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トランスクリプション
00:00私、柴さんとはですね、3度しかお目にかかっておりません。
00:16決定的な形でお目にかかりましたのは、1995年の5月、
00:23NHKのテレビで柴さんと対談をする仕事を通してでございました。
00:301995年というのは大変な年でございました。
00:37まず1月に阪神淡路の大震災がございました。
00:42それから3月になりまして、オウム心理教によるサリン事件という凶悪な犯罪が発生いたしました。
00:50その大地震とサリン大事件の後を受けて、5月に日本の国家、歴史、文化、
01:01そしてとりわけ宗教について柴さんと対談をする、そういう機会に恵まれたわけでございます。
01:11大阪のあるホテルの一室でその対談は行われたのでありますけれども、
01:24そうですね、3時間半ほど休みなく立て続けに話をした、
01:31その経験が昨日のことのように思い起こされます。
01:38対談中の柴さんというのは非常に怖かった。
01:42あの大きな目をギョロリと向いて、こちらの顔をひたと見つめてお話をされる。
01:53全身に冷やせをかいて私、3時間半を過ごしたことを今覚えております。
01:59その時の柴さんの話の中で私が非常に印象に強く残っております。
02:062つございます。
02:071つは、宗教というのはですね、人間を飼いならすための文化装置であるというご意見でございました。
02:20人間というのは放っておくと、止めどもなく野生化する。
02:25そのままの状態にして、自然的な状態の中に置いておくと、人間というのは野蛮化するというんですね。
02:30そういう野蛮化する、野生化する人間というものをコントロールする。
02:39要するに柴さんの言葉によりますと、飼いならすための文化的な装置が宗教だと。
02:46人間が人間であるためには宗教は絶対にそういう意味で必要である。
02:51こういうお考えのようでございました。
02:52しかし、この飼いならし宗教論というのはですね、柴さんの小説の中にしばしば出てくるテーマなんですね。
03:02年来のお考えをそういう形で主張されたんだろうというふうに思います。
03:08もう一つは、日本人の最近におけるモラルの大敗といった問題でございました。
03:19いつの間に日本人はここまでダメになってしまったのかという嘆きの声でございました。
03:27少なくとも日露戦争までの日本人は健全だったと、こう言うんですね。
03:33それ以後、徐々に日本人はおかしくなったのではないか。
03:39なぜ、どういう理由に基づいておかしくなったのか。
03:43これがひょっとすると、柴文学の根本的なテーマだったかもしれません。
03:51以上、2つの問題が、この3時間半の長時間にわたる対談におきまして、
03:57私が深く心に刻まれた柴さんの問題提起でございました。
04:07しかし、その対談が終わりました後の柴さんというのは非常に優しい方でございました。
04:14雑談、あるいは座談の名手でございます。
04:18いろんなお話をご存知。
04:21次から次へと糸を積むように、座談の場で出される。
04:26これが楽しくて楽しくて仕方がありませんでしたね。
04:29今日はそのエピソード、どこにも柴さんがお書きになっていないエピソードを、
04:35一つだけ最初に申し上げてみたいと思います。
04:39対談が終わりまして、そのホテルの地下屋にありますステーキ屋に参りました。
04:45その食事の合間にですね、こういう話をされたんですね。
04:53以前、自分は王城の護衛者という小説を書いた。
04:58これは藍津藩松平片森の生涯を描いた小説ですね。
05:05悲劇の松平片森、藍津藩主。
05:08最後の将軍、徳川義信に準じて、京都四五職の職を全うする。
05:16俗軍の汚名を進んできて、幕府に忠誠を誓った最後の藩主ですよね。
05:26その小説を書き終えたときに、
05:29高松宮秘殿下から宮中へ食事のお招きをいただいたんだと、こう言われる。
05:38どうして自分が高松宮秘殿下に呼ばれるのか、わからなかった。
05:45しかし、せっかくの御招待でありますので、それをお受けしてまいりました。
05:51ところが、そこに秩父宮秘殿下も同席しておられた。
05:55食事が始まりまして、問わず語りにそのとき、
06:02王城の護衛者という作品をお書きいただきまして、どうもありがとうございました。
06:07私どもはあちらの方ですから、とこうお話になった。
06:13あちらの方ですから、という言葉を聞いて柴さんは、はっとわかった。
06:19あちらの方とは、合図の方という意味ですね。
06:23簡単な言葉に深いご自分たちの気持ちを込めて、そう言われた。
06:31高松宮秘殿下は、最後の将軍、徳川義信のお孫さんにあたる。
06:39それから、秩父宮秘殿下は、昭和の初めに中米大使をやられました、
06:45松平常雄の長女にあたる方なんですね。
06:52松平家はもちろん松平片森の子孫であります。
06:58母親戦争は、今日そういう形で生きているんですよ。
07:02ニコッと笑われたんですね、柴さんは。
07:07その話っぷりがまた何とも言えない。
07:12あの優しい眼差しで、そういう話をするときの柴さんの、
07:17あの面影が私は忘れることはできません。
07:19対談をしたときの、柴さんの恐ろしい、怖いような眼差し。
07:28雑談をするときの優しい眼差し。
07:31それはやっぱり柴良太郎における二つの側面、
07:35人間的な側面だろうと思いますね。
07:39先ほどもちょっと申しましたけれども、
07:42あのオウム真理教の事件が起こりまして、
07:46果たして日本人に宗教心はあるのか。
07:49モラルはあるのか。
07:52いう反省がいろんな層から言われ始めました。
07:59その余震のようなものが、
08:01今日までまだ続いているのではないでしょうか。
08:04我々にモラルはあるのか。
08:07性、患、罪、いろんな分野における日本人の腐敗、
08:12大敗の状況は、毎日のように辛抱をにぎわしている。
08:16私はそういう状況の中におりまして、
08:21ただ一つ心の中に灯火のようなものが灯り続けていたことを、
08:27告白しないわけにはいかない。
08:31それは、いや、そうは言っても、
08:35例えば柴良太郎の文学が読まれている限り、
08:38日本人の心の中にモラルへの関心は生き続けている。
08:45こう思ってきたのであります。
08:47柴良太郎だけではない。
08:49もう一人挙げたいと思いますが、
08:52それが山本周五郎であります。
08:54山本周五郎や柴良太郎の文学が、
08:57日本人のいろんな層の方々に読まれ続けている限り、
09:03日本人にモラルは生き続けているんだ。
09:07そう思うんですね。
09:10その中にひょっとすると、
09:11現代日本人のモラルの基盤、
09:14宗教心というものに対する熱い心が横たわっているのではないか。
09:18そういうふうに私は思っております。
09:24それでは、例えば柴良太郎の文学におけるモラル、
09:30どういう言葉で表現されているでしょうか。
09:35例えば、勇気。
09:37柴さんの文学を読み返すために、
09:39私は勇気をかきたてられます。
09:43落ち込んだとき、励ましを与えてくれます。
09:48あの儀教心はどうです。
09:51柴文学のすべてに、
09:53儀を見てせざれば言うなきなりの、
09:55あの儀教心が脈打っている。
09:59そして、そこに展開するいろんな人々の生活ぶり、
10:04その中から日常の生活規範のようなものを
10:07学び取ることができる。
10:11柴さんの文学の中からただ一策を選べ、
10:15言われると困るんですね。
10:17何を選んでもいい。
10:20しかし私はあえて、
10:22例えば、
10:23故郷を防止がたく候という短編小説を
10:26選びたいと思うんですね。
10:28ふるさとは忘れがたく候という小説であります。
10:33これは小説のような、
10:35表伝のような、
10:38文明論のような、
10:39いわゆる柴良太郎式の文学でございます。
10:43鹿児島県にですね、
10:47苗代川というところがある。
10:52ここは、
10:53実は、
10:55朝鮮から日本に到来した、
10:57その子孫の方々が住んでいるところであります。
11:01370年前、
11:04秀吉が朝鮮を攻め入りました。
11:08そこで捕虜にした朝鮮人の方々を日本に連れてまいりまして、
11:14この鹿児島県の苗代川というところに土着させて、
11:19今日に至ったわけであります。
11:21それを受け入れたのは鹿児島藩でありまして、
11:24鹿児島藩は偉い。
11:26その朝鮮の方々を、
11:28氏族の扱いを厚く保護したんですね。
11:33その苗代川に行きますと、
11:34今日、
11:35鎮氏とか牧氏とか金氏という、
11:38朝鮮人の名前を持っている人々を、
11:41ずっと住みついておられるわけです。
11:43その方々は朝鮮貴族のプライドを持って、
11:47今日まで生き続けて、
11:48それを可能にしたのが鹿児島藩の保護政策であります。
11:54その中に陳樹館という方が置いている。
12:01陶器をずっとお作りになっている。
12:04朝鮮陶磁器というのは、
12:06これは世界に勘たる芸術品でありますけれども、
12:09その技法を今日我が国に伝えた、
12:13その最も重要な家系のお一人でありまして、
12:18その第14代陳樹館氏と柴さんがたまたま知り合うんですね。
12:25柴さんが出かけていって、
12:27その陳樹館氏の一生の聞き書きを取って、
12:31それを素材に小説にしたのは、
12:34この故郷を防止がたくそうろう。
12:38この陳樹館氏が代々作り続けてきた、
12:44その陶磁器のことを白薩摩と言うんですね。
12:48白い時期であります。
12:50薩摩で作っておりますから、白薩摩。
12:52この方が戦後になりまして、韓国に招聖される。
12:58韓国と日本の美術家たち、美術批評家たちが肝入りになりまして、
13:03陳樹館さんを韓国にお招きをする。
13:05各地を訪ね歩き、
13:07最後にソウルで、ソウル大学の学生たちを前に講演会を開く。
13:15淡々とご自分のお仕事を述べ、
13:18日本における陳樹館氏の歴史を述べて、
13:22一番最後にこういうことを陳樹館さんが言われるんですね。
13:27韓国の学生たちを前にして。
13:29あなた方は、
13:32日本の朝鮮支配時代の36年間を批評される。
13:37批判される。
13:39日本の圧勢を非難される。
13:42それは当然だ。
13:44誠に当然なことと思う。
13:47しかし、あなた方が36年の圧勢を言うならば、
13:53自分は370年間を言わなければならない。
13:58こう言ってこの講演を結ばれたんです。
14:02そうしましたら、一瞬会場はシーンとなった。
14:07自分は大変なことを言ったのかと思って棒立ちになった。
14:12すると静かに会場の隅々から拍手が沸き起こって。
14:18それが次第に大きな拍手の波になって。
14:21歌を歌って。
14:22韓国の歌の大合唱になって陳樹寛さんに花向けの歓迎の意思を示した。
14:32その大合唱の中で陳樹寛さんは感動のあまり、体を震わせて立ち尽くしていた。
14:40こういう文章で終わるんですね。
14:44故郷、坊字がたく走路。
14:48柴さんの熱い心が伝わってくるような小説であります。
14:54柴さんの国際的認識、そういうものが伝わってくるようなお話ではありませんか。
15:01私はこの作品を柴さんの一つ選べと言われたら挙げることにしている。
15:15それから坂の上の雲。
15:17これは柴さんの代表作でありますけれども。
15:21最初に出てくるのは正岡式であり、日露戦争の英雄になった秋山兄弟であります。
15:27陸軍の秋山よしふると、海軍の秋山さねゆきであります。
15:33この正岡式秋山兄弟、下級武士の出身ではありますけれども、
15:40御一心以降、貧窮に苦しんでいる家の子どもたちであります。
15:46その貧乏から身を起こして、奉公の世界に入っていく。
15:51奉公とは公に身を捧げるという意味です。
15:55やがて社会のため、共同体のため、家のために我が身を捨てて尽くす。
16:06藩のために我が身を殺す。
16:09国家のために脱藩して献身する。
16:13そういう物語が渦を巻くように、柴さんの作品には出てまいります。
16:22それはまた山本修吾郎の世界でもあった。
16:24これからの日本の問題はおそらく、その奉公、しばしばデッチ暴行とか、
16:34都邸暴行というふうに、封建的な倫理にまつわる言葉として、
16:41なんとなし、忌避されてきた言葉でありますけれども、それはそうだよね。
16:45公のために事故を犠牲にして献身するというのが奉公の本意である。
16:52坂本龍馬は藩を捨てて国のために奉公をしている。
16:56問題はこれからの日本人が果たして、
17:00国という枠組みを離れて世界のために奉公できるかどうか。
17:05そこまで来ているわけですね。
17:06貧乏から脱却するために奉公をして身を立て、
17:13やがて国のために働く。
17:16そういうテーマがですね、山本修吾郎、
17:21あるいは柴良太郎の作品に定留している。
17:26それはやはり日本人の倫理というものを考える場合、
17:30重要なテーマではないか、私は思いますね。
17:36ただ問題は、そういう倫理観というものを、
17:44これは柴さんは道徳的緊張という言葉を使って表現しておりますけれども、
17:50そういう倫理観といいますか、道徳的緊張というものを、
17:54日本人はある時点で忘れ始める。
17:58これが柴さんの認識であります。
18:00そのある時点と申しますのは1934年代。
18:03日中戦争から太平洋戦争に至る、
18:07あの国家主義の時代のことであります。
18:13あの辺から日本人は、
18:15錯誤の道をさまよい始める。
18:18なぜか。
18:20これが柴文学のその後の主要なテーマになっていくわけですね。
18:23この坂の上の雲の中で、私が非常に心を打たれる場面がございます。
18:33それをちょっと位置に申し上げて、話を進めていってみたいと思うんでありますが、
18:38一つはですね、
18:41やはり日露戦争の場面、
18:45二百三高地を攻めている時の、
18:48野木真理介の描き方であります。
18:54参謀長が、
18:55伊地地光介。
18:56この参謀長の言うことをそのまま聞いて、
19:01作戦を実行するわけでありますが、
19:03これがことごとく失敗する。
19:05二百三高地は。
19:07全然落ちない。
19:08我が軍の犠牲者ばかりが毎日のように増えていく。
19:13そういう三たる負け戦を柴さんは描きながら、
19:18最後にですね、
19:21野木将軍と伊地参謀長の無能ぶりは、
19:24これはもう大変なものだということを、
19:29口を極めて批判されている。
19:33しかしそれにもかかわらず、
19:35第三軍の兵士たちは、
19:39温潤に死んでいったと彼が書いている。
19:43無名日本人たちのこの温潤さというのは、
19:48これは比類のないものであると書いているわけですよ。
19:52これは柴さんの言葉です。
19:55指揮官がいかに無能であっても、
19:57日本人は黙って死についていた。
20:00その死についていく、
20:01その態度を温潤という言葉で表現した。
20:05これは胸を疲れますね。
20:08どういう意味で柴さんは一体、
20:09その温潤な日本人という言葉をお使いになったのか。
20:14封建的な倫理で、
20:15お上の言うことにそのままいい、
20:17だくだくと従う人間として表現されているのか。
20:20決してそうではない。
20:20その温潤さの背景には、
20:24例えば徳川300年の封建体制というものがあったかもしれないけれども、
20:29それにもかかわらず、
20:30国家のために命を捨てていく、
20:33無名の日本人たちの温潤さというものに脱帽しているんですよ。
20:38その柴さんの熱い心が伝わってくるような文章です。
20:42もう一つ、
20:48この二北三高地をなかなか落としきれないでいるときの
20:52戦場の描写の中で、
20:54こういうことも柴さんは言っているんですね。
20:59あの無残な戦いを兵士たちに強制させたものは、
21:04近代国家の暴力性だ、国家の恐ろしさだということを言いながらですね。
21:13しかし、当時の明治国家というのは、
21:16当時の日本人の庶民にとってはですね、
21:20集団的感動の時代を意味したんだ。
21:24集団的感動という言葉もすごい言葉ですね。
21:30今日の若者たちにはとても伝えることができないような言葉かもしれない。
21:35明治国家というもの。
21:38そのために命を捨てる日本人たちは感動していたんだ。
21:45柴さんの日露戦争に対する考え方の基本にはですね、
21:48あれは祖国防衛戦争だという認識があるわけですよ。
21:51祖国を守るために戦い、そして死ななければならない。
21:59しかしどうです。
22:0019世紀の世界史を眺める。
22:04国家の暴力性が至るところに広がっていった時代であります。
22:10特に西洋列強によるアジアの征服。
22:14こういう状況ですね。
22:16そういう状況下において祖国をどうしたら防衛できるか。
22:19それが日露戦争のギリギリの戦略目標だった。
22:24こういう認識があるわけでありますが、もちろんあんまりそういう理屈は表面に出さない。
22:30日本人は、その祖国防衛の戦いのために感動的な献身の世界に入っていったんだということですね。
22:39国家はそういう意味では強烈な宗教的対象だったとまで言っていますよ。
22:47明治国家というのは当時の日本人にとっては宗教的な対象だ。
22:50私は最近よく同僚たち、あるいは若い学生たちと話をするんです。
23:00明治の人間は、ひょっとすると国のために命を捨てることができた人間たち。
23:05今日の我々は、国のために犠牲になることができるか。
23:10国のために死ねるか。
23:14ほとんど否定的な答えが返ってくる。
23:16私もそうです。
23:18国のために死ねない。
23:20この落差は大きいですよね。
23:23国のために死ねるという思想と、
23:25国のために死ねないという思想と。
23:28そういう問題も、芝文学は我々に突きつけている。
23:37そこで、再び坂の上の雲でありますけれども、
23:43私はこの作品のもう一つの重要なモティーフというかテーマはですね、
23:48捕虜の問題だと思います。
23:51捕虜に関する問題が繰り返し繰り返しこの作品には出てまいります。
23:55その捕虜に対する扱いの中から、
24:00芝さんは明治の人間たち、明治の軍人たちの生きる態度というものを引き出そうとして、
24:09最初のところに日清戦争の問題が出てまいりました。
24:14これは三島半島の先端のところに異界へという領行がありますけれども、
24:20この異界への戦いというのが日清戦争の明和を分けるんですね。
24:25これで日本は成功することによって自治戦争に勝つわけであります。
24:29当時その異界へを守っていた艦隊が北洋艦隊、
24:36中国最強の艦隊であります。
24:38その指揮をしていたのが、当時の中国の明帝徳といわれた帝女将であります。
24:46この帝女将の北洋艦隊を攻めるのが、
24:49伊藤助行中将率いるところの日本の艦隊でございまして、
24:55この九州作戦が見事に走行して、
24:58北洋艦隊の中核部分がほとんど殲滅されるわけであります。
25:02最後に伊藤助行中将がその向こうの帝女将に対して降伏を勧告する。
25:12その降伏を勧告するときの伊藤中将の工場が面白いんですね。
25:18勧告上でありますけれども。
25:19汝、日本に亡命せよ。
25:24我ら日本の武士道の作法に従って優遇戦。
25:31こういう条件を出すんですね。
25:33日本に亡命しなさい。
25:35武士道の精神を持って熱くお迎えいたします。
25:40それに対して帝女将はこれを帝長に断って、
25:45毒を仰いで自殺をするんですね。
25:47これが日清戦争終幕の重要なエピソードでございます。
25:58柴様はこの伊藤助行中将の捕虜に対する態度、
26:02敵軍の将に対する態度、
26:05愛責を込めて描いている。
26:08やがて日露戦争にこの小説は入ってまいりますけれども、
26:13その日曜戦争の段階で、
26:18法天海戦をはじめといたしまして、
26:21203高地、両順港の攻防作戦の中でもそうでありますけれども、
26:26大量の捕虜が発生いたします。
26:30この時の捕虜の扱いを詳しく述べていって、
26:35柴様は最終的にこういうことを言われるんですね。
26:37当時の日本の陸海軍の捕虜に対する態度というのは、
26:42前代未聞のものだった。
26:45戦時国際法を忠実に順法している。
26:50いちいち条文に照らして、
26:52誤りのないことを期していた。
26:56これは本当に前代未聞なんだということを、
26:58柴様は言っておりますね。
26:59日曜戦争には外国の陸海軍部官が、
27:06艦船のために参加しているんですね。
27:09日本軍がどういう態度で捕虜を扱っているか、
27:12どういう作戦で戦争をしているかというのを、
27:14つぶさに現場で見ているわけですよ。
27:18そういう点もあって、
27:19滅多なことができなかったということもあるかもしれませんけれども、
27:22そういう外国の部官たちのその後の証言も、
27:26この取り上げながらですね、
27:29当時の日本の陸海軍の公平な国際法を順法する精神というものが、
27:35いかに優れたものであったかということを浮き彫りにしております。
27:41これは最後、当時のアメリカの大統領でありまして、
27:44ルーズベルトまで感動せしめた日本陸海軍の行為だったわけであります。
27:51それから、野木マレスケが203高地を攻略いたしまして、
27:59203高地の山の上から旅順港にいるロシアの艦隊を砲撃をいたしました。
28:08多くの捕虜がそれによって発生するわけでありますが、
28:11その捕虜が重傷を受けて収容されたとき、
28:16軍医はですね、直ちにこれは重傷を負っているから、
28:22捕虜として収容することなく、
28:25本国にすぐ送還させようという命令を出している。
28:29その事例を挙げておりますね。
28:32捕虜として日本国に連れてくるのではなくして、
28:37即刻ロシアに返して、そういう国際法の条文があったようであります。
28:48とうとう数え上げていきますとですね、
28:51次から次へと捕虜に関わる場面が、
28:54この魚の雲という作品の中には出てくるんですね。
29:00柴さんというのはこの作品を書くときに、
29:02捕虜の問題を重要な課題として選んで、
29:04心ひそかに選んでおられたのではないかというふうに、
29:09私は思うんであります。
29:12東郷平八郎は、
29:14ロシア艦隊の総司令官、ロジェスト・ウェンスキーが
29:17佐世保に連行されて病院に入っている。
29:22その場面を見舞う。
29:24これはよく知られたお話でありますけれども、
29:27その問題にはもちろん触れておられる。
29:29先ほど私は、
29:31故郷を防止がたく騒ろうという、
29:34柴さんの短編をご紹介いたしましたけれども、
29:37あれは370年間日本の捕虜になった、
29:40珍珠漢詩の話ですよ。
29:44それが姿形を変えて、
29:45魚絵の雲という作品の中に、
29:47やはり現れていく。
29:49ただごとではない。
29:51柴、文学における捕虜というテーマは。
29:53なぜこんなに柴様を捕虜にこだわったのか。
29:59これは私の推定でありますけれども、
30:03ひょっとすると、
30:05その原因の一つは、
30:06長谷川真の影響によるのではないか。
30:10そう思うんですね。
30:13長谷川真、
30:15日本の大衆作家ですね。
30:19まぶたの母、
30:20一本型な土俵入り、
30:23靴掛け時二郎、
30:25何度読んでもいいですね。
30:28あの忍者の世界、
30:31それはヒューマリズムの日本的な形態といってもいい。
30:36あの深い忍者が何度読んでも、
30:38我々に涙を流させる。
30:42その大衆作家、長谷川真の代表作の一つにですね、
30:47日本を捕虜しという作品があるんです。
30:50これはあまり世間に知られていないんですよね。
30:53戦争中、
30:54昭和17、18年頃から、
30:56彼は資料を集めて書き始めるのであります。
31:01それこそ日本の古代、
31:02水耕天皇、
31:07聖徳太子の時代から、
31:10日本の捕虜に対する日本人の様々な物語、
31:15エピソードというものを、
31:17文献を集めて収集し、
31:19整理し、
31:21分析し、
31:22解説を加えて、
31:23日露戦争までですよ。
31:25千枚になんなんとする、
31:29大長編ドキュメント。
31:31これが、
31:32長谷川真の日本捕虜師という作品なんですね。
31:35戦争中から、
31:36そういう仕事に取り組んでいた。
31:37まぶたの母の作者がですよ。
31:42これを戦後になりまして、
31:44長谷川真は大衆文芸という、
31:46あまり多くの人々の目に触れないような、
31:50同人雑誌的な雑誌に発表し続けるわけです。
31:55それで、
31:56昭和25年戦後、
31:59しばらくしましてから、
32:00それをまとめて本にされるわけでありますけれど、
32:03ほとんど、
32:05日本でこの作品に注目する人はいなかった。
32:07しかしさすが、
32:11菊地勘だけは別だった。
32:13菊地勘賞をもらっているんですね、これは。
32:18ところが、
32:19菊地勘賞をもらった、
32:20そういう受賞式の問題が、
32:23話題が新聞に出るだけで、
32:24多くの日本人はまたすっと忘れていった。
32:27長谷川真の仕事。
32:30最後に長谷川さんが、
32:32この日本捕虜師をまとめた、
32:34その序文だったか、
32:36後書きの中にこういうことを書いているんですね。
32:39日本人の皆様方、
32:41我々の歴史の中には、
32:43日本人の中の日本人と言われるような、
32:46美しい、
32:48そういう日本人がいたということを覚えてください。
32:51考えてください。
32:54そう書いている、長谷川真は。
32:57感動的な作品ですよ。
33:01私は、
33:03この長谷川真の
33:04日本捕虜師という作品を、
33:08柴様念頭に置いておられたと思う。
33:12坂の上の雲を読んでいる限り、
33:14長谷川真の名前は出てまいりません。
33:16しかし、少なくとも日清、日露に関わる、
33:21日本軍と遭遇した捕虜たちのありさま、
33:24その捕虜たちをどのように扱ったか、
33:27という問題について、
33:29柴さんの取り上げたテーマ、
33:31その多くが、
33:33この長谷川真の作品の中に出てくるんです。
33:38柴さんは、柴さんなりに、
33:40新しい意味づけをしておられます。
33:44新しい解釈をし、
33:45小説化しておられるわけでありますけれども、
33:50日本人の魂を、
33:52現在の日本人に伝えるために、
33:55長谷川真の志を、
33:57今日の日本人に伝えたい。
33:59そういう気持ちが、
34:00柴さんにはあったと思う。
34:01もう一つ申し上げたいのはですね、
34:08やっぱり県の人の問題ですね。
34:11柴さんが好きだった県の達人、
34:15私は二人いると思います。
34:18そのうちの一人が道のくの人間なんですね。
34:21千葉周作です。
34:24千葉周作というのは、
34:25宮城県栗原郡出身であります。
34:29江戸に出て、
34:30たちまち三千人の門邸を要するようになる。
34:35上野の小玉川池に道場をつくる。
34:38小玉川池の先生ってならすんですよね、
34:42千葉周作。
34:45その千葉周作の前半生を小説にしたのが、
34:48柴さんの北斗の人であります。
34:55道のくの県だ。
34:56北進一刀流を編み出した人ですね。
35:04いや、編み出したのではない。
35:05北進一刀流をあの時代に輝かせた、
35:10県の達人と言ってみる。
35:12もう一つ県の達人としての千葉周作の特色がですね、
35:20彼が非常に合理主義者だった。
35:22千葉周作の県というのは合理の県で、無駄のない。
35:26非常にその短い時間で県の奥義を教える。
35:34そういうことができた人のようであります。
35:37柴さんという人が非常に合理主義の方でございました。
35:42お話をしているとよくわかるんですね。
35:44非合理とか神秘というものを非常に嫌う方でございました。
35:48県の世界につきましても、やっぱり合理の県を編み出した千葉周作に非常に深い親近感を抱かれたということは、実によくわかる。
35:59その北斗の人というのはですね、千葉周作が宮城県から身を起こして諸国を修行して歩いて、
36:06江戸に行って、渡山川池の道場として成功するまでの世界を描いているのであります。
36:12それで終わっている。
36:13後半生の千葉周作は描いていない。
36:17この作品は。
36:18ところがですね、その一番最後の章にですね、不思議な物語が一つ付け加えられている。
36:28それは最晩年の千葉周作の姿なの。
36:31略譜という章があるのであります。
36:34後半生千葉周作がこういうことをして、あいことをして、最後に死ぬ。
36:38それまでの人生の節目をですね、年符的な表現で処理してしまった。
36:49その一番最後に千葉周作の一夜憲法と称するお話が出てくる。
36:57この一夜憲法の話を持ち出したくて、そういうちょっとイレギュラーな形式をこの小説の中で撮ったのかなと私は思っているのであります。
37:07その一夜憲法というのはこういう話なんですね。
37:12もう最晩年の千葉周作でありますから、寝床で病気になって寝床に寝ている。
37:16そこにある一人の人が飛び込んでくる。
37:20承認風の坊主。
37:22当時の武家の屋敷には盆参の姿をして、さまざまな雑劇をこなしていたそういう人物がいたわけであります。
37:31その一人が飛び込んでくるんですね。
37:33自分は今、主化、使えている主人の命で、大金を持ってあるところに向かった。
37:43ところが、途中で辻切り強盗にあった。
37:50自分はですね、翌日、あなたにきれいに殺されてやるから、今日一日だけ猶予を欲しいということを言うわけであります。
38:02それをその辻切り強盗が認めて、それで自分はここにやってきた。
38:05ようやく主人の依頼した仕事をやり遂げたので、明日は心置きなくその辻切り強盗に斬られたい。
38:17きれいに斬られるための作法を教えてくれ。
38:22こう千葉周作に頼むんですね。
38:26本当にあった話かどうかはよくわかりませんけれども。
38:29それに対して千葉周作は起き上がってこういうことを教える。
38:34お前様はその浪人の前に立って、足を半歩開いて、背筋を伸ばして、目をつぶって、
38:47肩を大乗段に構えろ。
38:50そして呼吸を整えろ。
38:52目を閉じてじっとしていろ。
38:54そのうち体のどこかに冷たいものが走る。
38:59それは切られるということですね。
39:01冷たいものが走ったときに、大乗段に振りかぶった大刀をそのまま下に下ろせ。
39:06切り下ろせ。
39:08お前はきれいに殺されているよ。
39:12こう教えられる。
39:13ありがとうございましたと言って、そのお坊主はですね、約束したその場所に行くわけであります。
39:20辻切りがそこに来て待って。
39:22言われた通り、千葉周作に言われた通り、大刀を振り上げて呼吸を整えた目を閉じる。
39:29その姿を見た辻切りが、こいつの剣は相当いける。
39:33と思って、スタゴラ逃げてしまったという話であります。
39:38そういう話が千葉周作の一夜憲法。
39:42たった一晩で剣の奥義を伝えたというお話として伝えられている。
39:47そこで、柴田さんが書いているのでありますけれども、
39:52千葉周作にとって剣というのはですね、瞬間の技である。
39:58ということを言って、こういうふうに言っております。
40:02それ、剣は瞬速、心、気、力の一致であると書いている。
40:09瞬速、瞬間の気合だ、剣というのはそれで決まるというわけですね。
40:15心というのは心、気は気力の気、力は力ですね。
40:19心、気、力、これが一致したときに、
40:23剣のその凄さといいますか、剣の威力というものが発揮される。
40:30それをやっぱり千葉周作は大得していたんだ。
40:35千葉周作というのは合理の剣を使う剣の達人でしたけれども、
40:39同時に心、気力の一致という点で、
40:43神秘的な人間の持っている力というものも、
40:46やっぱりちゃんと考えていた。
40:48そういう達人でもあったということを、
40:52ここで柴さんは言おうとしているのではないかと思いますね。
40:56道の国の剣の達人、千葉周作に対する柴さんのこだわりのようなもの、
41:04関心のありどころがその辺にあるのではないかというふうに私は思うんですよ。
41:09北斗の人というのは、なかなかそういう点でも味わいのある作品ではないかと思いますね。
41:13もう一人、もう一人柴さんが好きな県の達人がいた。
41:23肘方俊蔵であります。
41:26新選組の副長、肘方俊蔵であります。
41:29どうも第二次世界大戦後、新選組の評判悪い。
41:35否定的な評価が世間を覆っていた。
41:36そういう時に柴さんは、完全として萌えよけんという小説を書く。
41:43これは肘方俊蔵の一章小説にしたものですね。
41:48あのね、柴さんが一番自信を持っていた作品ですよ、これ。
41:52自信を持ち、しかも好きだということを何度も書いておられますね。
41:58萌えよけん。
41:59まあ、新選組の総長が近藤勲、肘方俊蔵は副長であります。
42:11この中に登場する肘方俊蔵というのは、抜群の組織者ですね。
42:17彼の組織感覚というのはすごい。
42:19その水も漏らさぬ、その集団的な行動を取らせる。
42:25そういう点でやっぱり肘方俊蔵が必要であった。
42:29この新選組がご承知のように、大政奉還、王政復興を経て、
42:36やがて散り散りになって壊滅する。
42:41その歴史の全工程がこの作品の背景にあるわけであります。
42:49最初に近藤勲と対談をしている場面が非常に印象深く描かれているところがあります。
42:58それはですね、新選組の運命が次第次第に傾きかけていく段階であります。
43:06そういう中で近藤勲と話し合っているのでありますが、
43:10新選組は状況がいかに悪化していっても、最後の最後まで幕府のために献身するんだということから言うわけですね。
43:25いかに将軍家が不利な状況に追い込まれても、幕府が負け戦を続けていこうと、
43:31自分たちはやっぱり幕府のために命を捨てるべきである。
43:37それが新選組の説義というものだということを彼は強調している。
43:43我々の生き方は説義だ。説義を全うすることであるということを言っておりますね。
43:49そういうエピソードを重ねながら、実にゆったりと土方俊三の一生を描いていくわけでありますが、
44:01やがて戸場伏見の戦いを経て、新選組はですね、大阪の天保山沖から船に乗って逃げ去るわけでありますが、
44:12途中で有力者はどんどん江戸で降りて、やがて仙台によって仙台湾でも船から降りていく人間が、
44:23最後の最後まで北海道にたどり着く、函館にたどり着いたのが榎本舞踊を中心とする人物たちになります。
44:34その中に新選組ではたった一人、肘方俊三だけが乗っている。
44:38途中、近藤勇は江戸で船を降りて江戸で残殺されておりますし、
44:47それからその途中、沖田草氏も血格が悪化して死んでしまう。
44:51もう新選組生き残りのリーダーとしては、肘方俊三ただ一人であります。
44:59これが五稜郭に踏みとどまって、幕府、幕軍の立場で官軍に抵抗する。
45:06それがこの小説の最後の山場になるわけであります。
45:13五稜郭が官軍の砲撃によって落ち、焼き始め、
45:19もう全党に望みが失われたときに、
45:23肘方俊三は馬に乗ってただ一人、敵陣させて進んでいく。
45:30彼につきそうものわずか50人とこの小説には書いてありますね。
45:35方園暖雨の中を馬に乗って、肘方俊三がしずしずと進んでいく。
45:42やがて途中で斬り殺されて馬から落ちて死んでしまう。
45:49その最後の場面が実に印象深く、この作品の最後に描かれております。
45:55この戦争は結局、榎本軍の総敗北で終わるわけでありまして、
46:06全員降伏するわけですね。
46:09総裁、副総裁、陸海軍の武行たち、全員降伏しております。
46:15死んだのは、戦死をしたのは肘方俊三、ただ一人。
46:20彼は初めから戦死を覚悟で五稜郭に立てこもっていた。
46:27その五稜郭に立てこもったリーダーたちのほとんどが、
46:31その後ですね、明治政府に雇い上げられて、
46:35榎本武洋、それから新井育之介、大鳥慶介、
46:42こういう人々は明治政府の要人として、
46:48その地位を復活させることができたわけであります。
46:54柴さんは、そういう一人の関東の三玉出身の近藤勲とか、
47:04それから、肘方俊三とか、沖田壮司という人物を描きながら、
47:11肘方俊三の純情な側面、
47:16節儀に生きた、剣の達人の生涯、
47:20本当にこの愛石を込めて描いているんですね。
47:25私は今まで、この萌葉剣という、
47:28この柴さんが大変ご自慢だった、
47:31柴さんご自身が非常にお好きだったこの作品、
47:34の中身を紹介しながら、
47:37一つだけ申し上げなかったエピソードがあるのであります。
47:41それは、
47:42おゆきという女性との恋愛の問題であります。
47:47肘方俊三とおゆき、
47:49これが縦糸というか横糸になっているんですね。
47:54この作品を非常に深いものにしている。
47:57京都で新選組の副長として、
48:03勤労の獅子たち、尊重派たちを切りまくっているときに、
48:09逆にそういう老子、獅子たちに追い込まれて、
48:12逃げて、
48:15さまよい込んだ町の路地の中で、
48:19彼を救ってくれた女性が、
48:21このおゆきという女性なんですね。
48:23軌道を開いて、
48:26座敷に入れて、
48:27かくまってくれた。
48:29これも本当のシーツであったかどうか、
48:31私には交渉したわけではありませんから、
48:34分かりませんけれども。
48:35そのおゆきというのはですね、
48:40大垣藩の下級武士の妻だった人で、
48:44その夫がすでに亡くなって、
48:46亡くなった後、そのまま京都に留まって、
48:50四条丸山派の絵の勉強をしていた。
48:53そのおゆきの借りているうちに飛び込んでしまう。
48:58そこでかくまわれる。
49:00そこで二人の仲ができるのでありますが。
49:05次第にその二人の間に愛が芽生え、
49:08離れられない関係になっていくわけでありますが。
49:11先ほど申しましたように、
49:12戸場伏見の戦いを契機に、
49:14新選組が散り散りになって落ちていく。
49:17年蔵はやがて船に乗って、
49:20北海道に去る。
49:21もうその時彼は死を覚悟しているわけでありますが。
49:26その船に乗って大阪を落ちる前の、
49:32その前にですね、
49:33二人で二晩だけ大阪市内の聖章庵という料理屋で過ごす、
49:39そういう場面が出てくる。
49:43聖章というのは西のテラスと書くんですね。
49:48柴田さんの小説の中では、
49:49西の昭和の章という字、聖章庵、
49:52これイオリでありますけれども、聖章庵、料理屋が出てくる。
49:57この聖章庵のある場所がですね、
50:00大阪の高台にありまして、
50:02現在の四天王寺のある場所なんです。
50:06地名は夕日が丘という地名になっております。
50:10大阪で一番高いところでありまして。
50:12西に沈んでいく太陽、
50:15落日の光景が実に美しく眺められるところなんです。
50:19今おいでになっても、
50:21落日は見ることはもうできないと思います。
50:23ビルが隣立しておりますけれども。
50:24しかし、都市像の時代はですね、
50:29明治の初年代というのは、
50:31はるかからた、
50:32何和の西の海に落日が美しく見ることができた、
50:39そういう場所であります。
50:40かつて、
50:42四天王寺というのは聖徳太子が建てたと言われている、
50:45日本で一番古いお寺でありますが、
50:48南を向いているんですね、
50:49四天王寺の寺院の結構というのは。
50:52南に大門があって、
50:54そちらが正面なわけでありますが。
50:56ところが、
50:58中世以降、
50:59この四天王寺の西の門が、
51:01非常に多くの信者たちの集まる場所だったわけであります。
51:06なぜかというと、
51:07四天王寺の西の門から西の方向を見ると、
51:10何和の海に沈んでいく太陽の美しい姿を拝むことができるから。
51:16西の世界というのは西方浄土ですよ。
51:19これは平安時代の末期あたりからですね、
51:25にわかにこの四天王寺の西門における、
51:28西の門における落日を拝んで念仏を唱える人々が集まるようになるわけですね。
51:37時期はお彼岸の時期であります。
51:40お彼岸の時期というのは、
51:41太陽が東から上がって真西に沈む時ですね。
51:46これがやはり、
51:47落日を拝む、絶好のチャンスなわけですね。
51:52日相観という言葉があります。
51:55仏教の言葉であります。
51:56日相というのは太陽の火である。
51:58太陽の火を想、拝む、想像する、拝む。
52:02そういう観というのは瞑想という意味でありますね。
52:06日相観。
52:06日相観が四天王寺の西の門を中心に燃え上がっていく。
52:13この西の門は今行っても見えますけれども、
52:16西の門の上に額がかかっておりましてですね、
52:19その額の中にですね、
52:20四天王寺の西の門は極楽の東の門に対している。
52:25こういう文字が書かれている。
52:27西の門に行きますと、目の前が極楽だという信仰ですよね。
52:32そういう文字が書かれているわけです。
52:34それだからお彼岸の頃になりますと、
52:36この四天王寺の西門に人々が集まって、
52:39念仏を唱える。
52:40念仏堂というものがちゃんと教えられていたわけです。
52:43今日ありませんけどね。
52:46そういうこともあって、
52:47いつの間にかその夕日が丘という、
52:49夕日を拝むための丘というふうに言われている。
52:52一番の高台でありますから。
52:55実は平安時代の末期、
52:58鎌倉時代の始めにかけて、
53:00新古今集という歌集が編纂されます。
53:03これは言葉、上皇が編纂した、
53:06直戦集、代表的な直戦集の一つであります。
53:09新古今集。
53:10その新古今集の戦者の一人、
53:13藤原の家高という人がおるのでありますが、
53:17この藤原の家高、
53:19恩で呼びまして下流、
53:21家高は下流と言いますけれども、
53:23藤原の下流がですね、
53:25晩年やはりこの夕日が丘にやってきて、
53:29西見沈む太陽を見ながら、
53:32極楽王女、浄土王女を祈願していたという、
53:37こういう物語があるのであります。
53:38その藤原家高の代表的な歌の一つに、
53:43こういう歌がありますね。
53:44千切りあれば、
53:49何はの里に宿り来て、
53:52波の入り日を拝みつるかな。
53:55千切りあれば、
53:56何はの里に宿り来て、
53:59波の入り日を拝みつるかな。
54:04千切りがあって、
54:06絵にしがあって、
54:07この夕日が丘にやってきた。
54:09そして夕日を見ながら、
54:12極楽王女を念じているのである、
54:15という意味の歌ですね。
54:18この歌を柴さんは取り出しながら、
54:23かつてこの夕日が丘には、
54:25藤原家高という新古今宗の戦者がやってきて、
54:30毎日のように日相館をしていたんだよ、
54:33ということをお勇気に語るんですよ。
54:35その時、
54:38肘方俊蔵は死を消している。
54:42もう、
54:42お雪とは最後の別れだと思っている。
54:45その愛人と一緒に夕日を眺める。
54:49そのための最後の王政を、
54:51二番この聖書案というところで過ごす。
54:55この場面を、
54:57柴さんはですね、
54:58萌代県という作品の、
55:00その最後の場面、
55:02肘方俊蔵が大阪を落ちる、
55:04その直前の段階でそっと挿入して、
55:09柴良太郎という人は、
55:12幕末維新記を小説にする点では、
55:15ナウテの達人である。
55:17近代史に非常に深い関心をお持ちの作家であるというふうに、
55:22なんとなしに私は思っていたんですけれども、
55:26いや、
55:27柴良太郎は同時に、
55:29日本人の千年にわたる信仰の世界を、
55:32ちゃんと踏まえて、
55:34折られたんだ。
55:36それをさりげない形で、
55:39萌代県という作品の中に、
55:41挿入されたんだと思いますね。
55:47この、
55:47夕焼け空を見て感動する日本人は多いと思います。
55:52私も夕焼け空を見て、
55:54どれほど感動したかわかりません。
55:56そういう記憶がたくさんございます。
56:00夕焼け小焼けで日が暮れてという動揺もありますけれども、
56:03あの夕焼け小焼けで日が暮れてというのは、
56:06大正時代の中村右航という、
56:09動揺作家が作った詩を作曲したものですね。
56:13あの歌を歌わない日本人は、
56:16一人もいないだろうと思うんでありますが、
56:18なぜ夕焼け小焼けの歌が、
56:20これほど多くの日本人によって歌い継がれてきているのか。
56:26それは夕焼け空に、
56:29深い感動を覚える伝統が、
56:33我々にはあったからではないか。
56:35その落日の光景を見て感動する日本人というのは、
56:40500年、1000年の伝統の中で、
56:44その落日の彼方に浄土、
56:46あの世をイメージしてきたからなのではないか。
56:49いったようなことを私は最近考えている。
56:55日本人には宗教心がない、
56:59モラルがないというような批判が
57:02しばしば聞かれる今日でございますけれど、
57:05深く我々自身の内心を振り返ってみると、
57:08そこに日本人の信仰心の格のようなものが
57:13横たわっているということが言えるのではないかと
57:17私は思っていたのであります。
57:19その重要な問題がこの夕焼け信仰、
57:22落日信仰ではないかと思うんですね。
57:24それがこの萌え尾県という県の立ちに、
57:30ひじかたとしぞうの一章を小説にした作品の中に、
57:35しかもその決定的な場面に出てくるというのが、
57:39私には単なる偶然のようには思えなかったのであります。
57:43柴良太郎という文学者の奥行きの深さ。
57:49その文明論が日本の歴史の真相にたどり着いていた。
57:58真相を浮き上がらせる、
58:00そういう種類のものでもあったということにですね、
58:04深く感動するのであります。
58:09本日は柴さんの文学を語りながら、
58:15日本人の魂にはまだ可能性が存在しているんだ、
58:22ということを実は申し上げたかったわけであります。
58:25柴良太郎の魂、
58:27それに触れることは、
58:32日本人の魂に触れることでもあるかもしれない。
58:35我々にはまだ可能性があるかもしれないという、
58:39そういう勇気を与えてくれる、
58:41そういう文学だったのではないかと思います。
58:46これで私の話を終わらせていただきます。
58:48ご清聴ありがとうございました。
58:49会場 拍手