• 2 年前
権力におもねるのが当たり前になってしまった時代に、時の権力者に闘いを挑んだ男がいる。“ハマのドン”こと藤木幸夫、御年91歳。横浜市のカジノ誘致を阻止するために、人生最後の闘いに打って出た。
藤木は、港湾の荷役をとりまとめ、歴代の総理経験者や地元政財界に顔が利く保守の重鎮。菅前総理の支援者でもあった。
その藤木が、カジノを推し進める政権中枢に対して、真っ向から反旗を翻したのだ。今の時代が、戦前の「ものを言えない空気」に似てきたと警鐘を鳴らし、一人でも戦うと立ち上がった。
カジノに反対するわけ。それは家族が崩壊し、市民社会がおかしくなるから。港の労働者が辿った苦難、博打にはまった時代を誰よりも知るからこそ、博打は復活させないと宣言する。

藤木が立ち向かうその原点はどこにあるのか…。
先の大戦。横浜は空襲に見舞われた。戦時中、入学した学校の一画は軍需工場に転用され、藤木は飛行機の部品を造っていた。工場は米軍機の機銃掃射に狙われ、多くの友人を目の前で失った。自らの死も覚悟したと言う。そして、戦後の焼け跡。社会が殺伐とする中で、藤木は、街をたむろする不良少年たちを集めて地域に奉仕した時代があった。あの時の世のため人のため、皆で助け合って生きていく社会を取り戻したい…
そんな思いが今につながっている。

横浜市長選の藤木氏一方、横浜市民が、カジノの是非を問う住民投票条例を求めて集めた署名。その数、法定数の3倍を超える20万近くにも上っていた。だが、条例案は市議会で否決される。市民の声も届かない。夏の横浜市長選が決戦の場だ。そう思い定めた藤木が賭けたのは…。

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