• 10 months ago
指名手配され、逃走を続けていた「桐島聡」を名乗る男の“空白の50年”が少しずつ見えてきました。

■50年の逃亡生活の実態とは…

 1970年代、都内の私立大学の学生グループから派生した過激派組織「東アジア反日武装戦線」。

東アジア反日武装戦線
「企業こそ帝国主義的侵略の元凶である」

 現在70歳になる桐島容疑者は、10人ほどで構成された過激派のメンバーで、1970年代の連続企業爆破事件に関与したとして重要指名手配されていました。

 桐島容疑者を名乗る男は、神奈川県内の病院に入院していました。病院では別の名前を使っていましたが、身長160センチほどで、桐島容疑者と同じ背格好だといいます。

 男は、病院関係者に「自分は桐島聡だ」「最期は本名で迎えたい」と切り出したといいます。

 事件後、まもなく足取りが途絶えていた桐島容疑者。50年の逃亡生活の実態が明らかになってきました。

■「内田洋」名乗り工務店に?

桐島容疑者を名乗る男
「工務店で働いていた。工務店の人を呼んでほしい」

 桐島容疑者を名乗る男は、藤沢市内の工務店で働いていたと話しているといいます。工務店では「内田洋(ウチダヒロシ)」を名乗っていました。

 工務店に住み込みで働いていたという男。関係者によりますと、給与は手渡しの現金払いだったといい、身分証がないために、銀行口座などを開設できなかった可能性があります。

近所の人
「ガリガリでしたよ。土木関係の仕事しているから、こんな人務まっていたのかなっていうくらいガリガリで。身長も160センチもなかったでしょうし、体重も40キロあったかなかったか」

 近所に住む男性は2週間ほど前、工務店の近くの道で倒れているのを助けたといいます。

近所の人
「入り口の所に座り込んじゃってて。通りかかった人が助けようとして。1人じゃ持ち上がらないので、自分も『すみません、手を貸してください』って言われて。自分はここから行って、それで2人で抱えて部屋まで連れて行った。まさかこんな事件の人だと思わないし、びっくりした」

 動けなくなっていた男を抱えて運んだその先には、男が住んでいたという家がありました。

近所の人
「(Q.部屋の間取りは?)6畳ぐらいのスペースがあって、上がる階段が左側にある。生活感はなかったです、部屋に。本当になんにも。食器があるとか流しがあるとかっていうのが、気が付かなかったぐらい」

■50年逃亡“桐島聡” なぜ告白?

 その後、救急車で病院に搬送されたという男。桐島容疑者を名乗る男は保険証を持たず、自費で治療を受けているといいます。

 捜査関係者によりますと、末期の胃がんを患っていて、重篤な状態だということです。

 また、桐島容疑者本人しか知らない事件当時の話や家族の情報などを具体的に話しているといいます。

 50年もの間、偽名で逃亡生活を続けていたのでしょうか。なぜ今、桐島容疑者であることを明かしたのか。犯罪心理学の専門家は、次のように分析します。

犯罪心理学者 出口保行氏
「私たちが普通5感で感じる音であったり、匂いであったり、人の姿であったり、こうやって逃亡生活を続けていると、すべてが自分を検挙するために何かが動いていると思ってしまう。そういう生活から身体的にこれだけ具合が悪くなってくると、最期は(重圧から)逃れたいという気持ちが湧いてきたのではないか」

(「グッド!モーニング」2024年1月29日放送分より)
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp

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