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00:00韓国東京コーナー
00:06韓国東京コーナー
00:11韓国東京コーナー
00:15我々は
00:18西域という言葉にも
00:20シルクロードという言葉にも
00:22ポエジーを感じますけれども
00:24天山という言葉にはやっぱり
00:27ポエイジ異常の何か人間を育むもの、もしくはあらゆる生物を育むものという感じがします。
00:35今ちょうど足元にタルバガンという砂漠草原のネズミ、リスみたいな格好したやつですが、
00:443匹ほどパッパッと飛んでおりましたが、それをみんな天山の陰で育っております。
00:49常に氷河を持っておりまして、常にこの水をふもとに流しておって、
00:58緑の絨毯を敷いたような草原を作っておってくれる。
01:04天山のおかげで人間と生物がずいぶん暮らしていけるわけであります。
01:11歴史を題材とした数多くの長編小説を手掛けた柴良太郎。
01:16彼はまた旅する作家でもあった。
01:20シバはその旅を街道を行くという41巻のシリーズに綴っている。
01:4725年の長きにわたり、日本全国、そして世界の各地にその足跡を残した。
01:56シバは旅の先々で、民族とは、国家とは、そして文明とは何かを問い続けた。
02:04ご視聴ありがとうございました。
02:34僕はシバ先生の作品の一人の読者ではありました。
02:57それと幸いなことに、およそ10年ほど前からシバ先生の本を作ることに関わらせていただきました。
03:07今日はシバ先生と20数年にわたって、ご交流を深めてこられました。
03:16民族学者の松原正武先生に、シバ先生のいわば文明史家としての側面といいますか、
03:26そうしたことについてお話を伺えればと思います。
03:31シバさんは、後にと申しますか、50代に入ってから、非常に広く世界を旅することになっていくんですけれど、
03:45私はやはりもともとシバさん自身、いろいろな意味で旅をずっと続けていったといいますかね。
03:56大学を選択されるときに、モンゴル語かというか、モンゴル語を選択されたんですね、大阪語の。
04:04あのとき冗談をめかして友達に、私は馬族になるんだというふうに言われたというふうに伝えられておりますけれど、
04:15もうそのときからおそらく旅というか、いろいろな旅が始まっていて、
04:21シバさん自身、子供の頃のことを私自身も直接お聞きしたけれど、
04:27無双化で、授業といいますか、あまり教育にはうまいことはまらなかったと、
04:33常に空想というか、空想の世界というところで遊んでいたんだという。
04:41これはやっぱりおそらく旅をしていたんだろうと思うんですね。
04:46それで、シバさんのずっと一群の作品というのは、ある意味では文献を読み解く仕事なわけですけれど、
04:58これはもう時間を超えた旅をしょっちゅう繰り返していて、
05:02それが、後には具体的な形で世界を旅するというか。
05:10シバ・リョウ太郎の旅は、いつも訪れる地域に関する文献を読み込むことから始まった。
05:23時には、100冊以上の本を神田の古本屋から取り寄せることもあったという。
05:29シバの関心は、旅先の歴史、地理から言語、文学、そして人々の生活文化にまで及んだ。
05:45自らを無双家と呼んだシバは、書斎で資料を読み解きながら、空想の旅に身を委ねた。
05:59そうした営みは、時として数年間も続けられたのである。
06:17実際の旅は、書斎で深められた試作を確認する作業であった。
06:22シバは、好んで現地の風景をスケッチしている。
06:36対話的手法というか、対話的機構文と言ってもいいんですけれども、
06:46行く前に十分、シバさんは知識を仕込まれる。
06:51非常に準備をされるわけですね。
06:54だから行くときは、全く手ぶらで、自分が今仕入れたことを、
06:59自分なり、いくつかの現地でいくつかのものを見て、
07:05風に吹かれながらそれを考えていきたい。
07:08あるいは確認したい。
07:10イメージを膨らませたい。
07:11イメージを固定させたいというスタイルなんですよね。
07:16そのときに、当然、同行の編集者がいますけれども、
07:20それだけではなくて、必ず、例えば郷土地下のような人、
07:26あるいはその土地について、詳しい、土地っ子のような人、
07:31さらには考古学者とか、民族学者とかね、
07:38そういうややプロフェッショナルな人を、
07:41必ず同行していただくというか、一緒に行きませんかとか、
07:47ちょっと話を聞かせてくれませんかというような形で、
07:51同行していただくわけですね。
07:53それは、編集者も、そういうやや共同士家的な人たちもそうですが、
07:59そういう人たちとの対話を通しながらですね、
08:04なるべく自分なりのイメージというか、知識というものを少し膨らましたい。
08:10あるいは、そういう形で確認したいという形ですね。
08:14独特のだから、対話的な手法を入れて、
08:18言うならば、複元的になっていくわけですよね。
08:22その土地や、その土地にまつわる歴史や、
08:27あるいは人や、なんか見るときにね、
08:30複元的になる手法というものを、
08:33そこでね、お作りになったんだと思いますね。
08:40柴良太郎の旅の原点は、モンゴルへの思いにあった。
08:47少年時代から、中国偏狂の民族に憧れ、
08:51自ら、モンゴルの大草原に立つことを夢見たという。
09:00進学先に大阪外国語大学のモンゴル語学科を選んだのも、
09:05そうした夢を、いつかは実現したいという思いからだった。
09:10大草原の中で、大草原の中でパオに住んでみたいと、
09:23バスサウナの空の下で、
09:25このゴミのようにして、
09:27自分の存在を考えてみたいということが、
09:30まず最初でしょう。
09:32そして、その、それにはものすごい深い歴史があって、
09:35その歴史の中にはね、
09:37我々が思っている文物だとか、文化だとか、
09:41音楽だとか、演劇だとかってないわけで、
09:46ないからすごいっていう感じね。
09:49ないという文明がすごいじゃないかと。
09:52それはもう、深い青空のように真っ青な大空間のような文明というのが、
10:01どうもモンゴルへ、そういうものを感じると、
10:04スーッと吸い込まれていく感じがするんじゃないですか。
10:07そうした芝が、実際に初めてモンゴルの地に足を踏み入れたのは、
10:181973年、50歳の時のことであった。
10:28その旅の記録は、街道を行くモンゴル気候にまとめられた。
10:34その中で芝は、五尾砂漠に立った時の感動を語っている。
10:46この旅で芝は、「有僕も一つの文明である。」という自説への確信を深めた。
10:54やっぱり、なんていうのかな、
11:01文明というものは、余分なものを持たないことが、という知恵も大事なんだと。
11:09余分なものを持つという、つまり、
11:12クーラーを荷台持ってる、テレビを荷台持ってる、
11:15テレビを荷台持ってる、という暮らしというものよりも、
11:20人間の内臓のように、あるいは機械のように余分なものはない。
11:24そして、全てが作動しておるという暮らしの方が、
11:29やはり、人間の暮らしとしては潔くて、きれいで、清潔で、
11:35なんか、そういうものが持ってる威厳のようなものを、
11:42モンゴル人に感じますね。
11:52ともかく、50歳になって、
11:56芝先生の言葉ですと、
11:59少年の日の憧れ、そして夢、それが実現されるということになって、
12:07大草原に立つということになるわけですね。
12:10芝先生が、なぜ、モンゴルを目指したのかというのは、
12:16シンプルな質問ですけれども。
12:18明らかに、大阪外語のモンゴル語化というのを選択されたときに、
12:24すでにやっぱり芝さん自身、かなり、はっきりした決意があったんではないかと。
12:33どこかに書かれた言葉で、それは出てますけれど、
12:39モンゴル語を選択して、
12:42それで、その当時、モンゴル語を習得していると、
12:45外務省に入りやすくて、外務省の試験が優しくて、
12:48芝さんはだから、外務省の外交官になって、
12:54辺境の領事館に勤めて、
12:57それで30になったら小説を書き始めたいと。
13:02それで、その小説はやはり、
13:05長城というものを境にした、
13:09遊牧民が、農耕民が、
13:12この悲しみというか、それをやはり、
13:17描きたいんだということを、
13:21私もちらっとそれはお聞きしたし、おっしゃってましたね。
13:27それで、やはりそれが、
13:29ずっと芝さんを、
13:32あれだけ膨大な作品を描いていく、
13:35こう、エネルギーを、この、
13:38突き動かしていくような、
13:40この、エネルギーのもと、
13:43ではないかなというふうに、
13:45私は推察しているわけです。
13:48やはり、遊牧という世界は、
13:51これは、およそ、
13:53えー、
13:57透明という、透明度の高い、
14:00非常に透明度の高い世界なんですね。
14:01その、ややこしい、
14:04一味猛量とかですね、
14:06そういうものが、
14:08立ち上がられない世界といいますか、
14:10生活そのものがシンプルで、
14:12持つものは、もう制限されているわけですしね。
14:15それから、
14:17移動していった後には、ほとんどは、
14:19何も残さない。
14:21ですから、歴史的な、
14:23痕跡というものを、ほとんど残さずに、
14:26消え去っていくというか、
14:28まあ、私自身、やはり、
14:29風のような、
14:32生活の仕方といいますか、
14:35そういう、
14:36人たちの集団だなというふうに、
14:38本当に実感したんです。
14:40おそらく、
14:42柴山自身が引き付けられた、
14:44当時ですね、
14:46引き付けられたのも、
14:48そういう透明度のある世界に対する、
14:52共感といいますか、
14:53その、
14:56それが大きかったんではないかなというふうに、
14:59思っています。
15:023月10日、
15:04大阪市内のホテルで、
15:06柴良太郎さんを贈る会が開かれた。
15:09モンゴル草原の、
15:10かぐわしい花の匂いが、
15:12満ちていることでしょう。
15:14ご視聴ありがとうございました。
15:15ご視聴ありがとうございました。
15:16ご視聴ありがとうございました。
15:22当日、
15:24会場に足を運んだ人は、
15:263300人。
15:28その参列者の中に、
15:30一人のモンゴル人女性の姿があった。
15:32チェベクマさん、
15:37柴の二度のモンゴルへの旅で、
15:40通訳を務めた人物である。
15:49柴は、
15:51チェベクマさんの繊細な人柄、
15:53そして、
15:55ソ連、中国、モンゴルと、
15:57国籍を転々とした、
15:58数奇な運命に惹かれていった。
16:08草原の木。
16:10柴は、
16:12チェベクマさんの繁盛を通じて、
16:14モンゴルが歩んだ激動の現代史を描いたのである。
16:21中国にいたチェベクマさんは、
16:24文化大革命の迫害を逃れ、
16:26娘と共に国境を越え、
16:29やがて、
16:30モンゴル国籍を得た。
16:32行き別れとなった夫と再会したのは、
16:3526年後のことである。
16:37しかし、
16:39その数ヶ月後、
16:41夫は、
16:42チェベクマさんと娘に見取られて、
16:45生き絶えた。
16:47悪く生きるよりもよく死ね、
16:50ということわざがモンゴルにあります。
16:52夫の生涯を振り返って、
16:55そのことわざ通りだったと思っています。
16:58と、チェベクマさんが言った。
17:01悪く生きるとは、
17:03辛く生きるということだろう。
17:05よく死ぬというのは、
17:0726年間、
17:08生き別れしていた妻子に再会し、
17:112人に見取られて死んだ、
17:13ということかと思われる。
17:15チェベクマさんの人生は大きいですね、
17:18と私が言うと、
17:20彼女は切り返すように答えた。
17:22私のは、
17:24希望だけの人生です。
17:26私の人生の、
17:28希望だけの人生ですよ。
17:30先生と言ったら、
17:32先生がね、
17:34いろいろ考えているような感じでね。
17:39で、やっぱり感じたから、
17:42草原抜きに、
17:44私の話をそのままにお書きになられていることは、
17:47私に対しては、
17:49本当に、やっぱり、
17:50ありがたいと思っています。
17:59辺境に暮らす、
18:01遊牧の民を、
18:03こよなく愛した柴良太郎。
18:06その旅は、
18:08やがて、
18:10シルクロードへと広がっていった。
18:211980年7月、
18:27柴は、
18:29NHK特集、
18:31シルクロードの取材で、
18:33中国の新疆、ウイグル自治区を訪れた。
18:37この日の課題を、
18:39抜け止めていて、
18:41車両は、
18:43歓迎の上がり、
18:45活動にあるように、
18:47漢字の橋を置いて、
18:49、
18:53大の暖くなるように、
18:55暖くなるように、
18:56暖くなるように、
19:00暖くなるように、
19:02おやすみなさい。
19:32おやすみなさい。
20:02おやすみなさい。
20:32おやすみなさい。
21:00おやすみなさい。
21:30おやすみなさい。
21:32おやすみなさい。
21:34おやすみなさい。
21:36おやすみなさい。
21:38おやすみなさい。
21:40おやすみなさい。
21:42おやすみなさい。
22:12しばは、
22:42しばは、
22:44おやすみなさい。
22:46おやすみなさい。
22:48おやすみなさい。
22:50おやすみなさい。
22:52おやすみなさい。
22:54おやすみなさい。
22:56おやすみなさい。
22:58おやすみなさい。
23:00おやすみなさい。
23:02おやすみなさい。
23:04おやすみなさい。
23:06おやすみなさい。
23:08おやすみなさい。
23:10おやすみなさい。
23:12おやすみなさい。
23:14おやすみなさい。
23:16おやすみなさい。
23:18おやすみなさい。
23:20おやすみなさい。
23:22おやすみなさい。
23:24おやすみなさい。
23:26おやすみなさい。
23:28おやすみなさい。
23:30おやすみなさい。
23:32おやすみなさい。
23:34おやすみなさい。
23:36おやすみなさい。
23:38突き詰めていったときにやっぱり柴さん自身の立場で言えば
23:43やはりモンゴルなり遺族でもそうでしょうし
23:49ウイグルでもそうでしょうけれど
23:51それぞれの個別性というものの
23:55そういう個別性の主張というものはやはり残すべきだという
24:00そのすべて漢族ということになるのはやはり少しおかしいのではないかというか
24:11ある意味では中華市場主義についての疑問というものは
24:20ずっと持たれていたんじゃないかなと思いますね
24:23それでやはり柴さんはいろんなところで
24:27やっぱり遊牧も一つの文明であるという表現をされているんです
24:31そういう一つの文明のシステムというものも
24:36やはり認めるべきだという主張ですね
24:41民族とは国家とはそして文明とは何かを問い続けた柴良太郎
24:51その関心はアメリカへも向けられた
24:5720世紀の実験国家アメリカに文明と文化の関係を見ようとしたのである
25:04柴が注目したのは韓国やベトナムといった新しい移民社会
25:14そして独自の文化を堅くなに守るアイリッシュの姿であった
25:19柴は文明という普遍的なものが
25:23異なる文化を持った多くの民族を結びつけている
25:27それがアメリカという国家なのだと考えた
25:32その旅はアメリカ祖病にまとめられた
25:41柴さんの表現は確かおでん鍋ですね
25:50それぞれの素材がくっつきあっている
25:56だからルツボではないと
25:58よく人種のルツボと言われますけど
26:01ルツボじゃなくてそれぞれがこの
26:02個を持ちながら
26:05それで何か
26:08その一つのまとまりとして何か
26:12共通項として文明があるのではないかと
26:15いいようなことで
26:17やはりこの移民という
26:22もともとの移民の国ですからね
26:25そういうことが非常に面白いられて
26:30特にアイルランドなんかはですね
26:32たまたまニューヨークで泊まったホテルのそばに
26:35センターパトリック人員という
26:37カトリックの象徴的な大人員がありまして
26:41そこの石畳によく柴さんは
26:45散歩の帰りなどにですね
26:48座ってじーっと
26:50柴さんという方は風景見るより
26:53人間見た方が楽しいんやということでね
26:58とにかくぼんやり街角に座って
27:01人々の生き返りを見ているだけで
27:04もう退屈しないという方ですから
27:06アメリカ人がよく自国のことを
27:11ザ・ステイツと呼んでいることに
27:13関心があった
27:14合衆国という簡略語である
27:17と言ってしまえばそれでしまいだが
27:20私の感覚には
27:22互換として
27:23私の人工的な国家は
27:25と言っているようについ響いてしまう
27:29法で作られたる国という響きである
27:32言い換えれば
27:34文明という人工で出来上がった国という
27:37言葉に違いない
27:38逆に言えば
27:40韓国やアイルランドや日本のように
27:43文化の累積で出来上がった国は
27:45ステイツではない
27:47人間は群れてしか生存できない
27:52その集団を支えているものが
27:54文明と文化である
27:56文明は
27:58誰もが参加できる普遍的なもの
28:01合理的なもの機能的なものを指すのに対し
28:04文化はむしろ不合理なものであり
28:07特定の集団においてのみ通用する
28:11特殊なものである
28:12アメリカ素描という作品が
28:15割と好きな作品の一つなんですけれども
28:21この中で文明と文化という
28:26柴先生独特のコンセプトを出されていますね
28:31先生は人類学者でいらっしゃいますけれども
28:34柴先生のお考え方に対しては
28:39どんなふうに思われますか
28:40柴先生自身
28:43詳しい定義をされているわけではないんですけれども
28:48いくつかのところに文明というものはやはり
28:51一つの普遍原理
28:53文化というものはいわば個別性
28:57そういう定義を付けされて
29:00私はその通りだと思うんですね
29:03ある意味ではやっぱり20世紀というものを
29:0819世紀から20世紀を代表するような
29:13やはり新しい文明の形成の地という
29:17アメリカというものを実地に見てみようということで
29:25かなりというか相当意欲的といいますかね
29:32かなり柴先生自身
29:35気を張ってやはり行かれたんじゃないかなという感じがしますね
29:44柴先生自身のやはり関心は
29:48やはりこの新しい文明といいますか
29:50アメリカで形成されつつ
29:53そのあるというか
29:56アメリカンウェイオーライフというか
30:01アメリカ的生活様式というものを
30:04やはり
30:06戦争の相手国ということもあったでしょうし
30:10これから21世紀ということを考えたときに
30:14実際自分の目で確かめておきたいということが
30:17おそらく終わりになって
30:20実際に行かれたんだろうと思うんですけれども
30:26移民の国家として
30:29かなり実験国家として作られて
30:33まだ形成途中だと私も思います
30:37この実験が本当にうまくいくのかどうかということについて
30:42かなり
30:44あからさまに書かれてはないけれども
30:48やっぱりかなり危惧と
30:50その危うさというものを感じられているんじゃないかなというふうに
30:56私自身は思いました
30:57柴良太郎の民族とは国家とは
31:09そして文明とは何かを問うたび
31:12それはヨーロッパへと広がっていった
31:16芝が特に興味を持ったのはスペインのバスク地方
31:32そしてアイルランドという
31:35抑圧と抵抗の歴史を持つ地域であった
31:39ピレーネ山脈の深い山合いにあるバスク地方
31:48そこに住む人々は完全に独立した言語を持ち
31:54伝統的な文化風習を守り続けている
31:59スペイン内戦の時には
32:06フランコの軍事政権によって武力で弾圧された
32:11バスク民族の自由と自治を求める動きは
32:16力で封じ込められたのである
32:19その悲劇をピカソは大作ゲルニカに描いている
32:36私は国家というものについて考えている
32:43国家は19世紀の遺物だというのが
32:48現在のバスク運動家たちの考えである
32:51バスクは古代でも中世でも民族国家を形成しなかった
32:57形成せずともピレーネの豊かな自然の中で
33:01暮らしに不自由はなかったのである
33:03フランス革命以来国家は重くなった
33:10スペインにおいて極端な自由国家を作った
33:14フランコの時代
33:15バスク人たちは初めて相対的に
33:19自分たちが少数民族であることに
33:21気づかされてしまった
33:23いわば国家が少数民族を生産した
33:27一方アイルランドは
33:43イギリスの植民地として
33:45虐げられた長い歴史を持っている
33:48迫害と抑圧に耐え抜いたアイルランドは
33:521922年ようやく独立を勝ち取った
33:58しかし独立後も北部アイルランドは
34:12イギリス領として残り
34:14今日なおテロを含めた激しい繁栄運動が
34:19続けられている
34:20国家とは国民の誇りと希望の源泉でもある
34:30このことは地味どろな繁栄抵抗の結果
34:3420世紀の半ば近くになって
34:37ようやくアイルランド共和国を成立させた
34:41この国の人々が彼よりも知っているはずである
34:44逆に言えば国家が今世紀の歴史段階においては
34:50最大の価値でありかつ贅沢なものなのである
34:54アイルランド人たちは血を流して
34:59その誇りと希望の源泉を手にしたのだ
35:03ピカソのゲルニカで知られるバスク地方ですね
35:12ここにも千葉先生足跡を残されているわけですけれども
35:18バスクという抵抗の民族といったらいいんでしょうか
35:24そうした民族に対する眼差しというのも
35:28これまた独特の見方と言いましょうかね
35:32持っておられますね
35:33島さんが行きたい場所というか
35:37その3つあるって
35:39バスク、アイルランド、ハンガリーと挙げられたわけですけれど
35:44これ3つの挙げられたものに共通していることが
35:56いくつかあると思うんですね
35:57バスク自身は最終的に言いますと
36:02現在でも国家を持っていないわけですね
36:04アイルランドは非常に右翼曲折を経ながらですけれど
36:10非常に苦しみの中でアイルランドという国を作って
36:16ただなお北アイルランドというのはイングランドに属していて
36:21アイルランドの国の中には入っていないわけです
36:25だからいずれも歴史の中で翻弄され
36:30ながら一つの筋といいます
36:36それぞれの国なり民族が持っている筋を主張しながら
36:43生きてきたというか
36:45最近覚えた言葉だというふうに照れながらおっしゃっていた
36:49島先生の言葉ですけれども
36:52エスノセントリズムというふうなことを言っていて
36:57そのことについて一つの考えを持っていたようですけれども
37:02やっぱりそれは民族と国家の問題ということに
37:07常に軸を置かれて考えておられたんだなというふうに思うんですけれども
37:12ですから現在といいますか
37:16これから21世紀にかけて
37:19この問題はやっぱり一番重い課題になってくると思うんですよね
37:25エスノセントリズムというか民族の主張という問題です
37:30それで融合という国が壊れた後
37:38本当にひどい争いが起こったわけですし
37:44レバノンというところでもそれは起こっているし
37:48現在でも進行形でいくつかの
37:50チェチェンにしろ
37:52いくつかの非常に解決の糸口がないような争い
37:58民族間の争いということが起こっているし
38:01これからもおそらく起こるだろうと思うんですけれど
38:04だからここについてこの争いというものは
38:09ほとんどやはりある意味ではこれ
38:12感情の問題が非常に大きいわけですね
38:17ですからそういう感情をなだめるためといいますか
38:21感情を一つ落ち着かせるためには
38:26歴史というものを見据えなければならないといいますか
38:31柴さん自身やはりずっとそれは
38:34思い詰めておられたんじゃないかなと思うんですね
38:37モンゴルの遊牧の民への思いを原点に
38:44柴良太郎の旅はこの書斎から始まった
38:49柴の旅は文献を通じた空想の旅の中で成熟し
39:01実際に現地に立つことで完成されたのである
39:05柴はその旅の記録を
39:15街道を行くをはじめとする膨大な作品に残した
39:20そのいずれもが過去と現在との対話を通じて
39:29未来を見つめている
39:31柴先生にとって旅での出会い
39:41あるいは確認
39:43様々なことがあると思うんですけども
39:45柴先生の旅をどんなふうにお考えになりますか
39:51とにかく書斎で資料を調べる中からいろいろ
39:59暮らしているという中で常に旅をしていた
40:07それは歴史的な時間を超えて地域を超えて
40:13常にあっち行ったりこっち行ったりしながら旅をしていて
40:18それで島さん自身と中国3回ほどご一緒しましたけれど
40:28街道を行くという
40:3020ほとんど四半世紀に渡る
40:36そうなのね
40:36作品もそうですけれど
40:42ほとんど実際に出かける前に
40:46その地域それから人々のこと歴史ということを
40:52調べ尽くしていかれているわけですね
40:57ですから柴さんはもう
41:00だから常に旅をしていたと思うんです
41:03頭の中で旅をしていた
41:04やはり柴先生という人の作品を見ながら
41:11自分のペンネームを考えられたという
41:14有名な話といいますか
41:17それはある通り
41:20柴先生という人はあの当時の状況の中で
41:25本当にくまなくといいますかね
41:29歩ける限りですけれど旅をしていますね
41:33そして土地の頃に木書きをして
41:37院の本木とか院本木とかいろいろな歴史記録を掘り起こしていって
41:44それを記録していくという
41:45そういう作業をされて
41:46柴先生も自身していると思うんです
41:49だからある意味では
41:52柴先生のその方法ということを
41:57やはり自らやはり
42:00実践されたというか
42:04そういうところもあるんじゃないかな
42:06という思いますね
42:08突き詰めて言えばやっぱりこの非常に
42:1220世紀の激動
42:16本当に激動の歴史だったと思いますけれど
42:19それをきちんとやっぱり
42:23残しておこうというか記録しておこうという
42:26もちろんこれ柴先生と違って
42:30皇帝に命令されたわけではないですけれど
42:33非常に内発的な
42:35それだからこそやっぱり非常に
42:39内実がこもった活動といいますか
42:43そういう作品を残していけたんだろうと
42:46ですからそういう意味では
42:48同時代
42:50私たち本当に同時代を共有できたということは
42:54本当にこれはありがたいことですね
42:58柴良太郎は旅する作家であった
43:06その旅は民族国家そして文明という
43:12人類社会が直面している課題の行方を
43:16見定めようとする営みだったのである
43:28ご視聴ありがとうございました
43:58ご視聴ありがとうございました