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  • 6 日前
トランスクリプション
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04:29この平能分離の政策は
04:31豊臣政権によってさらに進められ
04:34独特の規律と精神文化が
04:37武士階級の中に育っていくことになった
04:40地侠の中に一番目の辞異軍の中部の中辺の中途中である вот
04:46地侠の一部を正野として武士と農民の仲介役にする政策を取ったのも秀吉であった
04:54吉であった 庄屋もまた時代の動きを敏感に感じ取る階級だったのである
05:07まあさつまと長州ととさとをして今の坂犬の 日前ということになってますが
05:19このその薩摩の薩摩の連中がみんな東京に出てきたわけじゃなくて その東京にの
05:30新政府に使えた人はその一部だったわけで国に残ってる人もある これは不満ですよね
05:38東京に出て随分会員として歯振りがいいらしいと すごい権力だったですから
05:44それは日本史上最大の権力 その徳川幕府のなんてもんじゃなくて
05:52なんといっても明治10年までのたった10年間で やった仕事以来だいたい今の日本国の基礎が
06:01そういうできているわけですから 大してお金もない組んでありながらですね
06:06例えば東京大学はすでにできましたし それから鉄道も走り始めましたし
06:15それから郵便制度はやはりその間にできています それからいろんなことを思うと
06:23随分基本的なことをやった上に 明治4年に
06:28明治4年までは予算は江戸幕府のままですね
06:33お米で予算作って何万億と
06:36ところが全部貨幣に変えましたもんですから
06:39それ以外と国際社会に通用しないもんですから 貨幣に変えた
06:43これはもう大変な苦しみでした 農民にとっては
06:46その貨幣に変えた 同時にその明治4年に廃藩地刑をやりましてですね
06:53藩を辞めて剣を置く 藩を辞めることは侍の廃止ですよね
07:00侍が天下を取って そして
07:04薩長土秘で言うならば 薩長土秘の侍が
07:09ずっとその 戦をしに行ってですね
07:14たくさん死んで 東京へ帰ってきました
07:18東京へ帰ってきたのは明治4年じゃなくて
07:20明治元年2年の間に帰ってきて
07:23あの頃は何も国賞ももらえず
07:27退職金ももらえずに どうぞ国に帰ってくれと
07:30あれで終わったんですね
07:32それが伝統的に侍の世界だと思い込んでたもんですから
07:37そのためにずっとおろくをいただいてきて
07:40そこでどっと退職金もらえるもんじゃないというわけで
07:45みなさん帰ったわけです
07:47優秀なと思われる人材だけが
07:51薩長土秘の優秀な人材だけが
07:53東京に残って東京政権政府を作るわけですから
07:56これは
07:58こうして彼らの権力は 巨大なものですから
08:01鉄道を作るやつ作るやつというわけで
08:04大きな権力必要ですから
08:06明治4年に廃藩地権で
08:12侍は失業
08:14殿様は全部東京に集まれた
08:16反乱を起こされたらかなわないから
08:18一定の退職金がそこで
08:21やって払われるわけですけど
08:23そういうのはすぐ食いつぶしちゃう
08:25それはもう実に
08:27命がけで戊辰戦争をやって
08:31そして
08:33報われたものは大職家と
08:35侍の廃止家ということで
08:37不満がずっと高まっていたものですから
08:43高まっていて
08:45結局その不満が
08:47明治7年の佐賀の乱とかですね
08:51各地の乱
08:53それから最後に明治10年の
08:55西南戦争
08:57明治政府を作った人は
08:59西郷隆盛ですからね
09:01そしてパートナーとして
09:03西郷隆盛ですから
09:05西郷は
09:07陸軍大将という
09:09肩書だけもらうんですけど
09:10あんまり嬉しくなさそうで
09:12暮らしていて
09:13書生と同じような格好で
09:16別に馬車乗ったりはせずにですね
09:20とうとう
09:23不満の塊になって帰っていく
09:26もややこしいことはですね
09:31西郷は確かに
09:32早半知見を
09:34裏番をした人なんです
09:36侍の廃止
09:38ところが裏番を欲して
09:41侍がいなくなった時に
09:44侍は素晴らしかったなと
09:48こう非常に
09:50アルビバレンツといいますか
09:51神の裏表の気分になって
09:54そんな目で見ると
09:58明治政権のやってることが
09:59何もかも気に食わない
10:01それから
10:02下院様は
10:03昔の旗元よりも
10:05偉そうになってきて
10:07馬車乗って
10:09その
10:10大変
10:11栄養映画を
10:12極めてる
10:13学科のこと
10:14と思いますですね
10:15その上でですね
10:17薩摩藩が
10:19明治維新を起こした
10:21まあこれ
10:22資本で言うならば
10:23兵力を資本で言うならば
10:2560%の
10:27投資はした
10:2840%は
10:30長州と
10:32土佐と
10:33佐賀ですが
10:3560%の投資の上に
10:38大久保さんが乗っかってるわけですね
10:41東京で
10:42それだけの
10:43勢力の上に
10:44大久保さんが乗っかってて
10:46それと
10:48小さな友達ですから
10:50西郷さんは
10:51その大久保っていうのは
10:53やっぱり
10:54いきなり師匠とか
10:55言うようなもんじゃないんですけども
10:57実際大久保の政府でした
10:59そして大久保という人は
11:01最初としては
11:03まあ日本史上一番いい感じの
11:07能力があって
11:08人の言うことを聞いて
11:09無視で
11:11そしてお金には
11:12全くきれいで
11:14ただ
11:15自分と
11:16明治国家
11:18一体化して
11:19考えてる
11:20まあ
11:21これ以上の人はないという人なんですけども
11:24西郷にしては
11:25もう
11:26大久保が憎いわけじゃないんですけどな
11:28過去を
11:29そごわない世の中になった
11:31西郷ってさ
11:32侍好きですからね
11:33自分が侍であったということ以上に
11:36侍が好きで
11:37その侍の中でも
11:39さつまの侍が好きな人ですから
11:42結局帰る
12:03西郷の帰った
12:08薩摩のかつての面影を
12:10今もそのまま残している街がある
12:13特攻隊の基地があったことでも知られる
12:16チランで
12:17島付けが重心を分散して住まわせた
12:20102の集落の一つであった
12:28美しい犬巻の生垣が連なっているのが
12:31チランの柳の特徴で
12:33これは外からは目隠し
12:36中から見れば連山にも似た独特の造形となる
13:01綺麗ですね
13:06ここにいると
13:07この庭が一つの
13:10理想郷であってですね
13:15これは中国風の言い方で言っているんですが
13:19一つの理想郷をこの庭で作っておってですね
13:24岩のような山があるかと思うと
13:28緑の山が散られてあって
13:31そして滝の水はないけれども
13:33水があるかのごとく見えておって
13:37一つの理想郷
13:39そして花が時々所々にありましてですね
13:43その外界はどうかというと
13:49ああいう
13:52チランを代表するような
13:55綺麗な山がある
13:57京都の東山に
14:00東山鋭山を小さくしたような形の山があって
14:05そしてその遥かに東シナ海があって世界があると
14:12ここで小さく半日の安らぎを得て
14:18他の半日は外に出て仕事をして
14:21帰ってきて半日の安らぎを得ると
14:24そのための精神の安らぎのための庭園という感じがしますですね
14:32人に見せる庭園じゃなくて
14:34自分が楽しんで子供が楽しんで
14:38孫の代でも楽しんで
14:40先祖から楽しみ続けたという感じで
14:44ちょっと感動的ですね
14:46そんなに大きい庭園ではないんですけども
14:50やはり世界を感じさせる
14:54海の鳩の匂いも感じさせる
14:58そういう感じがしますね
15:01チランというのは大変な文化ですな
15:05この庭園を見ると
15:07思いますね
15:09独特の小宇宙を形作る庭を持った薩摩藩の侍達は
15:23この時期自らも文字通り小宇宙を作って
15:27中央に反逆しようとしていたのだった
15:31そのうちに新政府に対する色んな不満が
15:35薩摩系の軍人の中で高まってきて
15:37薩摩系の軍人が一斉に国に変えると
15:43そのうちに新政府に対する色んな不満が
15:47薩摩系の軍人の中で高まってきて
15:51薩摩系の軍人が一斉に国に変えると
15:55一種の薩摩はその間日本国の中では独立国のようになって
16:05東京の命令が聞かない
16:07そこだけ聞かないというような
16:10惜しい事態になっていまして
16:12それが膨れに膨れてバーンと爆破したのが西南戦争です
16:17薩摩人が馬鹿に仕切っていた百姓兵が
16:23新式の銃を持ったりしているものですから
16:26結局は勝ってしまう
16:28それで侍の時代が終わるというのが
16:30今日の話のテーマなんですけども
16:34別に私は侍の時代が終わって
16:38非常に何て言いますか
16:40まずい事をしたなという気持ちはありません
16:43しかしながら我々の心のふるさと
16:48日本人の心のふるさとは何時代ですかと
16:52ただやっぱり江戸時代
16:54江戸時代の侍社会の節度というものだろうと
17:02江戸時代の精神を支えたのは侍社会の節度で
17:09彼らは色々な例外はあるにしても
17:14貧しいことをむしろ誇りにして
17:18別に汚職をしたりするような人もさほどに多くなかったと
17:27自らを自立的で
17:33これは偶然にヨーロッパで生まれたプロテサンティズムといいますか
17:39信教の自立性、自己に対する厳格さ、そして責任感というのと
17:45またよく似たようなものが江戸時代の侍の精神でした
17:50侍といっても実際には行政官であることが多かったのですが
17:57それが明治維新を結果として生んですけれども
18:04侍を廃止しなければ明治維新はできません
18:08なぜかといえば国民国家という非常にモダンな世界の普遍的な価値といいますか
18:23そういうものを目指していたはずですから
18:26明治維新は
18:27なもんですから
18:28侍が邪魔になってきた
18:31結局明治四年の侍の廃止ということになるわけですけれども
18:35西南戦争というのは
18:41薩摩だけで1万2千の人間がこの戦争に参加して
18:51非常に多くの人が死んだわけですが
18:56死ぬことによって
18:58国民国家が米術ともにできたわけですけれども
19:02天使閣が焼け落ちたばかりか
19:14民家に火を放たれ
19:16城下も火炎で覆われた熊本城の工房は生産を極めた
19:21後に描かれた錦絵がその一端を伝えている
19:28しかしさらに生産だったのはタバル坂での死闘で
19:33十数日続いた白兵戦と射撃戦は
19:49同じ時代の世界戦士でも類を見ないものであった
19:53政府軍だけで1日平均180名の死傷者を出している
19:59旧式の銃しか持たない薩摩軍は
20:14切り込みによってその弱点を補おうとし
20:17彼らが百姓兵と呼んで侮った政府軍は
20:21新型銃でそれに立ち向かった
20:23銃剣をつけたまま発射できる政府軍のスナイドル銃
20:40射撃から突撃に容易に移ることができる
20:44しかも薬莢付きの弾で素早く装填できた
20:52薩摩軍が使った旧式のエンフィール銃
20:55鉛を溶かして弾丸を作り
20:58その後で薬砲を押し込めてから発射するという
21:02戦国時代から変わらぬ方式である
21:10全身におびただしい弾を打ち込まれ
21:18今もそれを抱きながら生き延びている弾根のクス
21:22田原坂の戦いでは政府軍だけで
21:2621万発の小銃弾を消費した
21:30鉛を溶かして弾丸を作るのが間に合わなくなった薩摩軍は
21:47小石や泥を固めたものを弾頭代わりに使った
21:52そんな大用品もたくさんの弾根を残したのである
22:02雪合い玉と呼ばれる空中で衝突した敵味方の銃弾
22:08さらに濃い密度で弾が往来したかの証拠である
22:12この問題はややこしいんですよね
22:22侍が明治維新を起こして
22:24その侍が明治維新に反対を
22:26明治政府に多くの侍が反対して
22:29西郷や薩摩人だけでなくて
22:32全国反対してました
22:34全国の侍
22:36およそこんなに評判のあり政府は
22:39大抵革命政府というのは歓迎されるものなんですけども
22:43無理上げに作った外圧というか
22:46国際環境が変わってきた国際的になりましょうというので
22:49無理上げに作ったものですから
22:52ですからほとんどの既得権は取り上げられました
22:57もらったのは明治ぐらいでしょう
23:00だからその百姓たちも明治四年に
23:03税金を金で納めなきゃいけない
23:06そんなものは
23:07電池はたくさんあるけど
23:08現金がないっていうのは普通です
23:10それを無理上げに納めなきゃいけない
23:12こんな苦しみはなかった
23:14おまけにそれだけでなくて
23:16百姓は
23:17エロジダヤの百姓の気楽さは
23:20戦争しなくても済んだわけなんですけど
23:22明治後百姓が
23:24むしろ中心になって
23:26陳代兵が出来上がっていく
23:28軍隊が出来上がって
23:29嫌ですよね
23:30徴兵令というのは
23:31それから侍にしても自分の特権を全部捉えて
23:36何の良いこともない
23:38単に国民国家もしくは文明国を作るだけのために
23:44こんなに犠牲を払わなきゃいけないかというのは
23:47つつ裏裏の庶民及び侍階級の不平でした
23:51その不平の十万の中で西南戦争が起こるわけですから
23:55やっぱり西郷はどう思ったかは別として
23:59西郷さんの下にいる人々は
24:02東京政権に変わるつもりだったでしょう
24:05それはもう
24:07隣の県の熊本県に行くだけでも潰れました
24:10その軍隊が潰れました
24:12政府軍の総帥山形有友が鹿児島に到着したのは
24:27明治10年9月8日であった
24:30退却した薩摩軍の立てこもる城山を
24:34五六万という大軍勢が包囲していた
24:45城山はまるで檻の中で
24:48放火にさらされているような状況だったのである
24:51戦5年はまた大勢が続く
24:54戦9年は19 utmostの上に
24:57強化や災い出現
24:58東京直すべて大勢が続く
25:00戦1年は198年は
25:01復興が続く
25:03戦1年は19 at3月8日
25:05大勢が続く戦1年は
25:07屋の県平千年は
25:08広島で最深のような
25:09広島で最中の一間に
25:10川島を越えた
25:12西洋戦1年は
25:13新潮が続く戦1年は
25:15東京や西洋戦1年は
25:17東京の1世の銃止と
25:19政府軍の砲弾を避けて薩摩軍は横穴を掘って欠拠していた
25:31薩摩軍の本営は戦いの葬式を取る霧野利明がいる第5洞窟で
25:39西郷隆盛は第一道と呼ばれる岩崎谷洞窟にいた
25:49西郷隆盛が最後の突撃のため後にした洞窟
26:01西南の駅で潜没した薩摩軍
26:212023人が葬られている南州墓地
26:25西郷の解釈をした別府新助陰ながら
26:42最後まで功を共にした人々が一緒に眠っている
26:46西南の駅が北に建ていた
26:51西南の駅に埋められました
26:54西南の駅の建ては
26:58西南の駅と主から最東洋駅に
27:11つまり明治国家というのはそれだけの軍事的にも強かったわけなんですが
27:22それは結局反乱側は武士というものへの強い教習
27:33そして侍の心がなければ日本人は日本は長く持たないと
27:39最後なんかそう思っています
27:41大久保政権というものは侍の心どころじゃないともっと忙しいんだと
27:50そんなもんどうでもいいんだというところがあります
27:52そんなもんどうでもいいんだというところがあります
27:55その中での激突なんですが
28:03ここで福沢幸津という人は面白い人ですね
28:09彼は爆心だったわけです
28:14一時期もともと大分県の中津の藩士なんですが
28:20火球の人ですけれども
28:22侍が嫌な感じの
28:24侍が嫌いだという感じの気分のあった人で
28:28爆風が潰れるときはさっさとその前に爆心であることをやめていますし
28:35そして上野の将棋隊の戦争があるときには
28:40そこで経済学の講義を彼は三田でやっていたというような人ですし
28:48そしてどちらかというとアメリカの経済というものを
28:54そういう学問の形にしたもの
28:56例えば募金に至るまで彼が輸入して
29:00学生に教えていたと
29:03長人のような格好をしていますですね
29:11前田屋なんか締めて
29:13そういうような人で
29:17いかにも明治の時に長人の時代が来て
29:21喜んでいるような格好があったようにもかかわらず
29:25その明治10年に西郷が死んで
29:29城山で死んで
29:31そしてそれに賊名を
29:34後になって
29:36帝政を引っ込めますけど
29:39明治は最後に賊だと
29:41賊名をかぶせたわけですね
29:44それが腹立ったようですね
29:47西郷が好きだったようですね
29:49あったことはないんです
29:50無形ではあったことはないんですけども
29:52侍の終焉と思ったようですね
29:55だからあの
29:58彼は帝宙公論
30:01ちょうど帝宙公論
30:03明治10年の秋だったと思いますけども
30:06西郷が死んだという報道があった時に
30:11一気に変えたと言われてますが
30:14そして発表した
30:1620年後に
30:18弟子たちが頼んで
30:20じゃあいいと言って
30:21もう時代も変わったからいいと言って
30:23発表したんですが
30:25発表しなかったけど
30:26引き移す人がいてですね
30:28筆者する人がいて
30:29だいぶ広まってはいたんですが
30:30新政府に対して
30:33ボロクソに
30:33つまり
30:34会員たち
30:36会員たちだって悪くしてるわけないんですけど
30:38それでもその貧乏だった武士たちが
30:41東京で会員になると
30:43馬車にも乗りますし
30:44洋服も着ますでしょ
30:46それを見て
30:47心が
30:50獣の心だと
30:52
30:53人間の顔の形してるけど
30:55獣の心だと
30:57いう人間が
30:59人を非難する人がいるということを
31:01引用してるんですね
31:02明治10年に書かれた定中討論は
31:08明治34年
31:10時事新報に連載された
31:12福沢諭吉はこの連載中に
31:16よう去ったのである
31:17論者が
31:22西郷を評して
31:24俗と称するは
31:25何ぞや
31:26西郷が
31:28天使を支持して
31:30天位を狙ったとでも
31:31言うのか
31:32と福沢は
31:34西郷を俗と呼んだ人々を
31:37痛烈な言葉で
31:38罵った
31:46西郷は天下の人物なり
31:50日本狭しといえども
31:52国宝玄なりといえども
31:55兄一人をいろいろに
31:57余地なからんや
31:59西郷が
32:11人面獣神というのは
32:13福沢という人は
32:15そういう言葉の
32:17過激な言葉の使い方を
32:19あまりしない人ですが
32:21横田原だったんでしょうね
32:23最後
32:25なぜ殺す必要があるかと
32:27こんな広い日本で最後のが生きていける石一つぐらいは用意してもいいじゃないかと
32:35なんかもう大変な本来分なんですが
32:38つくつめっていうとやはり侍の終焉を福沢駅というような人でも惜しんでいる感じです
32:48それよりもだいぶ後に彼は汗我慢の説というのを書いて
32:53勝海宗なんか旧幕臣で新政府に使えた人たちをボルクスに書いてるわけですね
32:59旧幕臣で新政府に使えなくて植えて反省を送った人をたたえてる
33:09木村節津の神だったと言われたような人が好きなんですね
33:14汗我慢をした人が好きで汗我慢をしなくて勝さんが白尺からなってるのを払えてる
33:21これは後の汗我慢の説ですが
33:24福沢駅もその長人の時代が来たぞと言いながら
33:30そのアンビバレンツと言いますか
33:34裏側には侍であることが終わると
33:40この社会はやっぱり心が緩んでくるんじゃないかと
33:49このモラルは道徳的緊張と言いますか
33:55道徳的緊張の上に国家があるべきだと
33:58日本の場合は侍しかないじゃないかというのがあったんじゃないでしょうか
34:02これは内村勘蔵という明治のクリスチャンがいますですね
34:16無教会主義で実にいい感じの人ですが
34:20それから二戸部稲蔵これも明治のクリスチャンで
34:27お札になってましたですね
34:31いい感じの人ですが
34:33この明治を代表する二人の心境と
34:39これは心境が持っている自立性とか
34:45自己に対する厳格さとか
34:48そして神というものを
34:51教会をカトリック的な教会
34:53教会というこの
34:55問屋さんを通さずに
34:58氷である自分と
35:03神が直に
35:05結びつくというのがプロティスチャンティズムですから
35:10非常に侍と似ているわけですね
35:13神は友様であってですね
35:16それで忠誠心
35:18これはいかなる時でも忠誠心があると
35:22極めてプロティスチャンティズムと
35:25武士道は似ているわけで
35:27内村勘蔵でしたかな
35:31内村勘蔵ですね
35:35確かあの
35:36小西初期に明治後ほどなく
35:40アメリカに留学しましてですね
35:42プロティスチャンティズムの良さは今のアメリカにはあまりありませんが
35:47アメリカはもう
35:48なんて言いますか
35:50ピルグレム・ファーザーズ以来
35:54プロティスチャンティズムが
35:55アメリカの東部社会を
35:57ずっと伝統になっていて
36:00むしろ世界の模範的なプロティスチャンティズムの社会という時代が長く続きましてですね
36:08アメリカの資本主義を起こしたと
36:13まで言えそうですが
36:16もうそろそろそれも終わりの頃に
36:21内村勘蔵が言っているんですけども
36:23非常に感激したと
36:24アメリカの精神に
36:26だから自分の父が二人いると
36:31一人は武士像であると
36:34もう一人は
36:36日本人はあっち行けという
36:39背日法のアメリカでできましたが
36:41ずっと遊んできましたが
36:43背日法以前のアメリカであると
36:45いうよりも
36:46プロティスチャンティズムが
36:48まだ価値を輝かしていた頃の
36:50アメリカであると言うんでしょうね
36:52それからニトベイザー像はやはり
36:56強いクリスチャンで
36:58内村と同じよう
36:59侍さんの流れですが
37:01やはり忠誠心の持って行き場所を
37:06その神の方に持って行ったような感じですね
37:09ニトベイザー像の場合も
37:10そしてアメリカの初期の
37:12初期というか
37:1319世紀までの
37:16きらびやかな
37:18そして感じのいいプロティスチャンティズムに触れて
37:21そこに行っているわけですが
37:23この人も
37:25ブシドウという本を英語に書いて
37:29ブシドウというのは
37:31アメリカで翻訳されて
37:33初めから英語ですが
37:35実によく読まれたようなので
37:39セオドル・ルーズベルト
37:41ローザベルトというのか
37:43ローズベルトというのか
37:45太陽戦争のルーズベルトさんの
37:47おじさんになる人
37:49この人は日本美意気だったんですよね
37:51基本的に日本美意気だったわけではなくて
37:55よく日本のことも知らなかったんですが
37:57日露戦争を仲裁することによって
37:59日本を危機から救った人ですが
38:03この人はわざわざ日露戦争に
38:07日本のために
38:09ほとんど日本のために
38:11介入して
38:13戦争をやめやめと
38:15これ以上続くと日本は潰れますから
38:17言ってくれた人ですが
38:19彼がその気にさせたのは
38:21ブシドウという本だったそうですね
38:23ニトベ稲造の著作を読むことによって
38:26その窓から日本に出たわけでは
38:29だからニトベさんって人は
38:31その意味では
38:35よく日本人をそういうように
38:37紹介してくれたという点で
38:39感謝
38:41我々は感謝したい気持ちですけども
38:52ニトベ稲造が英文で書いた書
38:55ブシドウは日清戦争の後
38:57日露戦争の前の1899年
39:01明治32年にニューヨークとロンドンで出版された
39:06日本に関する知識が
39:07まだほとんど普及していなかったこの時期に
39:10勇気、名誉、国旗心、忠義など
39:15日本の道徳教育の基礎であった
39:18ブシドウの精神を世界的視野で語ったこの書は
39:22英語から7カ国語に訳され
39:25大きな反響を読んだ
39:27日本では
39:39よく明治33年に出版されたのである
39:43その一説
39:45過去の日本は武士の賜物である
39:48彼らは国民の花たるのみでなく
39:51またその根であった
39:53武士道の忠義の賞に引用されている
40:09文楽、菅原伝授手習い鏡の舞台
40:12菅原道真は
40:17嫉妬と残念の犠牲となって都から追われたが
40:21無慈悲な彼の敵はこれで満足せず
40:24道真の一族を根絶やしにしようと諮り
40:28彼の幼い子の行方を探す
40:31その役を仰せつかったのが
40:34道真の旧神玄三であった
40:37玄三は適当な身代わりを見出そうと考える
40:47そして道真の家族を知る者として
40:50首実験の役を命ぜられたのが
40:53やはり道真の旧神の松尾丸
40:57彼も同じことを考えていた
41:01乳母を喜べ、せがれはお役に
41:06た、たずを聞くより
41:18おわぁ!
41:20おう!
41:22宝石あげて
41:24全語をかくに
41:28松尾丸夫婦は
41:30かつての主君の子の命を救うため
41:33玄三も知らぬ間に
41:35我が子の命を差し出していたのである
41:38ニトベ稲造は
41:43武士道でこの物語を引用した後
41:46こう書いた
41:48なんという無惨な物語と
41:51読者の叫ぶのが聞こえる
41:54両親が相談の上で
41:56他人の命を救わんがために
41:59罪もなき
42:00我が子を犠牲にする
42:04しかしこれは
42:05アブラハムが
42:07遺作を捧げようと思った物語と同様に
42:10いちじるしき話であり
42:13またそれ以上に
42:14嫌悪すべきものでもないと
42:17ニトベは
42:18日本の侍の心を
42:20世界に分かる言葉で語ったのである
42:29明治10年の出生南の駅で
42:31侍は終わりましてですね
42:34侍の世は終わったけど
42:35侍の心は
42:37むしろ
42:38殺鳥土日の天下をとった人々よりも
42:43幕府側についた
42:46ニトベも
42:48内村勘三も
42:49幕府側の方の大名の
42:51家来なもんですから
42:53法の人の中で
42:58続きましてですね
43:03むしろ江戸時代の侍には
43:05その悪い奴もいたろうし
43:06だらけた奴もいたろうし
43:07およそ武士の風上にも
43:09置けなかった人もいたでしょうけども
43:11江戸270年を
43:13ならしてみれば
43:14こういう感じのものが
43:16武士像だというのを
43:17割合以降
43:18上流石のように取り出してですね
43:23二人ともそれを心の柱にしたと
43:27それがだから
43:28西南戦争終わった後も
43:29そういう社会は続いていってですね
43:32明治はその
43:35資本主義を起こすに足るような
43:38いろんな条件はなかったですよね
43:40資本主義を起こすためには
43:41ヨーロッパの例であげると
43:43いろんな条件が必要でした
43:45なかったので
43:46お米と絹しか取れない
43:49他の国に売るのは絹だけ
43:51自分たちの日常はお米を食べるだけ
43:55というのが経済生活
44:02作ったり食べたりするだけが経済生活でした
44:05そんな国でよく資本主義が起こったなと思うんですけども
44:10こうしたものは
44:12もろん政府の方
44:14役人の方
44:15それから小役人に至るまで
44:17あるいは学校教師
44:19みんな出身はいずれにせよ
44:24つまり白書の指針であれ
44:27あの侍の指針であれ
44:30規範というのは
44:32武士道というものだったですね
44:35どうも武士道というものが
44:37明治の
44:38これは
44:39国士道型の資本主義ですが
44:42国士道型の資本主義を支えたのではないか
44:48あの
44:50その支えで電流がずっと流れて
44:57侍の絵は終わってからも
45:00明治4年で侍が廃業してからも
45:03その電流はずっと残っていって
45:06明治40年ぐらいまでは続いたんじゃないかと
45:11電流は大正時代だとだいぶ減りますな
45:18僕の年代ですとね
45:20学校教育というのはね
45:23間違った侍教育でした
45:26そしてその士官学校などは
45:29人工的に侍を作るというのも意識的にそうです
45:34全部間違いでした
45:35侍というのは自分に対する責任感だけですから
45:40国家をどうこうして国家を改変してね
45:44国家を俺の自由にして
45:46俺走り回る
45:48そういうようにするんだというのを
45:49侍と言わなくて
45:51なんか自分が悪くしたなと思ったら
45:54理想的に言えば
45:57その場で腹を切っているというものが侍でしょう
46:01ですから
46:02何かこう
46:04そういうものはやっぱり
46:07もう一度
46:10回復することは難しいんですけど
46:13しかし理想として
46:15日本人はそれを持ってないと
46:18やっぱり格好悪いんですよ
46:21我々は何も規範というのがないんですから
46:25やったらと技術大国になって
46:28やったらと
46:30お金を持っている国になったわけですから
46:34格好悪いですよね
46:36それを持ってないと
46:38ですから
46:39皆さん皆それぞれ持っているんですよね
46:44そのそれぞれの侍で行かなければ
46:48解釈は違っていても
46:51人によって違っていても
46:53だいたい持っていますよ
46:56その微弱なる電流を
46:58微弱なる電流を
47:00もうちょっと強くしたほうが
47:02いいんじゃないか
47:04別にそれが
47:06明治維新を起こしたりする変なエネルギーならないようにね
47:13自律的な意味の
47:17微弱なる電流を持っていたほうが
47:19いいんじゃないかと思います
47:21昭和になると
47:23試験採用で
47:24あるいは陸軍大学校とかですね
47:27高等分間試験
47:29そういう試験によって偉くなる時代になって
47:33どうも大正末年以後
47:38昭和の20年までの日本の運営者といいますか
47:44そういう人々と明治時代の人とは
47:48民族が違うような感じさえするのは
47:52基本的には
47:54サムライが明治維新を起こして
47:57サムライが明治維新に反対して
47:59そしてサムライが
48:01その反対も
48:03明治維新を起こすことも
48:05反対することもしなかった
48:07内村勘蔵的な
48:09面としてのサムライたち
48:12あるいはそれに準ずる人たちが
48:14旧種族たちが
48:16どこも世の中を支えていたように思いますね
48:23だから明治国家の
48:27この電流
48:29明治国家を生き物さらしめていた
48:35電流はやはり
48:40江戸時代が作り上げた
48:43武士道だったような気がするというのが
48:46今日の話です
48:53ご視聴ありがとうございました
48:55ご視聴ありがとうございました
48:59ご視聴ありがとうございました
49:01ご視聴ありがとうございました
49:05ご視聴ありがとうございました
49:07ご視聴ありがとうございました
49:11ご視聴ありがとうございました
49:13ご視聴ありがとうございました

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