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お墓から見たニッポンseason8動乱の時代を生きた証 #3 創られた悪人像 消えた平清盛の墓の謎 2024年8月27日
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00:00日本の長い歴史の中で 幾度となく繰り返されてきた 動乱の時代
00:08そんな動乱の時代だからこそ輝いた 偉人たちのお墓を巡ります
00:14今回は平野清盛 傲慢な悪人のイメージがつきまとう清盛
00:21果たして本当に彼は悪人だったのでしょうか
00:26加藤スペシャル お墓から見た日本
00:29中野先生 今回のテーマはね 動乱の時代を生きた証ということなんですが
00:34動乱の時代 生き抜くために何が必要だったと思います
00:39多くの人はここで実力って言うと思うんですよね
00:42実力だと私も思います
00:44凡人が言うと思うんです
00:47凡人ですいません
00:49凡人であることも大事なんですよ 世の中で目立たず長く生きるのは大事なことです
00:56実力って何の力だと思います?
00:59実力も普通に剣が強いとか 弁学ができるとか
01:05それだとやられちゃうの
01:07一番強い力は人の心を支配する力です
01:12これがあったらどんな時代でも生き延びていける
01:18人の心の中に入り込む
01:22そう思うといろんな偉人が浮かんでくる気もします
01:28平野清盛
01:30武士の世を切り開いた人物でありながら
01:33彼の評価は常に真っ二つに分かれます
01:37一体彼の生涯とは?
01:44清盛の父 忠盛は
01:46貴族社会の中で天皇に直接会うことができる
01:49天上人となった初めての武士
01:54そんな父を幼い頃から見て育った清盛には
01:58いつしか大きな野望が芽生えていました
02:03いつか必ずこの兵器を
02:06天下の頂点に立たせてみせる
02:11少年時代の清盛は武芸の鍛錬に励みながら
02:15同時に工芸社会の作法も学んでいきました
02:20彼は早くから武力だけでなく
02:23政治力の重要性を理解していたのです
02:30清盛が二十代になると
02:32兵士の力は着実に増していきました
02:36方言の乱では御白河天皇について勝利
02:41まだだ
02:43もっと上を目指さねば
02:47兵士の乱では同じ武士としてライバルだった
02:51源義友を破り
02:53一気に武士の頂点に上り詰めたのです
03:02清盛の娘徳子が高倉天皇に嫁ぎ
03:06さらに王子を出産
03:09天皇の外責として兵家の栄華は極みに達しました
03:15そして1167年
03:18清盛はついに大常大臣にまで上り詰めます
03:22武士として前代未聞の出世でした
03:27ついに兵家の天下になったのだ
03:32父親 権力の行き着きは必ず反動を見ます
03:36もう少し慎重に
03:40清盛の耳にはもはやそんな忠告は入りませんでした
03:51その頃朝廷の実質の権力者
03:54後白河法王との対立が深まります
03:58そしてついに法王を遊兵するという傍虚に
04:03あの兵器の清盛め
04:06いずれ天罰が下るである
04:11これには朝廷や貴族も猛反発
04:15兵家にあらずんば人にあらずという言葉が
04:18巷でささやかれたのもこの頃
04:25新しい時代には新しい都が必要だ
04:311180年清盛は突如として
04:34都を福原現在の神戸へ移すことを宣言するのです
04:39これは総都の貿易を促進し
04:42都の経済を潤わせること
04:45しかし
04:54この大事業は都の既得権益者である貴族たちの猛反対にあい
05:00わずか半年で挫折
05:03この失敗は清盛の一心に大きな傷をつけることになったのです
05:13戦都の失敗後
05:15後白河法王による巻き返しが始まり
05:18源の頼朝が挙兵
05:21打倒兵家の機運が一気に高まります
05:27そんな中
05:291181年清盛は熱病に倒れ
05:3263歳でその生涯を閉じました
05:40皇政に作られた兵器物語により
05:43天下の大悪人とまで蔑まれた清盛
05:47しかし彼の残した功績は目覚ましく
05:50その先進的な考えとその取り組みは現在にもつながっているのです
05:57さあ今回もお墓についてより詳しく知るために
06:01墓参らのカジポン丸子山月さんに来ていただきました
06:04今回もいいお天気で墓参り日和ですね
06:08墓参らとは歴史上の偉人の墓をめぐり個人に思いを馳せる人
06:15カジポンさんは37年間で101カ国2520人もの偉人のお墓を訪ねた
06:22筋金入りの墓参ら
06:25今回の偉人平野清盛どういうイメージですか
06:29日本の経済はね作り上げたというくらいですね
06:33いろんなすごいことをやった方なんですよ
06:36ここの大和の泊まりという港ですけども
06:40国際貿易港にしたのが清盛なんです
06:43神戸の人がなんでこんなに清盛に感謝しているのか
06:47秘密がわかるようなお墓だといいですね
06:50いいですねわかるのかと思いましたよ
06:54そしてもう一人千葉商科大学くつきりょう教授
06:59考古学や民俗学の観点からお墓を研究する
07:04庶民のお墓のスペシャリスト
07:07そして先生といえばネクタイ今回は
07:10元平の合戦をイメージしたネクタイになってまして
07:14なすのよいちが扇を射抜いて技を披露するという話がありますね
07:19あれのイメージのネクタイ
07:22タワリがもう詰まってますし
07:24歴史のファンの人からしたらたまらないネクタイ
07:31今日も考古学民俗学そして農科学の視点から
07:35お墓と供養を見ていきます
07:38お墓には家族みんなの思いとエピソードがたくさん詰まっています
07:44この番組では日本人が脈々と受け継いできた
07:48亡くなられた方を思いやる気持ち
07:51忘れてはいけない供養の心を再確認し
07:55亡くなった方との大切なコミュニケーションの場であるお墓を通じて
08:00日本人の心を改めて紐解いていきます
08:05加藤スペシャルお墓から見た日本シーズン8
08:09動乱の時代を生きた証
08:12神戸市兵庫
08:18一行が訪れたのは神戸市兵庫区にある農福寺
08:23実はね私こちら来たことあるんですよこのお寺
08:27えーなんでまた
08:29いやもうねこの大仏が見たくて来たんですよ
08:33すごいでしょだって
08:35めっちゃイケメンですよね
08:36そうなんですよ
08:38なら鎌倉とともに日本三大大仏の一つとも言われている農福寺の大仏
08:46もともとこのお寺は805年西朝により創建され
08:51平野清盛が出家した際の寺であり
08:54ここに葬られているのです
08:57遺言でね京都じゃなくなるんですけども
09:00この農福寺に眠りたいと
09:03それでダビに伏したお坊さんが首から遺骨を持ってですね
09:08下げてここまで来てここに葬ったということです
09:11あるほどもう本当に強い結びつきがある
09:14そうなんですね
09:15でそのお墓はどこに
09:18実はもう通り過ぎてしまったんですけど
09:21さっき大仏来たのでちょっと降りましょう
09:23そちらの方に一回降りますね
09:25はい
09:30見えてきました
09:31こちらの真ん中の13重の石頭が
09:34清盛公のお墓です
09:36こちらもすごく立派ですね
09:40立派ですよね
09:43こちらが平野清盛のお墓
09:46まだ新しいような感じもするのですが
09:49こちらのお墓はどなたが建てたんですか
09:52こちらのお墓は清盛が亡くなって
09:56800年後に再建されたんです
09:58800年後
09:59800年後
10:00というのもですね
10:01最初にここにお墓があったんですけど
10:03平家が都市していくときに焼けてしまったんです
10:06なるほど
10:08納福寺が焼けた後その100年後に
10:11時の執権法上貞時が
10:13平家の運命に悲運を感じ
10:15違う場所に13重の石頭を建てました
10:19以来その場所が清盛のお墓とされていたのですが
10:241980年にこちらに再建しました
10:28ユイゴンではここにというのがユイゴンでしたから
10:31やっぱりこの神戸に住んでいる方たちがですね
10:34神戸発展の基礎を港を作った方ですから
10:37その恩を感じて
10:39ゆかりの場所に本人の希望通りに建ててあげようという
10:43人々の思いがこちらから感じ取られます
10:46なるほど
10:47ちなみにね
10:48口月先生
10:49こちら13重の塔ですけど
10:52形としては何か意味があるんですか
10:55何層にも渡って作られているのを
10:57総塔という30の塔50の塔
11:00全部奇数なんですけれども
11:02どうして奇数なんですか
11:04数には因の数と用の数がありまして
11:07おめでたい方の数が奇数ということもあって
11:11通常は奇数で塔が作られるんですね
11:16中野先生
11:17平野清盛のイメージって悪いなっていうのが
11:20一般的なものだったと思うんですが
11:22そうですね
11:25この国では勝ちすぎると悪者になるんです
11:29もう行きすぎて勝ちすぎちゃうと
11:32冒頭に私人の心を支配する力という風に申し上げたんですけど
11:36例えばね
11:37織田信長だってマジ大枠になりますけれども
11:40あの人も人の心を支配するのに失敗しました
11:44この国では強すぎるとみんなついてこなくなる
11:48難しいですね
11:49でも強すぎないとなんかこう
11:52これだけのことを例えばね
11:55まだ人があまりいなかった神戸の発展の源を築くって
12:00それは大変なことですよ
12:01たくさんの人の力が必要だったし
12:04それだけやっぱり慕われた人だったと思うけれども
12:06彼はやりすぎた
12:08清盛はやりすぎて800年経たなければ
12:11その実績を検証されなかったんです
12:14それに800年かかるぐらい強すぎたんですよ
12:17なるほど
12:19でもよかったですね
12:21800年超えてもそう気付かれて
12:23そうですよね
12:24それがお墓という形で現れてね
12:27きれいに整備してもらってね
12:29その当時の人の思いっていうのもあるんですけど
12:32それをまた時を経て浄化されるというかね
12:37悪いところはだんだん忘れられていきながら
12:41いい面が再評価されていくっていうのは
12:44素晴らしいなと思いますよね
12:46時間を経てその業績の素晴らしさを
12:48私たちがこうやって番組で取り上げて
12:51検証していくっていうのも目標の一つじゃないですかね
12:55その通りですよね
12:56この番組を見た人が
12:58平野清盛ってそんなことしてくれたんだって
13:00お墓あるんだ行ってみようって思ってくださるとね
13:03嬉しいですよね
13:05でもカジフォンさんせっかくですから
13:07平野清盛さんとお話しなさってください
13:09私この20年ぶりですからすごく楽しみです
13:12お久しぶりですね
13:13お久しぶりです
13:15墓参らカジフォンさんの独特のお参り方法
13:19墓石に直接触れ感謝を伝えるソウルトーク
13:28最初に本当によかったですね
13:30あと後々800年後にこうやって
13:33地元の人たちが建ててくれるっていうのは
13:35本当に喜んでると思います
13:37どんどんイメージ変わって
13:39最近は清盛がいい方になってきてますよと報告しました
13:43墓はですね、持ってきた写真は
13:45平家の一族ってね
13:47お墓があちこちバラバラに散らばってるんですよ
13:50奥さんの栃子は山口の田の裏で
13:54県外まで前回シリーズで来ましたね
13:56京都です
13:57長男の重森は茨城県なんですよ
14:00友森は三重県です
14:02バラバラなので
14:04850年ぶりに一家壇覧してくださると
14:07彼もファミリーを大事にしていたので
14:10それは喜んでいらっしゃるでしょうね
14:13素敵ですね
14:17続いて
14:18動乱の時代に巻き込まれた庶民たちが
14:21どう生きたのか
14:23庶民のお墓を通して探ります
14:26さあ、くつき先生
14:27今回の庶民のお墓は?
14:29ちょうど江戸の幕末の頃ですね
14:34尊老上位運動が盛んになってきて
14:37東北運動とかが始まっている
14:39そんな時期なんですね
14:41そういう時期でもですね
14:43庶民の人たちは生きていくために
14:45勉強宣談というのがあって
14:47庶民の人たちの間でも
14:50寺小屋という形で
14:52教育が浸透していった
14:54そんな時代ですよね
14:55寺小屋ブーム
14:56はい、そんなブームの時代です
14:58じゃあその時代のお墓見に行くんですね
15:01そうですね
15:02師匠とかそういった人たちに対するですね
15:06弟子の思いというのがよく伝わる
15:09そんなお墓をご案内したいと思います
15:12寺小屋の師弟の関係・絆が分かるお墓とは?
15:18訪れたのは大阪富田林にある墓地
15:22そう、富田林市の墓地にやってきましたね
15:26この近くにですね
15:28富田林といえば地内町といって
15:314つの村が集まってできた
15:35宗教都市として栄えていったんですね
15:39近世に入ると農村のさまざまな需要に応えられるような
15:44在郷町って言うんですけど
15:46商業の都市として栄えたところですね
15:49こんなところに寺小屋のブームもあったんですね
15:52そうですね
15:53やっぱり商人として必要な知識を身につけていく
15:57読み書きそろばんができないとダメですから
16:00そういう意味ですごく栄えていった
16:02そんな町とそれに付随する墓地ということになります
16:06その寺小屋では男子も女子も勉強してました?
16:10そうですね
16:11女子の方がやっぱり少なくはあるんですけれども
16:14でも男子も女子も勉強していたということは分かっていますし
16:17商人たちがある程度お金稼いでましたから
16:20女の子にもちゃんと教育を受けさせようという
16:23そういう雰囲気があったんだと思いますよね
16:25都市としては珍しいですよね
16:27そうですね
16:28そうなんだ
16:30それを裏付ける資料も残っており
16:33こちらは慶応三年に土居垣という女児が書き残した
16:37皿描きと呼ばれる師匠からの教えを清書したもの
16:42この内容を見ると
16:44男子と同じような高度な計算などを学んでいたことが分かるのです
16:50今回は寺小屋に関するお墓なんですね?
16:52はい
16:53筆小塚っていうそういうお墓があるんですよ
16:56筆小塚?
16:57筆小塚
16:58見ていただきたいなと思ったのはこちらのお墓なんですね
17:02かなり年季が入ったようなお墓ですね
17:05これが筆小塚になります
17:08こちらが筆小塚
17:10先生そもそも筆小塚というのは何なんですか?
17:13寺小屋の師匠が亡くなった時に
17:17弟子たちがお金を出し合って師匠のために建てたお墓
17:21そういうのを筆小塚って言うんですね
17:23なるほど
17:24師匠を思って建てたお墓のことをそう言うんですね
17:28みなさんそういうお墓を作ってたんですか?
17:30そうですね
17:31富田林には56ものの寺小屋があったということですから
17:37結構実はこの墓地だけでなく市内の墓地にも
17:41たくさん筆小塚ってあるんです
17:43だからこれだけ1個じゃなくて他にもたくさんあるんです
17:46そういう文化だったんですね
17:48どこからこちらが筆小塚というか筆小塚の特徴って?
17:51そうですね
17:52特徴から言うと
17:54まずはここにですね
17:57久保先生の墓という風に書いてあるんですけど
18:01先生って思ってる人たちが建てたんだと分かりますよね
18:05だからもう一つはここに
18:07北起人と書いてあるので
18:09人の名前がたくさん書いてありますから
18:12下にも書いてあるので
18:14寄せ集まって建てたんだっていうのも分かりますよね
18:18最後にここに門神柱という風に書かれているんですよ
18:22つまり門手・門神の人たちが集まって建てました
18:27っていうのがこれだけはっきり分かるので
18:29みんなでお金を出し合って
18:31お城になった師匠のお墓を建てたというのは
18:35とてもいい関係が
18:37素晴らしい関係がそこにあったのでしょうね
18:40師匠に対する思いみたいなものが
18:42このお墓を作ったという風に言えると思いますし
18:46この久保先生っていう先生なんですけれども
18:50この人は慶応年間から明治5年ぐらいまでの間
18:55地内町ですね
18:57神文堂というですね
18:59寺小屋を営んでいた施設になっているのが分かっています
19:02実はお弟子さんが150人いたってことが分かっています
19:05150人ですか
19:07結構大きい規模の寺小屋だったんですね
19:09そうなんですね
19:10で明治9年の12月に亡くなられたんで
19:14その門下生が北起人となって
19:17みんなで作ったお墓なんですね
19:21で後ろの方にはですね
19:23自生の雲を実は刻まれていたりするんですね
19:28ここの後ろのところに
19:29自生の雲をちゃんとお墓に残されてる
19:32そうなんですよ
19:35今朝よりは心地ぞ清き西へ吹く
19:39風に浮世の雲を払いて
19:43浮世の嫌なことをすべて忘れて心晴れ晴れとして
19:48極楽浄土へと向かう道には
19:50雲ひとつないことを歌っており
19:53寺小屋で次世代を担う子供たちを育て上げた
19:57達成感が滲み出ている自生の区
20:02なんかあの寺小屋の生徒さんの机というか
20:05踏み続けるのようにも見えますね
20:07確かに
20:08そうなんです
20:09ここのすごいところよく気がつかれたなと思うんですけど
20:11線がこう
20:13お墓に込められた指定の絆とは?
20:17寺小屋っぽい!
20:21なんかあの寺小屋の生徒さんの机というか
20:24踏み続けるのようにも見えますね
20:26確かに
20:27そうなんです
20:28これが机になってて
20:30実は上の部分が
20:31これは和と字の本になってるんですよ
20:35和と字の本ってこうひもがかかってるんですけど
20:39ここにページになるように線がこう
20:44こう開くようなものになってるんですね
20:47寺小屋っぽい!
20:49それでいっぱい墓の上に線が入ってるんですね
20:53だからそういう意味で
20:55踏みづくえの上に本が立ってて置いてある
20:58なんかもう師匠への愛が爆発してますね
21:01そうですよね
21:02儲か生がこの勉強をしたんだよっていうのを
21:05ちゃんとお墓に込めた感じがしますね
21:08中野先生
21:09師匠と文化生の関係は
21:11能科学的に考えるとどういうものだったんですかね?
21:15子供の頃から大人になるのに
21:18能が生まれ変わるような変化があるタイミング
21:21っていうのがいくつかあるんですよ
21:23それがちょうど寺小屋に子供がいるぐらいの時期
21:27早い子は7歳ぐらいから
21:29私は春季の始まりから終わりぐらいまで
21:33がその時期にあたるんですね
21:35ちょうどその時期は生まれ変わるような時期だから
21:39その時期に一番影響を得た人に
21:42その人生も影響されることになるんです
21:45なるほど
21:46という意味では親以上の影響というかな
21:51自分を作った人を傷む気持ち
21:54っていうのがすごく現れている気がしますね
22:06加藤スペシャルお墓から見た日本
22:09さあ最終回となりましたけれども
22:11道羅の時代であっても
22:13庶民であれ誰であれ
22:15みんな生きていかなきゃいけないんですよね
22:17だからその生きついかなきゃならない時に
22:19やっぱりか弱い存在である私たちが
22:22どうやって生きていこうかっていった時に
22:24意識したのが仲間であったりとか
22:27あるいは指定関係だとか
22:29そういったその人間関係の中で
22:31何とか生き抜いていこうという
22:33そういう気持ちで
22:35助け合っていたんだと思うんですね
22:37そういったようなもののその一部が
22:40庶民のほかにも感じられると
22:42よかったかなというふうに思うんですが
22:44道羅の時代というのは
22:45ルール変更が頻繁に起こる時代なんですよね
22:48ルールの変更がいっぱいあると
22:50そんなはずじゃなかったのに
22:52ということで人々は動揺するんですけれども
22:54その動揺する姿がやっぱり絆を求めたりとかね
23:00じゃあ絆のほかには何が頼りになるんだろうって
23:03あがく人の姿をお墓に刻まれている
23:08っていうのを今回は
23:10尋ねることができたなっていう思いがしまして
23:14お胸がいっぱいになりましたね
23:16お二人のお話を聞いていると本当に
23:18仲間とか師匠という存在が
23:21人間強くしてくれるんだな
23:23支えになるんだなって思いますよね
23:25カチポンさんいかがでした?
23:27この一緒にその時代を生きた
23:29師匠とか仲間の存在が
23:31とても大きいということが分かりました
23:34だからみんなでお互い励ましあってきた
23:38どう生きたかということが
23:40お墓の形となって
23:43今に残っているというのは素晴らしいことですね
23:45改めて自分の恩師や仲間たちの墓に
23:49もう一度お墓参りに行きたくなりました
23:53みなさんもお墓参りの時期に
23:55親族はもちろんですけど仲間だったり
23:58尊敬する人のお墓にも足を運んでみると
24:01あったかい気持ちになるかもしれませんね

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