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  • 6 日前
トランスクリプション
00:00そういう江戸期の商品経済の活況、盛況がいろんな思想を生む結果になりました。
00:10ものをリアリズムで見よう。これは趣旨学ばなりであります。
00:14趣旨学はご存知のように非常に紙面性の高いというと、へりくつの多いですね。
00:21物そのものを見るということを、レトリックや論理の上は別として、見るという態度は趣旨学からあまり伺えない。
00:34中国、朝鮮、趣旨学、一価値主義でした。
00:39中国はちょっとばらつきがありますけど、朝鮮は全く趣旨学でのみ管理を採用してきた。
00:46だから、非常に理屈っぽい学問であります。
00:54そこから江戸中期には全くと言っているほど、江戸期の幕府が定めた官学は趣旨学でありますけども、
01:04だけど江戸期は趣旨学でなければ殺すぞというような、そんな江戸幕府はそんな怖い幕府ではなかったもの、政府ではなかったものですから、
01:13いろんな学問があるいは思想がどんどんできてきまして、今の人文科学とあまり変わらないようなレベルに達しました。
01:23基本的には物を見るところから考えた、出した思想であります。
01:31海保政良という人は、相場というものを、これはもうお上がどう命じようとも値段の、相場そのものが相場を作っていくんだと。
01:43物というのは不思議なものだということで思想を作りましたし、また山形番頭、これは番頭、難しい字なんですけど番頭さんだったんですね。
01:57大阪の金融業者の、それも大名が使用しておる、市として仙台藩がお得意の金融業者のマスヤというところの番頭さん、非常に忠義な番頭さんでした。
02:10しかし思想は、今山形番頭の思想がここで展開されても、少しそれは危険すぎるほどのリアリズムではないかと。
02:21もうちょっと思想というのは、不合理なものが入っていた方が人間というのは安心するんだと。
02:27あまりにも明け透けな、見た通りの、世の中に神秘性というものを一切排除した思想じゃないかというぐらいの思想でした。
02:41これは晩年に著述した夢の城という著述から伺えるわけであります。
02:47山形番頭よりちょっと先輩で30歳ぐらいで亡くなった大天才、これも大阪の商家の醤油どん屋の、道明寺屋という醤油どん屋の息子さんで、
03:00富永忠季という人は、これは大変な思想家でした。
03:05これは今お経があると。日本の大乗仏教のお経はインド製ではないと。
03:12シルクロードあたりとまでは彼は言っていないのですが、
03:19お世話さんと関係なしに作られたものだということを実証して、
03:23富永忠季の実証は未だにぶち壊すことはできないのです。
03:27富永忠季の実証は未だに踏襲されているというより容認されているわけであります。
03:35三浦梅園、これは今の大分県の国崎半島の大田舎の田舎医者。
03:43この人の、これは自然科学的な思想ですが、
03:48自ら考えて一つの自然科学、あるいは宇宙論を打ち絶えた人であって、
03:54床井秀樹さんのお若い頃、床井秀樹さんがお若い頃といってもノーベル賞をもらわれた後ぐらいですが、
04:06三浦梅園がお好きで、三浦梅園というのは素晴らしいですねと言っておっしゃるんですね。
04:11なぜかと言えば、完全な独創である。
04:16独創であるというのは少しずつ矛盾があってザラザラしている。
04:20ザラザラしているというのが素晴らしいと。
04:22次に出てくるのはツルツルしているけれども、梅園は素晴らしい。
04:27そういう人を元尾根長も含めましてですね、
04:30いろんな人を生んだ江戸時代というのと、
04:34今日は結びついているわけですね。
04:37昭和元年から20年の話を今ずっとしているんですけど、
04:41話すと嫌いをしてきますですね。
04:45そうするとわけがわからないと言って、
04:48私は同じ時代の末端に属してながら、
04:51青春が末端に属してながらですね、
04:54そうすると同じ民族でありながら、
04:57他民族の話をしているように、
05:00なんかあれは日本だったんだろうかと。
05:02むしろ日本は江戸時代の文明、江戸文明、
05:08それは一言で言うと、江戸中期以降、
05:13リアリズムを中心としたる技術とものを見続けて、
05:17思想を作り上げた代表者たちと、
05:22我々は結びつくんだと。
05:24そして、さっきに話しましたように、
05:27職人が好きで技術が好きな民族なんだと。
05:32それが昭和の元年から20年までは落ち込んだように
05:37違う雰囲気の国になっている。
05:41これは何だろうというようなことで、
05:45前回は実を言うと答えも出ずに、
05:47私自身がぼんやりしておった、
05:51今でもぼんやりしていますけれども、
05:55それは要するに、
05:57日本の明治維新というのは素晴らしくなりました。
05:59私は明治維新のファンであります。
06:03しかし、明治維新の欠点は、
06:05結局幕府の感覚だった四肢学を、
06:11完全に明治維新の基本的な、
06:15イデオロギーではありませんよ。
06:17四肢学はイデオロギーなんですけれども、
06:19明治維新のイデオロギーが四肢学だったということは言えませんが、
06:22基本的な背骨にしたと。
06:25四肢学は決して、
06:27他に改造する思想があれば悪い思想ではありませんが、
06:31必ずしも悪い思想ではありませんが、
06:33四肢学のみだったと。
06:35そして江戸期の人文科学とも言うべき合理主義思想を全く捨てたんです。
06:46自分の国はつまらないと思うとこから、
06:48実は言うと、自分の国は素晴らしいというとこから、
06:52尊能上位の運動が始まって、
06:53討伐が始まったんですが、
06:54明治維新は政府が成立すると、
06:58上位を捨てて開国に切り替えたときに、
07:01自分の国はつまらないという、
07:03スイッチも革命期ですから、
07:05スイッチはもう実に潔くこっち側に行きます。
07:10そして西洋は素晴らしいというので、
07:13西洋の素晴らしさをですね、
07:15東京大学を、これはもう実に明治の早い時期に基礎ができていますが、
07:21東京大学を作ることによってですね、
07:24西洋の近代を入れたわけで、
07:26近代を入れ続けたわけで、
07:28入れるということは買ったわけである。
07:30留学させる、本を買う、
07:32外国人の学者を読んで教授にする、
07:36もう全くお金で買い続けたわけ。
07:40西洋人がヨーロッパが作り上げた、
07:43ずっと作り上げて、
07:45そしてヨーロッパが近代に入ったときの、
07:47果実ばかりをですね、
07:49買い続けて、
07:51日本にそれに匹敵する、
07:53もしくはそれよりも自分自身の国、社会が生んだものですから、
07:58分かりやすい、
08:00それよりもよく分かる、
08:02自分の骨髄を形成する思想のはずの江戸木の思想を捨ててですね、
08:09ヨーロッパの近代を買い続けたわけであります。
08:13まあ、なんと言いますか、
08:16私は夏目漱石という人は大好きなんで、
08:19日本の明治期の代表的知識人であることは、
08:25疑いもないことですが、
08:27漱石という人は、
08:31稲からお米ができるということを知らなかった人なんですね。
08:37これは、
08:37漱石が大学生だったときに、
08:42漱石は高田のばばのあたりに住んでいて、
08:45そこへ漱石が遊びに行って、
08:47高田のばばのあたりはまだ稲田でした。
08:51お米が、水田がありました。
08:54それを二人で散歩しているときに、
08:57これが、
08:58ここから米ができるのかと、
09:01漱石が驚いたのを、
09:02その式は馬鹿にしていない、
09:04漱石は漱石が好きですから、
09:06町の人ってのは偉いもんだということで、
09:11書いておるんですけれども、
09:13漱石、江戸記のリアリズムを、
09:16江戸記のリアリズムを断ち切った明治の維新の、
09:22継続した子どもが漱石ですから、
09:24足元を見るよりも、
09:28漱石の学問は、やっぱり洋学でした。
09:31そして、漱石の基本的な学問は、
09:34少年の頃の学問は漢学でした。
09:37日本というのは入っていないわけではありません。
09:39これは極めて明治的な人であります。
09:44ですから、漱石の文学論というタイプを読んでも、
09:48眠り薬になるようなですね、
09:51やつを私は青少年記に読みましてですね、
09:58イギリスの使と漢使との対比が、
10:03大体中心だったように思うのであります。
10:05ところが、日本の文学遺産、
10:13さまざまな文学遺産、
10:14あるいは日本的思考、
10:16あるいは日本的な江戸記の人文科学、
10:19一切入っていません。
10:22イギリスの使はこうだけど、
10:23漢使はこうだということであります。
10:26これが漱石が悪いんじゃありませんで、
10:29明治というのはそういう、
10:30つまり、漢学の素養がある上に、
10:35ヨーロッパが乗っかったわけで、
10:38江戸記の270年の知的財産というものは、
10:44無関係なんて言った。
10:47戦後ね、江戸時代の研究、
10:50いろんなものの研究をする学者が増えて、
10:53そして観光物も出まして、
10:55私はこういうように喋っているんですが、
10:57私はもし明治40年の人間だとしたら、
11:00おそらくこういうことは気づきもしなかったろうと思います。
11:03これは戦後のおかげであります。

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