Skip to playerSkip to main contentSkip to footer
  • 2 days ago

Category

📺
TV
Transcript
00:00E.S.T.B.S.
00:04前回の一番新しい近現代史は
00:26明治新政府の国家づくりを中心にお伝えしました
00:30明治政府は藩籍奉還や廃藩地権により
00:38大名や藩による支配体制を解体
00:40天皇を頂点にした中央集権国家づくりを始めました
00:46そして政府の基礎を整えると間もなく
00:51岩倉智美を中心とする施設団を
00:55欧米諸国へ派遣したのです
00:57今回は岩倉施設団が欧米で何を学んだのか
01:05視察の模様を軸にお伝えします
01:08最初の訪問国アメリカでは
01:13開通したばかりの大陸横断鉄道を利用
01:17ワシントンで議会を視察します
01:22この時施設団が議会に抱いた疑問とは
01:27ドイツでは30以上の国を帝国としてまとめ上げた
01:33最小ビスマルクに対面
01:35この時施設団が感銘を受けた
01:38ビスマルクのある言葉とは
01:41一方西郷隆盛ら日本に残った
01:47いわゆる留守政府は
01:49改革や人事に手をつけないと約束したにもかかわらず
01:54徴兵制や始祖改正など
01:57さまざまな改革を実行します
01:59さらに留守政府では朝鮮への出兵を唱える政官論が台頭
02:08明治維新から数年で一体なぜ
02:13今回は明治4年から6年
02:18近代国家へと踏み出した日本をひもときます
02:22関口博史の一番新しい近現代史
02:26一番新しい近現代史
02:292回目の放送になります
02:31前回振り返っておきます
02:33明治新政府による国家の基礎づくりが始まりました
02:38岩倉施設団を欧米に派遣しました
02:41その目的は不平等条約是正への予備交渉
02:47不平等条約の内容は
02:49締結国に違い法権を認めたり
02:52日本に関税自主権がない
02:54さらに目的の2つ目は
02:57政治と産業の調査
02:59先進国を見てこようということです
03:02メンバーは
03:03全県大使が岩倉智美
03:06そして大久保利道
03:07木戸孝義
03:08伊藤博文
03:10留学生もおりまして
03:12津田梅子さんなんかも
03:14この中に入っておりました
03:15皇帝は1年10ヶ月で12カ国を巡りました
03:21でも当初の予定は1年ほどの予定だったんですが
03:26いろんな事件が起こって伸びました
03:29それ後ほどご紹介いたします
03:31一方国内を守る留守政府
03:35メンバーは
03:36打上大臣の三条真伸
03:38参議院西郷隆盛
03:40大隈重信
03:42頂大輔らなんです
03:43出発前に
03:45施設団と留守政府の間で
03:48約束が交わされました
03:50改革や人事には手を出さない
03:54ところが
03:56そうはいかなくなってまいります
03:58今回は明治4年1871年から
04:05明治6年1873年のお話になります
04:09先に流れをご紹介しておきます
04:12明治の4年です
04:15施設団がアメリカ
04:17サンフランシスコに到着する
04:19大陸横断鉄道で
04:21ワシントンへ向かう
04:23さらにイギリスへ渡り
04:25工業地帯を視察してまいります
04:27こちら側には
04:29留守役の政府が
04:32何をしていたかが書いてありますが
04:348月には
04:35全国民へ教育を目指す
04:39学生を交付する
04:41これも本来なら
04:42やっちゃいけないことだったのかもしれません
04:47施設団の方は
04:4812月にはフランスへ参ります
04:51日本の中では
04:52明治6年になると
04:54徴兵令を交付
04:56これは大きいです
04:5720歳以上の男子に
04:59兵役義務を課すと
05:01一方
05:03その施設団の方は
05:04この頃
05:04ドイツ帝国
05:06成立直後
05:08ドイツ帝国に渡りまして
05:11最初
05:11ビスマルクに
05:13会うことになります
05:14でも何か
05:15施設団は
05:16ドイツに
05:18親近感を持ったみたいな話は
05:19いろいろところで
05:20私も聞いているんですが
05:22大英帝国というのが
05:23先走っているわけです
05:25その横には
05:27フランスという国もいて
05:28それに比べると
05:30ドイツは
05:30やっぱり後進国なんですよね
05:32必死に
05:33追いかけている感じが
05:35あるわけで
05:37やっとここから
05:38追いつき始める
05:40というところに
05:42来ているのが
05:43ビスマルクで
05:44そこが多分
05:46岩倉施設団
05:47何か重なるものが
05:48あったのかな
05:49という気がしますよね
05:51単純に割と
05:53日本人とドイツ人
05:54キャラが合う
05:55というのはないですか
05:56どういうキャラ
05:57いや
05:58何か真面目な感じ
05:59だったりとか
06:01ルールがあったら
06:03何か守らないと
06:04何かちょっと
06:04気持ち悪いよね
06:05みたいな感じとかですね
06:07そして国内
06:08基礎改正条例の
06:11交付
06:11これも大きいんです
06:12税をお米からお金に変えます
06:16また
06:17正観論が台頭してきまして
06:21西郷の朝鮮
06:22派遣が内定いたします
06:26横浜を出発しておよそ1か月後の明治4年12月6日岩倉施設団はアメリカサンフランシスコに到着しますまずはこれまでの日米関係とこの頃のアメリカの状況を確認しておきましょうこれまでの日米関係はどういう関係だったか振り返っておきましょう
06:56これまでの日米関係はどういう関係だったか振り返っておきましょうか
07:01これまでの日米関係長官ペリーが来航して黒船騒動になりますね日本がそして日米和親条約を締結してこれが日本の開国だということになりました
07:14さらにその4年後には日米修行通商条約不平等条約これを締結せざるを得なくなった
07:25以降オランダやロシアイギリスフランスなどどこの不平等条約を締結せざるを得なくなってしまったんです
07:34それにより尊王上位運動も活発になって幕末の混乱へと日本は進みました
07:42小泉さんはどう見ますこのアメリカを
07:44この後大体100年経たないうちにアメリカと大戦争をやってまたもう一回近代史上の大破滅を経験するわけですよね
07:53だからやっぱりアメリカという国との日本の近現代史の関わりって本当に大きいんだなというのも感じますね
08:02そうですね
08:02そしてこの頃のアメリカを見ておきますと
08:071865年南北戦争が北軍の勝利で終結します
08:13工業国家建設に邁進大陸横断鉄道が開通いたしました
08:21この頃のアメリカを岩間さんどうご覧になりますか
08:26南北戦争が終わってやっと安定し始めてものすごく工業化を進めて急成長して世界一豊かな国アメリカっていうのが出始めるそのちょうど始まりの頃ですよね
08:44そこに世界中から移民が入り始めているっていうそういう時代だと思いますね
08:51成長著しいアメリカを訪れた施設団はその発展ぶりに衝撃を受けます
08:59施設団サンフランシスコでカルチャーショックを受けたそうです
09:065階建ての巨大なホテルとエレベーターに驚いた
09:11小さな部屋に入れられるとドキンと動きつり上げられた
09:17そりゃ驚いたるな
09:20蛇口をひねれば水が出てくる水道
09:24それからレディーファーストの習慣を見て
09:28夫がまるで次女のようだ
09:32このレディーファーストって感覚も当時としちゃ
09:37いやものすごい落差だったでしょうね
09:40今でも違いはありますから
09:43ありますから
09:44そして一行はシカゴへ参ります
09:50このシカゴで岩倉智美が大返信をいたします
09:54自分の髪型や衣装が見せ物になっていると
09:58これが人気があったんですよ
10:01でもそれが嫌だったのかな
10:03それを知った岩倉は髪をバッサリ落とし
10:07要するにちょんまげ切っちゃうわけですね
10:08で洋服を着たと
10:10やっぱちょんまげ似合うんじゃないですか
10:13似合ってる
10:14そうかな
10:15そして1872年の2月ワシントンに到着する
10:2118代グラント大統領に越見する議会を見物する
10:27人民を主権者とする共和制議会に疑問を持ったと
10:34人民に選ばれた議員が最上の人とは限らないのではないかと
10:40これは言えてますよね
10:43多数決での決定が下策の場合もあるのでは
10:50これで多数決で失敗することもありますもんね
10:54だから見るとこはちゃんと見てるのかな
10:57どうですか岩間さん
10:59私がよく学生に言うのは
11:03民主主義っていうのは最上の統治者を選んでくれるとは限らないけども
11:10最悪ができた時にそれを流血事態なしにやめさせられるんだよ
11:16っていうことを言うんですけども
11:18だから要するに一番いい結果が出てくるっていう保証は
11:22どこにもないっていうのは事実ですよね
11:23アメリカ各地で大歓迎を受けた施設団は
11:30不平等条約改正に向け
11:33アメリカ政府に交渉を打診します
11:35しかしその直後
11:39大久保利通と伊藤博文は急きょ帰国することに
11:44一体何が起こったのでしょう
11:46岩倉施設団は不平等条約改正に向け
12:05アメリカ政府に交渉を打診します
12:08すると施設団は思わぬ指摘を受けるのです
12:14条約改正の本交渉をアメリカ政府に打診することになります
12:21しかしアメリカが言うにはですよ
12:24本交渉には天皇の全権委任状が必要だと指摘されてしまいます
12:31持ってきてないんですこれ
12:32奥本市道伊藤博文は急きょ帰国するったって飛行機なんかないしねだから大陸横断鉄道でまた船に乗ってまあ大変だそして取りに戻っている間岩倉智美城隆義がイギリスとドイツの外交官から忠告されたんだそうです
12:57日本が条約で各国に再警告待遇を約束している
13:03もしアメリカに対し条約改正と交換に何らかの特権を与えればその権利は締結国全てに与えなければならなくなるんだよ
13:15これは当然のことなんでしょうかね
13:18まあ再警告ですからね
13:20その国が与えている中で一番いい待遇を得られるっていうのが再警告待遇じゃないですか
13:25だからアメリカに何か与えたら他の国とみんな再警告って言っちゃってる条約っていう風に指摘されたわけですよね
13:32さっきのその全権委任状もそうですけど
13:36なんかやっぱり日本という国が本当に手探りで外交の現場に飛び込んでったんだなって感じがすごいしますよね
13:44なんか私がだから初めて海外とか行き始めた時とかとなんとなくちょっと被る感じがしますよね
13:51なんか全然物も分からずに右往左往してるような
13:54頑張ったんだなって感じすごいします
13:56で岩倉と木戸はここで気づいたんだそうです
14:01アメリカだけとの交渉は不可能
14:05各国同時に進めねばならないものなんだと
14:09で4ヶ月後ワシントンで天皇の委任状を携えた大久保伊藤と岩倉紀乃が合流して
14:18相談の上条約改正交渉の中断を決断するんです
14:25じゃあ無駄足だったじゃないですか4カ月間でねえ行って帰ってきたんですから明治5年7月14日アメリカを後にした岩倉施設団はイギリスのロンドンに到着しますまずはこれまでの日英関係から振り返っておきましょうでは日本とイギリスの関係がこれまでどうだったかまず1842年ですから30年の日英の関係で
14:5520年前はイギリスがアヘン戦争で秦に勝利して秦が香港を割上した幕府はこの西洋列強の怖さをこれで知ったわけですね
15:08で1858年日英修行通商条約いわゆる不無用道条約を締結してしまったんですね
15:20であの撮影戦争もありましたしねだからそこの長州でもありましてイギリスのその武器の何だろう優れた面をだいぶ見てんですよね日本は
15:34鉄と木がぶつかったって感じですよねこの時代は一番落差が激しいところで木の文明のレベルでは日本はかなりいいとこ行ってたのでその次へのこのステップアップが割合にうまくいったんですけど
15:50でもやはり鉄との大きさはすごかったのでそこはもうすごいカルチャーショックだったと思いますね
15:57でこの頃のイギリスはどうなってたか1700年代後半に始まった産業革命以降世界経済を牽引する先進国でありました
16:10世界中に植民地を作って世界一の大国になっていました
16:16人口の総計は約2億4000万
16:20重工業が発展し蒸気船や機関車を製造し国外にも輸出していました
16:28ここに地図がありますがこの赤く塗られているところイギリス本国はこんなちっちゃなもんですがその他にイギリスの自由になるところがこんなに世界中にあったと
16:41アメリカで条約改正交渉を断念した施設団ヨーロッパでは政治や産業の視察に集中しますイギリスでは産業革命の本拠地リバプールやマンチェスターを視察
16:58施設団はその興行力に驚きますリバプールマンチェスターを視察し機関車工場など大量生産をしていることに驚いたこの頃一つの工場で蒸気機関車を4両客車と貨物車数十両を1週間で生産した
17:21それを見て感銘した大久保利道日本に手紙を送ります製品を大量生産し海外に売るイギリスの繁栄の理由はここにあると見抜いたわけですねこれだで植産工業というものが日本の重要課題になるわけですね
17:43一方国内では留守政府が改革を実行していきます施設団の出発前西郷隆盛らいわゆる留守政府は改革や人事に手をつけないと約束していましたしかし明治5年8月学生を交付します一体なぜでしょう?
18:07留守政府改革や人事には手を出さないと約束したにもかかわらず不国共兵を目指して国内改革に次々着手したそのメンバー打上大臣三条実人以下西郷隆盛大熊信板垣大輔大輔大輔大輔大輔大輔大輔大輔大輔大輔大輔大輔大輔大輔大輔大輔大輔大輔大輔大輔大輔大輔大輔大輔でございます
18:29で不国共兵というものはまず教育から始まるんだということになりまして1872年の8月に学生を交付
18:41国民開学みんなが学問を受けられるというものを目指し全国に約5万の小学校の設置を発表6歳から9歳を下等小学校10歳から13歳を上等小学校として2年後には2万を超える小学校ができた
19:03この時代ですでに教育が大事だって発想にすぐなるとこがなかなかすごいなぁと思いますよね
19:12日本がものすごい急速な近代化やるわけですけどもそれやるためにはやっぱりある程度の教育ある国民というのがいて労働力としてちゃんとした人々がいるということ必要なんですけどもそこにすぐ行くっていうのがね面白いですよね
19:32でもやっぱり寺小屋とかがもともとあって子どもに教育を受けさせるって概念そのものは存在したわけじゃないですか
19:39少なくとも都市部ではだから学校ってものを作りましたよって言ったら割と受け入れやすかったのかなとも思いますし
19:47でも多分農村部ではいや子どもって労働力でしょってなるとやっぱりできないという話ですよね
19:53そういう感覚もあったんじゃないかなここに書いてありますがね
19:57労働力を奪われると農家を中心に反発もあったと
20:03だから就学率は思うようには伸びなかったんだそうでございます
20:08ここに就学率書いてありますが明治6年男子が4012年で58になります
20:16女子は低いですね明治6年で15明治12年で23だそうです
20:22明治5年11月岩倉施設団はイギリスからフランスへ入ります
20:30フランスはプロイセンとの戦い不出戦争に敗北
20:38それをきっかけに革命が起こり短い期間ですが
20:43パリコムーンという労働者政権がフランスを支配しました
20:47その経緯を確認しておきましょう
20:50この頃のフランス1874年不服戦争でプロイセンに敗北いたしまして
20:58皇帝のナポレオン三世これは一世の老いにあたる人ですが捕虜になり
21:04プロイセン軍がパリに入城してきて
21:07ドイツ帝国成立を宣誓しました
21:10フランスの臨時政府は賠償金の支払いと領土の一部割上で
21:17講和を目指しました
21:19しかし1871年講和に反対したパリ市民が武装放棄し
21:26労働者政権パリコミューンを受立
21:30わずか2ヶ月ですがこれがフランス臨時政府によって鎮圧されてしまう
21:39短かったんですねパリコミューンとよく言いますが
21:41フランスの近代化って私たちがよく知っているフランス革命で始まるんですけども
21:47そこで一直線に行ったわけではなくて
21:50その後王政に戻って革命があって
21:54また王政に戻り革命がありって行ったり来たりするんですね
21:5819世紀は何度も
22:00何度かやった結果もう王様無理だよねっていう風に
22:04だんだんなっていくわけですけども
22:07労働者が立ち上がるべきっていうそういうカルチャーみたいなも
22:11それがかっこいいっていうカルチャーみたいなのも
22:14フランス革命で定着するので
22:18今に至るまでやっぱりフランスの労働者デモって
22:22デモとかストライキとかってすごいじゃないですか
22:25なんかこう脈々とそういうカルチャーが生き続けているのかなっていう感じはしますよね
22:32岩倉施設団がパリに入ったのは
22:36パリコミューンと臨時政府の戦いの直後
22:39まだ傷跡が残る時でした
22:42パリに残る傷跡を見て
22:47施設団はパリコミューンを
22:49続都の一揆と評価した
22:52身も蓋もないですね
22:54やっぱりそう見えるかな
22:56いきなり封建制の中から出てきた人には
22:59そう見えたんじゃないですか
23:00近代国家は皆が立派なわけではない
23:06中華僧民は分からず屋で荒っぽく手に負えない
23:10こんな感想が残されております
23:14一方で多額の賠償金を支払ったにも関わらず
23:19華やかなパリに驚いた
23:21そうか負けた国ですよね
23:23賠償金も払ったのに
23:25なんでこんな華やかなんだと
23:27フランスの富を支えているのは
23:30地方の豊かな農場であることを知る
23:34農業が諸業の大元
23:36国を起こそうと思えば
23:39農業の奨励を怠ってはならないと
23:43記録に残しております
23:44これによって後
23:46明治政府は施設団の提案によって
23:50日本に農業学校とか農業試験場を
23:54設立するんだそうですが
23:55そうですよね
23:56フランスって今でも農業王国ですよね
23:59それはもうフランスの何て言うか
24:03アイデンティティの一部となっているので
24:06まずは食うことだと
24:07そうです
24:09岩倉市鉄団がヨーロッパを巡っている間
24:14国内の留守政府は
24:16徴兵制などの重要な改革を実行していきます
24:20明治6年1月
24:27留守政府が徴兵令を交付
24:29男子の兵役を義務化します
24:33留守政府
24:35徴兵令を発しました
24:39これは大きいんじゃないでしょうか
24:41明治政府のこれまでの軍隊というのは
24:44母親戦争までは
24:45薩摩長州軍を中心とする
24:48混成部隊でした
24:49でも明治4年
24:51薩摩長州
24:52土佐の3班から
24:54兵約8000名を募って
24:57政府直轄の
24:58御神兵を創設いたしました
25:01しかし徴国強兵のためには
25:03軍事力の強化が必須と
25:06明治6年になって
25:08徴兵令を交付
25:09満20歳の男子に
25:123年間の兵役義務を与えました
25:15これにより
25:17国民改兵による
25:19国家の軍隊を創設したことになります
25:22これって見てると
25:24近代国家スターターセットって感じがしますよね
25:27それまでいろんなものが
25:28バランバランだったわけじゃないですか
25:30教育も軍事力も
25:32それが急に東京を中央政府とする
25:35一つの政府が
25:37教育のやり方は
25:38これみんな若い者は
25:3920歳になったら軍隊に来ていこう
25:41っていう風に
25:42一律に扱うようになっていくわけですよね
25:44この後に出てくる
25:46おそらく税の話なんかと含めて
25:48大体この辺りが
25:50近代国家を始める時に
25:52最初に手をつける話だと思うんですよ
25:54それをこの時
25:56日本も一斉にワーッとやったっていう風に
26:00見えますが
26:01ただそれが肝心の国家首脳が半分いない時に
26:05勝手にやっちゃったわけですよ
26:06人々の反応はどうだったか
26:11民衆
26:11特に労働力が奪われる農家が
26:15拒絶反応を示し
26:16各地で一揆が起こりました
26:18私族
26:19お侍さんですね
26:21軍事面における存在意義が失われると
26:25お侍さんも反対しましたか
26:28後に西南戦争など
26:31私族による反乱に
26:33これが繋がっていったところもありますと
26:37むしろその
26:38私族の軍事面における存在意義を
26:41失わせるためにやってるんでしょうね
26:42やっぱりこれは
26:43そういうことなんでしょうね
26:45軍事力を持っている人たちが
26:47特権的な戦士階級なのか
26:51本当に社会の中から広く集められてきた
26:54普通の人たちが
26:55国家の軍事組織で勤務するのかっていうのは
26:58やっぱり近世と近代を隔てるすごく大きな違いだと思うんですよね
27:03そうですか
27:04戦士階級を解体するって意味が
27:07恐らくあったのかなとすると
27:08それは反発もするんだろうけれども
27:11まさにそのためにやってる軍事改革なんでしょうね
27:14日本出発から1年3ヶ月後の明治6年3月
27:20岩倉施設団はドイツ帝国に入ります
27:24この頃ドイツ帝国は成立してまだ2年でした
27:31小国プロイセンの最小
27:36ビスマルクが30以上の周辺国をまとめ上げ
27:40大国フランスとの戦いに勝利
27:43パリでドイツ帝国の成立を宣言したのです
27:48岩倉施設団はベルリンでビスマルクに会い
27:53その言葉に感銘を受けます
27:56ベルリンで最小ビスマルクと会見
28:00ビスマルクが秘設団の前で演説したそうです
28:04世界は弱肉強食
28:07万国広報つまり国際法ですね
28:11これも大国に利あらば守られるが
28:14大国に不利となれば武力に頼られる
28:18私はこの状態に憤慨し
28:22国力を強くして大国と対等に外交しようと考えた
28:27統一してない前のドイツっていうのは
28:30それこそ周り大国だらけで
28:32好きなことをしている国に対して
28:34自分たちは何かこう
28:36あんまりちゃんと発言権がないみたいな状況に
28:39置かれてるわけですよね
28:41だからそういう積もり積もったものが
28:44あったかなっていう気がしますね
28:47そしてこのビスマルクの演説を聞いた施設団は
28:51感銘を受けた
28:52条約改正のためには
28:55内地国内政治優先で
28:59不国共兵に努めるべきと考えるようになるということは
29:04つまり日本も強くなきゃし
29:07外国に意見を聞いてもらえないと
29:09とともにやっぱり内地優先ですね
29:121870年代からって
29:15特にイギリスとフランスが
29:17アフリカ分割って出ていて
29:19他のヨーロッパの国もそれに乗じて
29:22アフリカに植民地を広げ出すような
29:25時代なんですけど
29:26ビスマルクは割と
29:28うちは植民地なんかやってる余裕はない
29:31っていう基本姿勢で
29:33とにかく平和を守って
29:36そこで国を強くしていくんだっていう
29:39そういう考え方で
29:40両方だと思いますね
29:42下手に外に手を出さないっていうのと
29:46しっかり国を強くすると豊かで強くするっていう
29:50そういう療法があったと思います
29:52ビスマルクの影響を受けた
29:55岩倉施設団の一行は
29:57国を豊かに強くすることが
29:59明治新政府の最優先事項と考えるようになります
30:03これが後の帰国後
30:06ルッセーフとの対立へとつながっていくのです
30:10日本出発から1年4か月後の明治6年3月
30:19岩倉施設団はロシアのサンクトペテルブルクに到着します
30:24これまでの日露関係を振り返っておきましょう
30:291696年といいますから
30:33今日ご紹介している1873年の
30:36約200年前と思いましょうか
30:39大阪の七夜デンベイという人が
30:42カムチャッカに漂着した
30:44ピョトル一世とエッケムサンクトペテルブルクに
30:50日本語学校が設置されるって
30:54簡単に書いてあるけど
30:55これサンクトペテルブルクにいるんでしょ
30:59そうなんです
30:59そこまで会いに行くんでしょ
31:01そうです
31:02どうやって行くんですかこれ
31:03なんか犬剃りかなんかで行ったみたい
31:05大変だよね
31:07さらにですね
31:091783年
31:11伊勢の先導
31:14大黒谷皇太夫がアリューシャン列島
31:17これもやっぱりこれも相当東側です
31:20に漂着して
31:23エカテリーナ2世に越境
31:25また1792年
31:28ラクスマンが大黒谷皇太夫を伴って
31:32メムロにやってくる
31:34またこんなこっから行って
31:35またここまで来る
31:36そうなんですよね
31:37ただここがまたロシア人の
31:39なんか謎のダイナミックなところで
31:42こういう凄まじい距離をバーッと超えていく力って
31:46こうね
31:48近代になる前になんか持ってるんですよ
31:50鉄道もない
31:51不思議な力ですね
31:53だって本来はヨーロッパの地域に
31:55タウンを走っている民族のはずなんですけど
31:57またたく間にいろんな利権を追っかけて
32:00この極東の方までブワーッと広がって
32:03東へ行きましたよね
32:05もっと東のアラスカにまで進出しているし
32:08そうですよね
32:09その先まで実はもっと植民していて
32:12カリフォルニアのちょっと北側ぐらいまで
32:14ロシア人って到達しているんですよ
32:16そんなとこまで行きました
32:18ほっとくとどこまでも広がっていく
32:20なんかすごいモビリティを持った民族だと思いますね
32:24だから逆にこの漂着民を
32:26自分の国の首都まで連れ帰ってくるぐらいは
32:28簡単にやると思います
32:29そしてラクスマンがアメリカに先駆けること
32:34約60年日本との通商を求めるも
32:37幕府がこれは拒絶したんですね
32:411855年日米和親条約の締結をした
32:49プチャーチンが来事
32:50そうですねこの番組でもね
32:52何回もご紹介しました
32:54プチャーチンがちょろちょろ来るんです
32:55日露和親条約を締結します
32:59で国境が決まりました
33:02ウルップ島とエトロフ島の間
33:06ここですね
33:07そしてカラフとは雑居地
33:12ということはどちらのものでもないということを約束したということですね
33:17そうですね今の日本政府の言い方では日露昆虫の地というような言い方をしていますけども
33:23両国民と混じって住むことが認められている土地という風になるわけですね
33:28一方でこのウルップとエトロフにはこういう風に明確に線を引いて
33:32ここからここまでが日本ですよと
33:35その先ロシアですよという風に決めるわけですよね
33:37その後もこう
33:39国境は移り変わるんだけれども
33:41この一番最初に決めたこのエトロフのところまでが日本ですよというのが
33:46今日本がその北方領土は日本のものですと言っている根拠になるわけですよ
33:52そうですね
33:52領土主張の一番の根源になっているのがこの条約なので
33:56非常に重要な時期ですよね
33:58そして1858年日露宗公通称条約不平等条約をやっぱりロシアとも結ばなきゃならなくなりました
34:11では岩倉施設団が訪れた当時のロシアの状況を見ておきましょう
34:19でこの頃のロシアがどうなっていたか1856年クルミア戦争で敗北し国会周辺で南下政策を進めるロシアとそれを防ぎたいイギリスフランストルコとの戦い
34:36本当に前回もね同じようなところで戦争が起こるここもずっとやってますね
34:44そうなんですよね
34:45この後の世界大戦でも戦場になるし
34:49そうですね
34:492014年にまたロシアが占拠しというので火種にずっとなり続けている場所ですねここは
34:56でもこのクルミア戦争で敗北したことによって南下政策が頓挫します
35:03本当は南へ南へ行きたいんでしょう
35:051860年シンからウラジオストックを手に入れ港を
35:13これシンから手に入れたですかここはね
35:16まあそもそもこの一帯もともとロシアじゃないわけですからね
35:20その北京条約愛軍条約でロシアが割上させた地ですよね
35:24そして皇帝アレクサンドル2世による先制政治は続いていたと
35:31こんな時に施設団がロシアを訪れますがこれが
35:36ロシアを低評価した
35:40欧米諸国に比べ議会もなく
35:44体制的に遅れていたこともあり
35:47施設団はロシアに厳しい評価をした
35:50貧しい人民は愚かで鈍い
35:54ひどい
35:55そこまで言わなくてもいい
35:57こんな感想を述べる状態だったですかねロシアが
36:02まずやっぱりクリミア戦争で負けて
36:06ロシアって当時非常に地震喪失してもいるわけですよね
36:11ロシアが弱くなると国内植民地が急に反乱を翻し始めるわけです
36:18当時ポーランドもベラルーシもウクライナもみんなロシア帝国の一部なわけですけど
36:24反乱が起こり始めると
36:25皇帝を狙ったテロというものが初めてこの頃ロシアで起こり始めるわけですよね
36:31多分施設団が見に行った頃のロシアというのは
36:35政府が強く抑えておかないと
36:37植民地も民衆も何するか分からないという雰囲気ですよね
36:41もともとの更新性に加えて
36:45そういう当時のロシアの雰囲気というのが
36:47こういう評価につながったのかなと思います
36:50そして今までロシアを大国と恐れてきたが現実は違った
36:57これ大体ロシア行った人みんなこうなるんですよ
37:01大したことねえなってみんな言うんですよね
37:03ロシアに最初に行くとロシアをなめる
37:06しばらく付き合ってみるとやっぱりこいつらは起こないなという風になるんですよね
37:12そうなの
37:12何でも自分たちで解決しちゃう力があったりとか
37:16ルールは守らないんだけども
37:19身内の掟は守るとか
37:20ちょっと我々が知っているのと
37:23違う尺度のロシアの強さって見えてくるんですよ
37:26さっき出てきたビスマルクは有名な言葉を残していて
37:31ロシアは見た目ほど強くはないが
37:34見た目ほど弱くもないという言い方をしているんですよね
37:38私はだから多分この時みんな見た目ほど強くないなというところまでは見えた
37:43もう一回見に来たら見た目ほど弱くないなという風に思うんじゃないかと思います
37:48そうか
37:49国内の留守政府が今度は税制を大改革します
37:54明治6年7月
37:59地層改正条例が公布されます
38:02留守政府地層改正を行います
38:06明治政府のこれまでの財源は江戸幕府時代から受け継いだ年貢
38:11つまり米の仏能でございました
38:15でもこの年貢には問題点がある
38:17豊作強作によって納められる量が変わる運賃保管費など
38:23徴収にかかる経費が莫大である
38:26米価が変動するため税収入が極めて不安定である
38:31そのため国家予算が立てにくいということがありまして
38:36明治の6年7月28日安定した財源確保のための基礎改正条例を公布いたします
38:45土地の所有者と地価を明確にする
38:48所有者が地価の3%の税金を納める
38:53これはお金です
38:54金納
38:55これにより税収が米の出来や価格の変動に左右されないことになる
39:03支配層の武士らが土地を所有する封建的制度から
39:09完全に土地の私的所有を認める近代的制度に移行したのは
39:17これアジアで初めてとされております
39:21全部よくやったなという感じですね
39:24よくやった
39:24変える時って多分ガーッと変えないと
39:28勢いに乗って変えてしまわないと
39:31うまくいかない面も多分あって
39:33ゆっくりやってみんながゆっくり考えていると
39:36通らなくなってしまうので
39:39だからいない間にやっちゃった方がいいと
39:42短期間に一気にしかもうるさい奴らがいない間にやっちゃう
39:46うるさいやつがなんですね
39:49そういう感覚はどうもあったみたいだな
39:52この頃国内では鎖国する朝鮮王朝を武力で開国させるべきと唱える
40:00正観論が湧き上がっていました
40:02国内で正観論が湧き起こります
40:09当時の朝鮮王朝の状況と
40:15日本国内で正観論が盛り上がった経緯を見ていきましょう
40:20朝鮮王朝でございます
40:23中国秦を創始国とする賊国でございました朝鮮
40:281700年代末からキリスト教信者が増えて外国船が出没
40:35儒教を守り西洋文明を排斥せよという思想が強くなりました
40:401830年代から強まる欧米列強の開国要求を拒絶
40:46その後大陰君
40:48国王の父でございますが
40:51を中心に鎖国上位を強化しました
40:55この流れは割と日本と似てますよね
40:58日本で正観論が盛り上がった経緯
41:02幕末の1850年代
41:05吉田松陰
41:06東アジア侵攻を唱えたそうでございます
41:10欧米列強に対抗するため朝鮮はじめ
41:15満州台湾ルソン
41:17フィリピンのことです
41:19に進出して強大な国家になるべきだと
41:22これが正観論の始まりとも言われます
41:26吉田松陰という人も激しかったんですね
41:28なかなか過激なことを言いますね
41:29多分当時の世界の中で
41:32侵略って悪いことじゃないんですよね
41:35それこそプロイセンのカール・フォン・クラウズ・ビッツは
41:40戦争というのは他をもってする政治の延長であるというわけなので
41:44政治的行為なんですよね
41:46だから当時の日本人の感覚としても
41:51日本を強くするためにその辺の国々を抑える必要があるんだったら
41:55やればいいじゃないという
41:56できるかどうかは分からないけど
41:58悪いことだとはおそらく思ってないんじゃないですかね
42:00そうですかね
42:02また明治の元年1868年
42:06朝鮮王朝が明治政府の国書・国交要求を拒絶しました
42:12この頃朝鮮王朝は
42:15西洋化する日本を警戒していたという面もあったと言われますが
42:21すると日本の政府内で
42:24武力を使ってでも朝鮮を開国させるべきという
42:28正観論が
42:29高吉を中心に唱えられるようになりました
42:34そして明治6年ある出来事がきっかけとなって政府内で正観論が沸騰西郷隆盛の朝鮮派遣が決定します
42:46明治6年プサンの日本政府事務所に西洋化する日本を無法の国と非難する盾札が立ったそうです
42:58すると日本の政府内で正観論が沸騰した
43:03板垣大輔らは即時出兵して強硬に交渉を進めるべきだと提言
43:10板垣大輔らは自由民権運動で後々有名になる人ですが
43:15この人もこんな強気なことを言うんですね
43:17それに対し西郷隆盛なんですが
43:21自ら施設として朝鮮へ行き
43:25まずは交渉することを提案した
43:27この時西郷は板垣に手紙を書いた
43:31交渉が決裂しもし自分が殺されれば
43:35出兵の大義名分が立つだろうということを言ったんだそうです
43:41めちゃくちゃ多い言ってますよね
43:42めちゃくちゃ
43:42俺が殺されれば戦争が始められていいじゃないかという話ですよね
43:47すごい話ですね
43:49そして明治6年の1873年8月
43:54西郷の朝鮮派遣が内定するわけでございます
43:59実は西郷の真意は未だ不明なんだそうです
44:06一つ目武力制観説
44:08たまった氏族のお侍さんですね
44:11の不平を国外にそらすため
44:14自分の身を呈して朝鮮出兵を実現しようとした
44:19武力に反対した説
44:21平和的交渉で朝鮮と国交を結ぼうと考えた
44:26自分の身を呈する話は
44:28強硬派説得の方便であったと
44:32当時西郷は精神的に相当追い詰められていて
44:37巧妙な戦略を考えていたかどうかも
44:40ちょっと怪しくなるような印象はありますよね
44:44だから歴史の常で
44:46その時の歴史の登場人物の考えていることを
44:50完全に把握することって
44:51大体難しいと思うんですけど
44:54なのでやっぱり朝鮮にものすごい関心を持ったことは
44:58間違いないんですよね
44:59とにかく朝鮮朝鮮で当時西郷は言ったことは間違いないみたいで
45:03だからどっちにせよ彼の中では
45:06人生最後のプロジェクトだったんですよね
45:08朝鮮問題
45:09そして施設団が帰ってまいります
45:14次回でございます
45:16西郷と大久保が対立
45:19明治6年の政変が勃発
45:22また明治政府が初めて海外派遣を行います
45:27台湾出兵これは何だったんでしょうか
45:30次回のお話になります
45:33ありがとうございました
45:34ありがとうございました
45:35ありがとうございました
45:37ご視聴ありがとうございました
45:53チャンネル登録よろしくお願いします
45:55ご視聴ありがとうございました

Recommended