31加山さんものすごいいろんなことをしてましたけど
00:52:34どれに注目しますか
00:52:35いや僕まず櫛を作ってたってことがびっくりしましたね
00:52:40あれどういうきっかけで櫛に行き着いたのか分からないんですけど
00:52:44なんかその目の前にある偶然を
00:52:49自分の企画であるとかプロジェクトに変える才能のある人だったのかなと
00:52:55セレンディピティという言葉がありますけど
00:52:58セレンディピティを大切にしてた人なのかなと思いましたね
00:53:02上が分かるんじゃないですか
00:53:04どっかいろんなところでお酒一杯やったり
00:53:08みんなで交流してるうちに
00:53:10何を欲しがってるかっていうか
00:53:12お土産に買っていこうとするものは何かとか
00:53:15あと歯磨き粉のキャッチコピーもとっても面白かった
00:53:19もう開き直り広告ですよね
00:53:21世の中の人が絶対そんなこと言わないだろうということを
00:53:26考えてるのが面白いですよね
00:53:28こうあえてちょっと天の弱的な匂いを感じますけど
00:53:32江戸の頃って風刺がとても受けてたと思うので
00:53:36これある意味風刺が入ってるコピーなんじゃないですかね
00:53:39でも寝らし草がヒットしなければ
00:53:43きっと僕は戻ってたと思うんですけど
00:53:45あれヒットしたからきっと良かったんですよね
00:53:49玄内自身は値なしぐさ3000分売れたと言ってまして相当な普及だったと思います
00:53:58でやはり彼の文体のスピード感というんですか例えば寝なしぐさと同時に発売された風流指導権伝というそういった小説があるんですがそこでカゴを呼ぶんですね
00:54:17つまりそのタクシーを呼ぶんですけどカゴ据える乗るかき破るサンゴだけなんですでもそこでカゴがやってきてで止まってそこに乗り込んで出発してしまうということを一気にですね動詞を3つ並べて表現してしまうんですね
00:54:38本当にそのスピード感というのは江戸の人々がですね現代の下作を喝采を持って迎えた大きな理由だったのかなというふうに思っていますし彼のその文学の達成とそして影響力これはもっと評価されていいんじゃないかなと思います。
00:55:02でもねいくらやっても儲けの口になってないのはよくわかって下作者って3000本売れても部数に対して今みたいに儲かる話じゃほとんどないまずない最初にお礼もらって終わりなことが多いし
00:55:15ベストヘラーになったらいっぱいもらえるってことじゃないんだ
00:55:17確かに知的所有権のない時代なんですが現代エレキテルの製法を盗んで逃げた職人をですね訴えてるんです存在しない権利ですら設定して主張をしていける人だったで残念ながらその訴訟の翌年に現代亡くなってしまうので結果は分かんないんですね。
00:55:46ひょっとすると知的所有権主張の先駆者でもあるんですよなすごいですねいろんなことの先頭をね走っていった現代だったということこの時もしこの訴訟が長引いて幕府が法令をやってたら日本は知的所有権法制の先進国だったかもしれないのでこのほかにもですね現代は多彩な活動に手を広げますその一つがこちらです。
00:56:10この作品なんですが平賀源内が描いた西洋画として唯一というふうに言われているもので素材がですね布地で油絵の具と思われるもので描いてありまして面白いのはですねこの上半身このバストアップですね。
00:56:29西洋画ではのごく普通にある構図の取り取り方ですけれども当時の日本ではのこういうふうに人間の肖像を捉えるというのはあのまだなくてですね。
00:56:41ですからこれはの後の時代にあの来ると北川宇都丸なんかがの企業への中で大首絵というはいあの女性の半身像を描き始めるんですけれども後の大首絵の源流が現内にもしかしたらあるかなというまだの確定的なことは何も言えないのですがそういうものもちょっと思わせるものがあったりしますね。
00:57:06きっと世の中をあっと言わせることが好きな人だったんじゃないかなとこれはつまりエンターティナーなんですよね学者としてのエンターティナーだったのかなとそれを自分の知識を持って社会をあっと言わせるあるいは人々を幸せにしたいという願いが強かったんじゃないかなとただ最後の高山開発はちょっと自分の欲の方が先に来てるような。
00:57:35それでお金を儲けてまた何か違うものも作りたかったのかなという気もしますねでも何かそういうふうに失敗しても何かめげないというかそうですね頑張る姿勢というのをちょっと感じましたよね。
00:58:05既存のものの延長じゃないことがいけるんですよ飛ぶっていうのかな延長線上じゃないことができるんですよ要するにまあ今言えば ai の裏が欠けるような人工知能の裏が欠けるような
00:58:17飛んだ発想ができる人なんですよこう飛んだ発想ができる人をいかにこの才能を生かせるか 手帳にも愛妻家は妻じゃなくてまあ妻でもいいんですけど
00:58:29才能の才能の才は愛するって書いて愛妻家たらんと思ってるんですけど だけどもう一つは喝采社会が才能をしなさないという
00:58:39十分に使って生かす喝采社会っていう 喝采っていうことをこの僕は現代を見ていると思いましたね
00:58:49皆さん今日はありがとうございました。
00:59:19オリンピック連覇への高い壁もがき続ける日々に密着した世界ふれあい街歩きフィリピン第三の都市ダバオ南国の太陽に負けないたくましい笑顔と出会いますNHKBS22日夜9時
00:59:42BS世界のドキュメンタリーカナダの映画好きが作った森の映画館コロナ禍を乗り越え営業再開したとき何が起きたのか22日夜
00:59:59Sundar 冬栋
01:00:10冬栋

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