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00:00:00レオマーがこう書いたんですが、過去動機というのは実に平凡でおかしな動機でした。
00:00:10あの時に、高知の出身の人間で、ここの土佐高校、今の土佐高校、昔の土佐中学校を出て、
00:00:19その後、海軍の兵学校に行ったりして、途中で敗戦になって、学校に入り直して、新聞社に入ってきたのは、
00:00:28私の後輩でありまして、新聞社の後輩でありまして、それは非常に大型の人間で、光も土佐人でした。
00:00:38細々したことがあまり表現できない、だけど非常に神経の細かい、典型的な土佐人と言ってもいいんですが、
00:00:48それが遊びに来まして、坂本龍馬のことを書いてくれと言うんです。
00:00:54これ別に仕事で言っているのではなくて、一人の年下の友人として、自分の国には坂本龍馬という人がいると。
00:01:03その人のことを書いてくれと。
00:01:05その時にはその気はなかったんだよ。
00:01:08他の話にすぐ移りまして、消えたわけ。
00:01:13ところがその翌日から一週間ほどの間、おかしなことがありましてですね、
00:01:19いろんな資料を、他の書説を書くためにいろんな本を読んだり、資料を見たりしていると、
00:01:23必ず坂本龍馬が出てくるわけで。
00:01:25その資料の中に、例えば何人かの中に坂本龍馬がいたとか、
00:01:32あるいは坂本龍馬の偶然本を開くと記録が出てきたりですね。
00:01:39しょうがなくて読みますですね。
00:01:42一週間経つと坂本龍馬というものと、
00:01:45親しくなるほどの、つまりそういう知識の量というものができてしまったわけです。
00:01:54ついぶん面白い人なんだなという感じであります。
00:01:59そしてその、すぐ書き始めたわけではないですが、
00:02:03じゃあ本格的に坂本龍馬という人を調べてみようと思ったわけです。
00:02:08そしたらいよいよ面白い。
00:02:10日本人から一つ桁の外れた人であります。
00:02:15横井湘南という人が熊本におりましてですね、
00:02:19横井湘南、小さなクソノキ。
00:02:25こういう学校というのは、
00:02:27はじめ何校の小さな何校のつもりでありますから、
00:02:30一種のこの水戸イデオロギーといいますか、
00:02:34南朝、南北朝時代の南朝来産主義というか、
00:02:39だったんでしょう。
00:02:40ところがこの思想家は一緒な人でありましてですね、
00:02:44点々として変わっていくわけだよ、その思想家。
00:02:48ということは幕末は、はじめは小さな情報しかなかった。
00:02:52つまり日本国を変えてしまうには、
00:02:55水戸イデオロギーが大事だと思って、
00:02:58彼は湘南という顎をつけたんですけども、
00:03:00その後、彼はいろんな知識が増えてきましてですね、
00:03:05容易ならざる思想家になった。
00:03:08彼はまあ、ほぼに悪くんですが、
00:03:11名古屋にちょっと住んでおりました時、
00:03:13人が訪ねてきて、
00:03:15横井先生、前に会った時と全く違うことを
00:03:18おっしゃってますなと言ったら、
00:03:19俺は変わるというのは俺なんだと。
00:03:22つまりどんどん変化していった人であります。
00:03:24いかにも激動機能、
00:03:27思想家らしい。
00:03:28ですから、
00:03:29偏説者ではないんであるんです。
00:03:31どんどん変わっていった。
00:03:32横井湘南という人を
00:03:34非常に尊敬しておりましたのが、
00:03:36江戸にいました、
00:03:38勝海州であります。
00:03:39勝海州がアメリカから
00:03:42管理丸に乗って、
00:03:44アメリカで批准調印をしまして、
00:03:47そして日本に帰ってきて、
00:03:50そしたら横井湘南が訪ねてきたのか、
00:03:53勝海州が訪ねていったのか、
00:03:54勝海州は横井湘南を
00:03:56非常に大事な先輩にしてましたから、
00:03:59身分は勝さんは、
00:04:00お大名に等しい旗元ですが、
00:04:04勝海州と一緒は、
00:04:05そういう身分間隔を
00:04:06一つ超えたところがありましたから、
00:04:08尋ねていったのかもしれませんですね。
00:04:11横井湘南が、
00:04:12アメリカの大統領というのは
00:04:14どうしてできるんだと。
00:04:16ただ、勝海州が
00:04:18アメリカの大統領選挙の制度を
00:04:20簡単に言ったわけ。
00:04:22みんなが選ぶんですと。
00:04:24それを理解した横井湘南は、
00:04:27横井湘南は、
00:04:28ついながら言っておきますが、
00:04:29オランダ語の一字も分からなかった人である。
00:04:31ですから、
00:04:31当時の洋学者ではなかったの。
00:04:34漢学者である。
00:04:36感心してですね、
00:04:38面白いことを言ったの。
00:04:40それはつまり、
00:04:41行春の世だなと言って、
00:04:43つまり、
00:04:45行春というと、
00:04:46すぐ戦前の教育を受けた、
00:04:48漢文教育を受けた方は、
00:04:50すぐ分かってくださいますが、
00:04:52戦後は漢文教育が薄いございますので、
00:04:54言いますと、
00:04:55中国の理想古代である。
00:04:57理想の古代に、
00:04:59理想の帝王がいて、
00:05:01それが、
00:05:02行春、
00:05:03行という帝王、
00:05:05そして、
00:05:06旬という帝王。
00:05:07これは古代の、
00:05:10もう、
00:05:10いつのことか定かならざる神話的な古代に、
00:05:14行という帝王、
00:05:17次に旬という帝王。
00:05:19人民のためにのみ働いた。
00:05:22人民のためにのみ働いて、
00:05:24もう世の目も寝ずに働いたと。
00:05:27中国人が理想化しておる、
00:05:30理想の帝王である。
00:05:31彼らは選ばれたわけ。
00:05:33そして、
00:05:34彼らは譲るわけであります。
00:05:37自分の子供を帝王にして、
00:05:41王朝を作るのではなくて、
00:05:43優れた人に、
00:05:45行は旬を読み込んで、
00:05:48帝王を、
00:05:49他人の旬に帝王を譲ったわけです。
00:05:51旬は、
00:05:53旬というものを読み込んで譲ったわけです。
00:05:55ただ、旬は、
00:05:57子供を帝王にしたわけです。
00:05:59ここから、
00:06:00つまり人間の時代に入るわけです。
00:06:03旬は、
00:06:03中国の古代で、
00:06:05陰というのが一番遺跡が出てくる、
00:06:08一番の最古代ですが、
00:06:10その前に神話時代で、
00:06:12蚊というのがあります。
00:06:13夏と書きます。
00:06:14蚊という王朝を開いた。
00:06:16蚊の遺跡は出ないかと、
00:06:18言われてますが、
00:06:20そろそろ出てる。
00:06:22だから、蚊というのは、
00:06:24実在した王朝らしい。
00:06:25少なくとも、
00:06:26蚊は譲られて、
00:06:28王朝を開いた。
00:06:29その蚊よりも前の、
00:06:31行と旬は、
00:06:32理想の帝王であった。
00:06:35それを、
00:06:36それを、
00:06:38つまり、
00:06:38現実に法制化したのが、
00:06:40アメリカ大統領だと。
00:06:42いうことを、
00:06:43こんだけ言わずにですね、
00:06:44はぁー、
00:06:45それは行旬の世だなと。
00:06:48これ、
00:06:49実にアメリカという、
00:06:50民主主義社会を、
00:06:53つまり、
00:06:53リンカーが言った言葉のような、
00:06:55人民のための、
00:06:57人民の何とかの、
00:06:58人民の何とかという、
00:07:00ための政治とか、
00:07:01言ったような、
00:07:02ことを一発で、
00:07:03こう表現する。
00:07:05行旬というのは、
00:07:06非常に古い、
00:07:07漢学の世界の、
00:07:09知識で代表させて、
00:07:11いったというの。
00:07:12勝貝宗は、
00:07:12洋楽者でありますから。
00:07:14非常に、
00:07:15この横井正南の、
00:07:16という人の、
00:07:17物分かりの良さ、
00:07:18観の良さ、
00:07:20そして、
00:07:20その表現が、
00:07:21行旬というのは、
00:07:22非常に古い、
00:07:24幕末でも、
00:07:24既に漢学は、
00:07:25古いとされておった。
00:07:27そういう、
00:07:28漢学の世界の、
00:07:29理想の提供を、
00:07:31誇りを払って、
00:07:33ポッと出したと。
00:07:35いう面白さ、
00:07:36というのは、
00:07:38感心するわけであります。
00:07:40勝貝宗は、
00:07:40どんどんこういう、
00:07:43響きが良くて、
00:07:44奥の深いところから、
00:07:47浅く響いて、
00:07:49共鳴するんじゃなくて、
00:07:50奥から出てくる人を、
00:07:51転んだようで、
00:07:53勝貝宗が、
00:07:53坂本龍馬を、
00:07:54転んだのは、
00:07:55全く、
00:07:56この一点であります。
00:07:58坂本龍馬が、
00:07:59ですね、
00:08:00勝貝宗の弟子になるわけ。
00:08:02神戸海軍塾というところに、
00:08:04入るわけである。
00:08:05すぐ塾頭になるわけ。
00:08:06集まっているのは、
00:08:08浪人ばかりであります。
00:08:09そのために、
00:08:10勝貝宗は、
00:08:11幕府から、
00:08:11クビになるわけ。
00:08:12浪人というのは、
00:08:14政府の敵ですから、
00:08:15幕府の敵ですから、
00:08:17だから、
00:08:18それを集めて、
00:08:19一つの勢力を、
00:08:20作ろうとしているというので、
00:08:22クビになるんですが、
00:08:23その、
00:08:25神戸時代に、
00:08:27勝貝宗は、
00:08:28龍馬を、
00:08:30非常に可愛がって大事にして、
00:08:32非常に尊敬した言葉を、
00:08:34書いてます。
00:08:35ですね、
00:08:3633歳で死んだ青年に対する、
00:08:38言葉としては、
00:08:39過剰な、
00:08:40過方な言葉ですが、
00:08:42それはどういうことかと言いますと、
00:08:45有名なことであります。
00:08:47勝貝宗は、
00:08:49西郷隆盛も好きでした。
00:08:51どうも幕府に対する、
00:08:53反対勢力になりつつある、
00:08:55薩摩藩の指導者である、
00:08:57西郷を、
00:08:59幕臣としては、
00:09:00警戒すべきなんですが、
00:09:01それに対して、
00:09:02非常に友情を持っておって、
00:09:04これは大変な人物だ。
00:09:06だから、
00:09:07この坂本龍馬に、
00:09:08会わせたいと思って、
00:09:09ある時に、
00:09:10ある簡単なことを、
00:09:12龍馬に、
00:09:13そう言って、
00:09:14お使いにやらせたわけだ。
00:09:16帰ってきてから、
00:09:17京都に行ってたんでしょうね。
00:09:19神戸まで帰ってきてから、
00:09:21何も言わないわけです。
00:09:23言わないもんですから、
00:09:25最後についての返事はどうだったと、
00:09:27印象はどうだったと、
00:09:29言うと、
00:09:30龍馬という人は、
00:09:31表現力のある人であります。
00:09:32ちょうど、
00:09:33お寺の釣り金に、
00:09:37つく棒として、
00:09:38種目というのがあります。
00:09:40こちら側が、
00:09:41種目を、
00:09:43小さくつくと、
00:09:44お寺の金というのは、
00:09:46ゴーンという程度しか、
00:09:48つけませんが、
00:09:50大きくつくと、
00:09:51大きくゴーンとなりますが、
00:09:53小さくつけば、
00:09:55小さくなり、
00:09:56大きくつけば、
00:09:57大きくなる、
00:10:00釣り金のような人だと、
00:10:02いうような、
00:10:03ようですなと言って、
00:10:05勝海州に行ったそうで、
00:10:07海州はそのことを開講して、
00:10:09明治、
00:10:1020年代の終わり頃に、
00:10:13今の日本女子大の創設者の、
00:10:15岩本さんという方が、
00:10:17しきりに、
00:10:18東京の赤坂、
00:10:19ひかわの地に、
00:10:21勝海州を訪ねてきては、
00:10:23談話を即帰している時期でした。
00:10:26だから、
00:10:26明治20年代の終わり頃です。
00:10:29ですから、
00:10:29龍馬が死んでも、
00:10:3030年になろうとしては、
00:10:33その時に、
00:10:34彼は、
00:10:34それを書いて、
00:10:37こういうふうに表しております。
00:10:39ですね、
00:10:40表するも人、
00:10:42表されるも人、
00:10:44つまり、
00:10:45人というのは、
00:10:46巨大なる人という意味であります。
00:10:48西郷と坂本を、
00:10:50同じレベルにおいて、
00:10:52巨人が巨人を披露したと。
00:10:56その時は、
00:10:56坂本は無名でした。
00:10:58幕末の頃でも、
00:10:59ほとんど無名であります。
00:11:01明治になってから、
00:11:02無名に近かった。
00:11:04海州が非常に、
00:11:06この坂本を、
00:11:08挨拶したわけである。
00:11:10その、
00:11:12海州と坂本との、
00:11:14間に、
00:11:15こういう話があります。
00:11:17さっきの、
00:11:18寛林丸が、
00:11:19日本に、
00:11:19江戸に帰ってきて、
00:11:22坂本さんが、
00:11:24龍馬さんが、
00:11:25訪ねている。
00:11:27まあ、
00:11:27その、
00:11:28初対面の頃ですね。
00:11:29初対面の頃に、
00:11:32龍馬が、
00:11:33言うのは、
00:11:33アメリカ大統領は、
00:11:37最初の大統領は、
00:11:38ワシントンですな、
00:11:40そうだと。
00:11:42ワシントンの、
00:11:43子孫は、
00:11:44何をしていますか。
00:11:47それは、
00:11:48思わぬ質問ですから、
00:11:51ワシントンの子孫は、
00:11:52子孫が何をしているか、
00:11:53勝川氏は、
00:11:53ちょっとアメリカに行っただけですから、
00:11:55よく分からないわけですから、
00:11:57そんなことは分からないと。
00:11:58アメリカ人も、
00:11:59誰も知らんと。
00:12:00ワシントンの子孫は、
00:12:01今のアニストが、
00:12:03そんなのは、
00:12:03靴屋やっているか、
00:12:04毛田やっているか、
00:12:05よく分からないと。
00:12:07それは、
00:12:08よく分からないと。
00:12:12ああ、
00:12:13と言って、
00:12:13坂本龍馬という人は、
00:12:14ここで大感動を発して、
00:12:16革命家としての、
00:12:19つまり、
00:12:20興奮、
00:12:21と言いますか、
00:12:22信念、
00:12:23ここで、
00:12:24バイオネーズが固まるようにして、
00:12:25固まったと思うんですが、
00:12:27アメリカが四国を、
00:12:31こうした、
00:12:34党人が、
00:12:34つまり、
00:12:35言えば、
00:12:35徳川家康のようなものであります。
00:12:38門が、
00:12:39の子孫が分からないと。
00:12:40それ、
00:12:41徳川家康の子孫は、
00:12:42将軍であります。
00:12:43そして、
00:12:44その、
00:12:45将軍、
00:12:46徳川家康の周りにいた大名が、
00:12:49諸藩の、
00:12:50親方である。
00:12:52先祖であります。
00:12:54それは、
00:12:54先祖も子孫も、
00:12:56はっきりしておられる。
00:12:56これは、
00:12:57封建制というものである。
00:12:59アメリカ、
00:13:00ワシントンの子孫が分からんというのは、
00:13:04大変なことですなと。
00:13:07そういうことで、
00:13:08日本というものを、
00:13:09どうすればいいか分かったという、
00:13:11まあ、
00:13:12多弁な人じゃないですから、
00:13:13こんなことは言わないですが、
00:13:14その次に質問したのはですね、
00:13:16それで、
00:13:17アメリカ大統領はいつも何を心配していますかと。
00:13:22それは、
00:13:22つまり、
00:13:24当時の言葉ですよ。
00:13:25当時の言葉ですから、
00:13:26今のお手材さんのことを、
00:13:29下女と言ったのは、
00:13:31あるいは、
00:13:31やでやの、
00:13:32なんかの、
00:13:33従業員のことを、
00:13:34下女と言った時代のことで、
00:13:36悪い言葉であります。
00:13:38下女の給料の心配をしておると。
00:13:40こういう象徴的な言い方で、
00:13:45言ったらしいんですが、
00:13:46それで、
00:13:46龍馬は非常に感動してですね、
00:13:49江戸の将軍が、
00:13:50そういうことを心配しておるかと。
00:13:52もう、
00:13:53これだけでも、
00:13:54つまり、
00:13:55徳川、
00:13:56幕府は、
00:13:57倒さねばならないと。
00:13:58つまり、
00:13:59人民の政府を、
00:14:00作らねばならないと。
00:14:03これは、
00:14:04もう、
00:14:05横一生なんと同じ、
00:14:07センスであります。
00:14:09同じ感受性と言いますか、
00:14:10知的な、
00:14:12感の良さであります。
00:14:15この坂本龍馬が、
00:14:16横一生なんを、
00:14:17訪ねて行った時、
00:14:18たまたま、
00:14:19生なんは、
00:14:20国元の、
00:14:21熊本にいて、
00:14:22なんか、
00:14:23藩から、
00:14:24お叱りを受けて、
00:14:25窒拠している時で、
00:14:26あまり人に会ってはいけない、
00:14:28時期でした。
00:14:29で、
00:14:30生なんと、
00:14:31どんな話があったのか、
00:14:32これは、
00:14:32分からないのであります。
00:14:34ですけど、
00:14:34生なんが、
00:14:36龍馬が、
00:14:37辞して行く時に、
00:14:38玄関まで送って、
00:14:40こういったことだけ、
00:14:41はっきりしているんです。
00:14:43高官、
00:14:44ナイスガイのことですね。
00:14:47ナイスガイ、
00:14:48いかにも、
00:14:49この、
00:14:49アメリカ的な、
00:14:51僕は龍馬というのは、
00:14:52アメリカ的な、
00:14:53高官だと思うんですが、
00:14:55ナイスガイだと思うんですが、
00:14:56高官、
00:15:00メガウラクは、
00:15:03乱心俗子となるなかれと、
00:15:06言ったそうでは、
00:15:07乱心俗子というのは、
00:15:08要するに、
00:15:09氾濫する人間、
00:15:12無本する人間、
00:15:13それから、
00:15:14俗子というのは、
00:15:15もう、
00:15:16世の価値観から、
00:15:17全く離れた、
00:15:18毒のような人間、
00:15:21毒虫のような人間、
00:15:22乱心俗子、
00:15:23これは、
00:15:25革命家は、
00:15:25全部乱心俗子であります。
00:15:27しかし、
00:15:28革命家でも、
00:15:29大義例文があって、
00:15:31西郷や、
00:15:32喜怒行為を、
00:15:33乱心俗子という人は、
00:15:34同時代でもなかったんですが、
00:15:37しかし、
00:15:37龍馬の思想というのは、
00:15:38それを突き抜けたんですよね。
00:15:40横井正男というのは、
00:15:41非常に、
00:15:42当時としては、
00:15:43危険思想か、
00:15:44もう危険思想、
00:15:45異常の人でした。
00:15:46はじめは、
00:15:48どちらかというと、
00:15:48天皇主義であって、
00:15:50正男の画像から分かるように、
00:15:51その後は、
00:15:53何を考えたか、
00:15:54よく分からないくらいに、
00:15:56乱心俗子でした。
00:15:57それが、
00:15:59龍馬の思想が、
00:16:01対談しておって、
00:16:02分かって、
00:16:04そう思ったんでしょうな。
00:16:06だから、
00:16:06坂本龍馬という人が、
00:16:08どういう人だったかというのは、
00:16:09この、
00:16:10今言ったような、
00:16:11エピソードで、
00:16:12だいたい分かると思うんである。
00:16:14坂本龍馬という人が、
00:16:21面白いと思うのは、
00:16:23この頭に、
00:16:25いろんなことを、
00:16:26毎日考えているんでしょうな。
00:16:28多様なことを考えておって、
00:16:30おる頭だということが、
00:16:32分かるのは、
00:16:33非常に若い頃、
00:16:34まだ、
00:16:34高知の城下に、
00:16:36自分の家に、
00:16:37生まれた家に、
00:16:38おりました頃に、
00:16:40オランダ語を、
00:16:41学びに行った。
00:16:41龍馬も、
00:16:44物真似の上手でない人でありますが、
00:16:47習いに行こうとしたんですが、
00:16:50その頃は、
00:16:52龍馬は大変、
00:16:53変わった青年、
00:16:56あまり体制的でない、
00:16:59さっきの言う、
00:17:00エスタブリッシュメントでない、
00:17:02人間として、
00:17:03見られておりました。
00:17:05ですから、
00:17:06バカにしてた人も、
00:17:07多くございました。
00:17:08オランダは、
00:17:09ここ、
00:17:09憲法の話を、
00:17:11オランダ語を読みながら、
00:17:13文章を、
00:17:14日本語に変えていく、
00:17:15この、
00:17:16筑字を、
00:17:18翻訳、
00:17:18講義をしておりました。
00:17:21オランダ国憲法であります。
00:17:22オランダ国憲法というものは、
00:17:25大変な憲法であります。
00:17:27オランダというのは、
00:17:28アメリカやフランスよりも先進的な市民社会を作った国でありまして、
00:17:37スペインによって押さえつけられたのを跳ね返して、
00:17:40独立戦争をやって、
00:17:42やっと勝って、
00:17:43そして、
00:17:44上も下もない市民社会を作った。
00:17:46その憲法は、
00:17:47上も下もない、
00:17:49今の日本国憲法と、
00:17:50ほぼ似たような憲法であります。
00:17:52その講義をしておりましたら、
00:17:57憲法の語訳をしたわけである。
00:17:59これはそこまで語学があれば語訳しないんですが、
00:18:02中途半端な語訳であり、
00:18:04かつ、
00:18:04オランダの市民社会についての知識がなかったのですが、
00:18:09だから、
00:18:09量もあったんですね。
00:18:11何歳か今は覚えていませんが、
00:18:1418歳から20歳ぐらいにかけてのお話かもしれませんね。
00:18:20誰かから聞いて知ってたんですね。
00:18:22それは間違っておりますと言ったわけである。
00:18:27他の人間が言うなら別として、
00:18:30他の人間は秀才でありますから。
00:18:32こんな男にですね、
00:18:34自分の翻訳が間違っていると言われるのは真偽だから。
00:18:37どこが間違っているんだと。
00:18:38どこが間違っているかは分かりませんが、
00:18:40もう一度よく読んでくださいと。
00:18:43なるほど、もう一度きちっと畜語訳すると、
00:18:47間違っていたことに気がついたわけである。
00:18:49間違っていたと。
00:18:50お前の言う通りだと。
00:18:51ところでお前はどうして間違っていたと。
00:18:54オランダ語なんか何にも知らないお前が、
00:18:56どうして分かったんだと。
00:18:58それは分かりますと。
00:19:00つまり、
00:19:01龍馬の頭というのはそういう頭だったわけであります。
00:19:05だから大きく押さえて、
00:19:07物の本質を見ておけば、
00:19:09だいたい形が分かってくるという頭であります。
00:19:14横井正男の頭もそうであります。
00:19:17ですけども、横井正男という人は、
00:19:20五十何万国の熊本藩での切手の赤額でありまして、
00:19:24それだけで人に尊敬された人である。
00:19:27そして、かつ思想家である。
00:19:30思想家としては、初代名からも尊敬されて、
00:19:34越前の松平信学などは、わざわざ招いたぐらいですから。
00:19:39横井正男の寄ってたところは、
00:19:41科学についての自信であります。
00:19:44やっぱり人間というのは、
00:19:46何々についての自信ということが必要なんですね。
00:19:51何々については、自分は譲らんという、
00:19:54例えば、非常に簡単なことですが、
00:19:58稲を育てることについては、
00:20:00俺に及ぶものがないという、
00:20:02俺はもう二十年、百姓をしておるとか、
00:20:05五十年、百姓をしておるとか、
00:20:07いうことは、人間の自信の基礎なんですね。
00:20:11だから、世の中というのは、
00:20:12取り留めもなく生きていくものじゃなくて、
00:20:15人間というのは、やっぱり、
00:20:17このお猿との違いは、
00:20:19何か道具を持って、
00:20:22道具は具体的には、
00:20:23棒とか、クワとか、槍とか、
00:20:27あるいは、カンナとか、
00:20:29あるいは、ノコギリとか、
00:20:30いうものも道具ですが、
00:20:32目に見えない道具もあります。
00:20:34それは横井正男の場合は、
00:20:36観覚であります。
00:20:37龍馬の場合も、
00:20:39何に自信を持ったのかといったら、
00:20:41剣道だったんですね。
00:20:42要するに、スポーツであります。
00:20:45ご存知のように、
00:20:46彼は、
00:20:47高知の町道場で、
00:20:49免許、
00:20:50免許書いてるんじゃないんですね。
00:20:52目録、
00:20:52その一歩手前の目録であります。
00:20:55目録をもらうだけで、
00:20:57相当なもんらしいですね。
00:20:59新選組の、
00:20:59肘加と敏道も、
00:21:00目録だけですね。
00:21:03目録を、
00:21:0418歳でもらったわけですね。
00:21:06その時に、
00:21:06有名な、
00:21:07非常に下手くそな、
00:21:09彼の歌が、
00:21:10残ってますね。
00:21:12俺を、
00:21:12バカだバカだとしては、
00:21:14平くぞ、
00:21:14俺のことは、
00:21:15俺が一番よく知ってるという、
00:21:17非常に単純な歌であります。
00:21:19これは、
00:21:20地震の回復である。
00:21:21あるいは、
00:21:22回復より初めて地震を持った。
00:21:26龍馬という人は、
00:21:271メートル80センチあったろうと、
00:21:306尺あったろうと、
00:21:32いうのは、
00:21:32お姉さんが、
00:21:34大きな人でありまして、
00:21:36大きな人でありますから、
00:21:37なかなか、
00:21:38お嫁に行けなくてですね、
00:21:40後になって、
00:21:40お軽へという家に、
00:21:42お嫁に行くんですが、
00:21:435歳、3歳で行くんですが、
00:21:45この人の長襦袢を、
00:21:47来たらぴったりであったと、
00:21:49冗談で来たそうであります。
00:21:51だから、
00:21:51同じ背がある、
00:21:52というわけである。
00:21:541メートル、
00:21:5570、
00:21:5670、
00:21:5780センチから、
00:21:5780センチ近かったろうと。
00:22:01大きな人であります。
00:22:02大きな人でありますが、
00:22:06龍馬の、
00:22:07青年期に、
00:22:08彼の、
00:22:09兄貴分になりました、
00:22:11竹地安平太が、
00:22:14龍馬について、
00:22:15土佐に、
00:22:16あだたぬものと、
00:22:17あだたぬような、
00:22:18トッポジの、
00:22:18土佐面でありまして、
00:22:20うまく、
00:22:21土佐という社会に、
00:22:22入りきれない男だ、
00:22:24という意味である。
00:22:25この場合の土佐は、
00:22:26土佐の、
00:22:28下級桜である、
00:22:30豪子社会に、
00:22:32ピタッと、
00:22:33入っていけない、
00:22:34そうやって、
00:22:35暮らしていけない、
00:22:36人間だ、
00:22:36という意味でしょう。
00:22:37竹地安平太という、
00:22:39非常に、
00:22:40うるさい人が、
00:22:43やはり、
00:22:43最初に龍馬を、
00:22:45これは、
00:22:46違う人だと、
00:22:47思うんですけれども、
00:22:48龍馬自身はですね、
00:22:50皆さんご存知のように、
00:22:52少年期は、
00:22:53非常に劣等生であったわけです。
00:22:55これは、
00:22:55いろんな事情があるんだろうと思いますが、
00:22:59少年のノイローゼ、
00:23:02つまり、
00:23:02野尿症がありましたですね、
00:23:04夜をしっこり、
00:23:06行くべきところを、
00:23:07お布団の中で、
00:23:08しちゃうという、
00:23:09野尿症というのは、
00:23:10一つの精神症状であります。
00:23:14ですから、
00:23:15少年期の、
00:23:16ノイローゼのようなものが、
00:23:18あったんじゃないか、
00:23:18と思うんですけれども、
00:23:19お姉さんの、
00:23:20乙女さんの愛がなければですね、
00:23:23三つ上ぐらいの、
00:23:25お姉さんですが、
00:23:26龍馬の母のようにして、
00:23:27龍馬につき添って、
00:23:28やはり一生で、
00:23:29一番龍馬が好きだったようですね、
00:23:31非常に愛の深い、
00:23:35しかし強要のある、
00:23:36臨前たる女性でしたから、
00:23:39そういう女性というものに、
00:23:41手厚く育てられて、
00:23:44一緒に寝ているわけであります。
00:23:46そして、
00:23:47小学校年齢の龍馬を、
00:23:49毎晩、
00:23:49一定の時間が来ると、
00:23:51起こして、
00:23:52トイレに行かせると。
00:23:53そして、
00:23:53野尿症を治したと言いますが、
00:23:55野尿症があるということは、
00:23:57やっぱり、
00:23:57少年のノイローゼのようなものだったんでしょうね、
00:24:00塾に行っても、
00:24:03つまり、
00:24:04断られてしまうほどの、
00:24:06出来の悪い少年だったわけであります。
00:24:10小学校の制度はなかったんですけど、
00:24:12同じような、
00:24:13ちょうど制度で、
00:24:14小中、
00:24:16高、
00:24:16あるいは大学と、
00:24:18土佐藩でも、
00:24:19ほぼ、
00:24:19そういう具合で、
00:24:21進んでいくようにできていましたが、
00:24:23だから、
00:24:23小学校という言葉を使ってもいいと思うんですけども、
00:24:26エジソンというのは、
00:24:27不思議な人ですが、
00:24:29まあ、
00:24:29小学校、
00:24:31落題したことですな、
00:24:32エジソンのような、
00:24:34天才というのは、
00:24:35小学校教育に合わなかったのかもしれませんが、
00:24:38龍馬も、
00:24:39寺子屋の教育には、
00:24:40合わなかったのかもしれません。
00:24:42龍馬は、
00:24:44後に、
00:24:44京都に、
00:24:45で、
00:24:45奔走するようになりまして、
00:24:46あるいは、
00:24:48諸国を歩きました。
00:24:50その時に、
00:24:51お姉さんに、
00:24:51式輪手紙をよこしましたから、
00:24:54そのお姉さんは、
00:24:54きちっと取ってきましたから、
00:24:56だから、
00:24:57我々は、
00:24:58その龍馬という人は、
00:25:00大変な、
00:25:01つまり、
00:25:02教養人だということが、
00:25:03分かります。
00:25:05ヨーロッパ人は、
00:25:06書簡文学というのを、
00:25:07非常に大事にしまして、
00:25:08書簡は文学であると、
00:25:10しますが、
00:25:11日本では、
00:25:12あまりそういう習慣が、
00:25:13ありません。
00:25:14ですけど、
00:25:15幕末の書簡を、
00:25:16文学として、
00:25:17眺めようといえば、
00:25:19坂本龍馬の、
00:25:20お姉さんへの書簡が、
00:25:22最高で、
00:25:23二番目がないぐらいでしょうね。
00:25:25決まった部下からしかない時代ですから、
00:25:28ですから、
00:25:29方言を入れ、
00:25:30そのあらゆる言語を入れて、
00:25:33で、
00:25:33しまいに言語が足りないところは、
00:25:35略図、
00:25:36漫画のようなものまで書いて、
00:25:38お姉さんに、
00:25:39現状の報告をしておる。
00:25:42坂本龍馬は、
00:25:44お姉さんで、
00:25:45女性像が決定的にできたようで、
00:25:48お姉さんというのは、
00:25:49そういう、
00:25:49インテルであって、
00:25:51どうも、
00:25:52坂本龍馬の、
00:25:53女性に対する好みも、
00:25:56お姉さんが、
00:25:57基準になっているようですな。
00:25:58お姉さんという人は、
00:26:01おかしな人でですね、
00:26:03確か、
00:26:03私はもう、
00:26:04昔で調べたことですから、
00:26:06忘れましたが、
00:26:07竹内半平太の、
00:26:10奥さんの、
00:26:11富子さんに対して、
00:26:13言った言葉だろうと思うんですが、
00:26:14女の仕事などは、
00:26:16するなと言う。
00:26:17女の仕事というのは、
00:26:19台所仕事であり、
00:26:20縫い物であります。
00:26:21そういう、
00:26:22馬鹿なことをするなと。
00:26:24本を読んだり、
00:26:25物を考えたりしろと。
00:26:27これは、
00:26:28当時としては、
00:26:28とびきりの、
00:26:32今でもそれを、
00:26:34盛んに言えば、
00:26:35やっぱり変な人だと思われるぐらいの、
00:26:38飛び放えた人だと思います。
00:26:40それで、
00:26:41新助さんという、
00:26:43村のお医者に、
00:26:44嫁に行きました。
00:26:46非常に面白いのはですね、
00:26:48台所仕事なんかしないんですけれども、
00:26:51子供の、
00:26:52友達が来ると、
00:26:54紳士として、
00:26:55あるいは宿女として、
00:26:56待遇するわけですね。
00:26:58その友達に、
00:27:00お菓子を出す。
00:27:01必ず二つ出す。
00:27:03無駄なんですけど、
00:27:04必ず二つ出す。
00:27:06つまり、
00:27:06相手を宿女、
00:27:07もしくは紳士として、
00:27:08対遇する。
00:27:10こういうことが、
00:27:13きちっとあった人で、
00:27:14娘さんの頃に、
00:27:17この高知城の、
00:27:18真姿で、
00:27:20馬を走らせて、
00:27:21非常に馬の上手な人だったと、
00:27:24言われておりますが、
00:27:26何にしても、
00:27:29一つ、
00:27:30突き抜けた人のようです。
00:27:32で、
00:27:33両番が、
00:27:34京都で恋人にしてしまった、
00:27:37お寮さんというのは、
00:27:38長崎まで、
00:27:40連れて行くわけですが、
00:27:41お寮さんも、
00:27:43どうも、
00:27:43その、
00:27:44乙女さんの、
00:27:45安物番のような感じで、
00:27:47ですね、
00:27:48乙女さんのような、
00:27:50教養がないので、
00:27:51非常に、
00:27:52龍馬は、
00:27:52それを、
00:27:53学問をするように、
00:27:54進めたりですね、
00:27:55だけど、
00:27:56この、
00:27:57下部音曲に、
00:27:58生じておったと、
00:28:00それが、
00:28:01やっぱり、
00:28:01龍馬の彼女に対する、
00:28:02魅力であったと、
00:28:04私は、
00:28:05今も忘れましたが、
00:28:06龍馬は、
00:28:07最後の頃に、
00:28:08江戸に行くが、
00:28:10家を見つけて、
00:28:11置いてくれ、
00:28:12ということを、
00:28:14江戸の動詞に、
00:28:16書いておりますが、
00:28:17どうも、
00:28:17龍馬さんと、
00:28:19江戸で書体を、
00:28:20その後も持つ、
00:28:21ということは、
00:28:22考えなかったんじゃないか、
00:28:24と思ったりしますが、
00:28:25いずれにしても、
00:28:26そういう、
00:28:27愛情の問題は、
00:28:28難しい問題でありまして、
00:28:31乙女さんという、
00:28:32原型が、
00:28:33彼の女性感を、
00:28:34左右していったと思います。
00:28:37乙女さんは、
00:28:38素晴らしい女性であった。
00:28:40ところが、
00:28:40乙女さんもですね、
00:28:42新助さんが、
00:28:43気に食わなくなってきて、
00:28:45帰ってきてしまうわけである。
00:28:46高知の町に、
00:28:48帰ってきて、
00:28:49彼女は、
00:28:50もう人生を、
00:28:51どうやって過ごすか、
00:28:53悩んだわけである。
00:28:54この子の人生を、
00:28:55どうやって過ごすか。
00:28:57もう一層のこと、
00:28:58男の姿になってですね、
00:29:01京都の町で、
00:29:02弟のように、
00:29:04奔走したいと、
00:29:06思って、
00:29:07弟に手紙を出すわけである。
00:29:10それを、
00:29:10弟は、
00:29:11返事がですね、
00:29:12姉の、
00:29:13間違ったと、
00:29:15両門は思っているんですが、
00:29:17そういう、
00:29:18出花を、
00:29:21くじかなきゃいけないわけですから、
00:29:24それの手紙の、
00:29:25実に面白いことはですね、
00:29:28皆さん、
00:29:29どこかで、
00:29:30ぜひ手に入れて、
00:29:31読んでください。
00:29:32私も、
00:29:33もう20年前ですから、
00:29:34忘れてしまいましたが、
00:29:36とにかく、
00:29:37姉を、
00:29:38冷やかして、
00:29:39やゆって、
00:29:40次に、
00:29:40この、
00:29:41お前さんの言っていることは、
00:29:42おかしい、
00:29:43と言って、
00:29:43間違っているとは言わずに、
00:29:45実に、
00:29:45その、
00:29:46面白い、
00:29:47今の言葉で言う、
00:29:49ギャグのようなものを、
00:29:50使ったりですね、
00:29:52皮肉、
00:29:52ユーモア、
00:29:53あらゆることで、
00:29:54お姉さんを、
00:29:55その、
00:29:56からかいつつ、
00:29:57最後に、
00:29:57そういうことは、
00:29:57よくない、
00:29:58ということを、
00:29:58思わせてしまう、
00:30:00いい手紙であります。
00:30:03で、
00:30:03そういう、
00:30:04人間の、
00:30:05きりというものを、
00:30:07言語として、
00:30:07表現できた人は、
00:30:10あの時期に、
00:30:11まあ、
00:30:12少なくとも、
00:30:12残っている文章では、
00:30:13さかのと両判くらいのものなんです。
00:30:15あとは、
00:30:16本当に、
00:30:16あの、
00:30:16少なくございます。
00:30:18そういう、
00:30:19才能、
00:30:20もしくは、
00:30:20教養、
00:30:21は、
00:30:23恐るべきものであります。
00:30:25そして、
00:30:26その、
00:30:26彼自身は、
00:30:28その、
00:30:29自分自身を守る道として、
00:30:32剣道をしておりましたが、
00:30:35その、
00:30:35さっき言ったように、
00:30:3618歳で目録を取ったという話に、
00:30:38話を戻しますが、
00:30:40剣道の教師に、
00:30:42親父は、
00:30:43したかった、
00:30:43兄貴は。
00:30:44兄貴は、
00:30:45この末の弟は、
00:30:46要するに、
00:30:47世を継がないわけですから、
00:30:49兄貴としては、
00:30:51末の弟の身の振りを、
00:30:53考えるのが、
00:30:54兄貴の義務であります。
00:30:56で、
00:30:56養子かどこかに、
00:30:57口があれば、
00:30:58一番最高にいいんでありますが、
00:31:01養子の口が、
00:31:02ああ、
00:31:04ないか、
00:31:04もしくは、
00:31:05本人が、
00:31:05そういう意思がない場合には、
00:31:07何か独立して、
00:31:08暮らしの立つように、
00:31:10してあげなきゃいけない。
00:31:11200床ならば、
00:31:12田んぼを、
00:31:13少し分けたりしますが、
00:31:14なるべく田んぼというのは、
00:31:16分散しない方が、
00:31:17いいわけである。
00:31:18それで、
00:31:19町道上司にさせようと。
00:31:21まあ、
00:31:22お兄さんとしては、
00:31:23精一杯なアイデアである。
00:31:25だから、
00:31:26江戸に、
00:31:26留学させたわけである。
00:31:27江戸に行かせるのは、
00:31:29今、
00:31:29アメリカに留学するより、
00:31:30高くつきますですからね。
00:31:32当時、
00:31:32江戸に行くのは、
00:31:33もう、
00:31:33江戸の往復だけでも、
00:31:34高いお金であります。
00:31:36それで、
00:31:37また、
00:31:38江戸で、
00:31:40生活をするというのは、
00:31:42生活費を、
00:31:43国元から送るというのは、
00:31:44大変な経費であります。
00:31:46だから、
00:31:47お兄さんとしては、
00:31:48もう、
00:31:48実にいい兄貴だったと。
00:31:51高知に帰ってきて、
00:31:52町道上司にすると。
00:31:55剣道というのは、
00:31:57剣術と言いますのは、
00:31:59その発生の時から、
00:32:00低い技術であります。
00:32:03まあ、
00:32:03時代劇とか、
00:32:04そういうのもので、
00:32:05やたらと剣道は、
00:32:06出てきたりしてますけども、
00:32:08そしてまた、
00:32:10どの班でも、
00:32:11剣術、
00:32:12指南役という、
00:32:13管理がいます。
00:32:15管理がいますが、
00:32:17身分はどうかというと、
00:32:18低い技術。
00:32:19剣術教師で、
00:32:21高い身分だった人というのは、
00:32:23宮本武蔵が生きている頃の、
00:32:26終わりの班で、
00:32:27八重兵庫之助が、
00:32:29600国もらってたのが、
00:32:32一番高い身分だったろうと思います。
00:32:35南国南国で、
00:32:36勧奨するのは、
00:32:37高等官であります。
00:32:39犯人官、
00:32:40つまり、
00:32:41貸し官は、
00:32:42何人ぶちと、
00:32:43勧奨するわけです。
00:32:44現金で、
00:32:46サラリーがもらえる。
00:32:47南国南国というのは、
00:32:48形式上、
00:32:50領地があるということである。
00:32:52南国の村が、
00:32:54あって、
00:32:54村の領地だと、
00:32:55そんなことはないんですけど、
00:32:56江戸時代は、
00:32:57もうそういうことはないんですけど、
00:32:58形式として南国。
00:33:00南国というのは、
00:33:01高等官である。
00:33:02だから、
00:33:02600国といえども、
00:33:03高等官である。
00:33:04高等官でありますが、
00:33:06大半での600国というのは、
00:33:07低い。
00:33:09それが、
00:33:10全国でも、
00:33:11一番高い、
00:33:12剣術教師の、
00:33:14対応だったわけでありまして、
00:33:15今思っているほどには、
00:33:17侍の世の中では、
00:33:20堅実というのは、
00:33:21さほどに、
00:33:22おもんじられていなかった。
00:33:24やっぱり、
00:33:25行政官としての能力が、
00:33:28あるかどうか、
00:33:29いうことが、
00:33:30やっぱり大きいことでした。
00:33:31それから、
00:33:31政治家として、
00:33:32人民を食べさせていけるかどうか、
00:33:35という能力が、
00:33:36高い評価を受けていて、
00:33:38今と変わりません。
00:33:39それから、
00:33:40日本の江戸時代の面白いですね、
00:33:42お医者というのはですね、
00:33:43江戸時代は、
00:33:45身分は固定しておりますが、
00:33:48藩の御定義になるのは、
00:33:49ほとんど百姓の出身である。
00:33:52百姓に秀才が出ましてですね、
00:33:54抜きんでられて、
00:33:55藩の御定義になる。
00:33:57御定義になりますと、
00:33:58殿様の脈を取るもんですから、
00:34:00もう、
00:34:01殿様のそばへ行くもんですから、
00:34:02身分を高くしてしまう。
00:34:04まあ、
00:34:04国高は、
00:34:05高くなくても、
00:34:06身分だけは高くしてしまう。
00:34:09それから、
00:34:09もっと秀才は、
00:34:10幕府の将軍の、
00:34:12奥石になることで、
00:34:13奥石の尊敬され方というのは、
00:34:16今の大学の総長、
00:34:18都大の総長以上のものであります。
00:34:20奥石は何人もおりますが、
00:34:23ほとんどは、
00:34:23世襲の子はですね、
00:34:26能力がない場合が多いですから、
00:34:29もう、
00:34:30お口だけいただいて、
00:34:31お役はなし。
00:34:32で、
00:34:33常に現役の奥石が、
00:34:35採用され続けるんですが、
00:34:37ほとんど百姓の出身である。
00:34:38全国的な規模の中から、
00:34:40秀才名医を選んで、
00:34:43奥石にしていくわけであります。
00:34:46奥石の身分は、
00:34:47大名を異常にしてあります。
00:34:48確か、
00:34:49十四位だったと思いますが、
00:34:51十四位と言いますと、
00:34:53やっぱり、
00:34:53三十万戸ぐらいの大名の、
00:34:57異界君とはだと思うんですが、
00:34:59だから、
00:35:00そういう道があります。
00:35:03建築の四難番というのは、
00:35:05やはりこれも才能ですから、
00:35:08有名な県客というのは、
00:35:10幕末までの間でも、
00:35:15農民の指針が多くございました。
00:35:17やっぱりこれも、
00:35:18階級がアップしていくための、
00:35:20いい抜け穴、
00:35:21つまり社会が、
00:35:23空気が滞っているのを、
00:35:25空気の滞留を良くするための、
00:35:28いい抜け穴として、
00:35:29江戸時代のいい制度でした。
00:35:31非常に能力の高いスポーツマンは、
00:35:33剣道をやる。
00:35:34そして、
00:35:35反応や幕府の剣術師反になる。
00:35:39それになるチャンスがなかったら、
00:35:40町道場を開く。
00:35:42それはそれで、
00:35:43食べていける。
00:35:44というわけで、
00:35:46両馬は町道場主として、
00:35:50お兄さんは考えている。
00:35:52それで、
00:35:53やっぱり、
00:35:54それだけのお金を使わないと、
00:35:56身につきませんから、
00:36:00江戸の千葉道場に、
00:36:01つまり、
00:36:02周作の弟の、
00:36:03貞吉という方の道場に、
00:36:06修行に出したわけである。
00:36:08ですから、
00:36:10お兄さんの思いは、
00:36:11その程度を、
00:36:12両馬に望んでいたし、
00:36:14そしてまた、
00:36:15お兄さんの大きな行為だったわけである。
00:36:18そういうように、
00:36:19運命はならなかったのですが、
00:36:22両馬というのは、
00:36:24やはり、
00:36:29臭みのない人ですね、
00:36:32自分というものを、
00:36:34簡単に捨てることができた、
00:36:37例えば、
00:36:37競争心とかですね、
00:36:38自分を押し出して、
00:36:41よく見せたいという意識、
00:36:43そういうものは、
00:36:44臭みというとしたら、
00:36:46両馬には、
00:36:47それはどういう訓練を経たのか、
00:36:50非常に薄かった。
00:36:52この薄かった部分が、
00:36:53薩長、
00:36:55連合という、
00:36:56なしがたい、
00:36:57つまり、
00:36:58二つが、
00:36:59急適のように思いやっているものを、
00:37:02成し遂げさせた、
00:37:04ただ一つの条件ですね、
00:37:06つまり、
00:37:06幕末において、
00:37:10薩長が連合をすれば、
00:37:11幕府は倒せるというのは、
00:37:13誰でも分かっていることである。
00:37:15それを、
00:37:16幕府は倒さないと、
00:37:18日本というのは、
00:37:19もう死ぬだろうと、
00:37:21植民地になるだろうと、
00:37:22亜鉛戦争が日本において、
00:37:24起こるだろうというのは、
00:37:24誰でもの共通の認識でした。
00:37:27ですから、
00:37:27大名もそう思い、
00:37:29庶民もそう思った。
00:37:31それを、
00:37:32仲良くさせちゃったんですから、
00:37:34それは、
00:37:35理論は皆も分かっておって、
00:37:37だから言っただけである。
00:37:38言い出し兵衛の魅力だけである。
00:37:41坂本龍馬が言ったから、
00:37:45OKということになったわけで、
00:37:47時期もそういう時期で、
00:37:48そういう時期を見抜く、
00:37:50今だという、
00:37:51両方が相当弱っておる。
00:37:55今だということを見抜く能力。
00:37:58龍馬が天性を持っていた能力ですから、
00:38:02それもあったんですが、
00:38:04非常に、
00:38:05非常に殺鳥連合をさせて、
00:38:07自分の手柄にする。
00:38:10こういうことは、
00:38:11全く意識がなかった。
00:38:13まあ、
00:38:13よく言われてますように、
00:38:15私の口から、
00:38:16わざわざ言うことはないエピソードですが、
00:38:19大政奉還が成立しました時にですね、
00:38:22将軍が政権を京都の御所の兵に放り込んだと、
00:38:27当時の表現であります。
00:38:29政権だけを放り込んで、
00:38:32それでもって、
00:38:33将軍は江戸へ帰っていった。
00:38:35徳川義信、
00:38:3615代の義信である。
00:38:38日本全国における徳川領、
00:38:41将軍幕府領、
00:38:42600万石と言われたり、
00:38:44正確な数字は分からないんです。
00:38:46400万石と言われたりしてますが、
00:38:48それは握ったまま、
00:38:51政権というもののみを、
00:38:53御所の兵に放り込んでいったと。
00:38:55どうしていいか分からない。
00:38:57やっぱり吉野部は大変な政治家であります。
00:39:00まず、
00:39:00このなしがたい、
00:39:02この国の運営、
00:39:04国際社会に泳いでいって、
00:39:07かつ、
00:39:07人民をなだめる、
00:39:09人民の沸騰をなだめる、
00:39:11こういう困難なことはできっこない、
00:39:14京都の政府ができっこないのに、
00:39:16ボンと御所の兵に、
00:39:18掘り込んでいったと。
00:39:19当時言われております。
00:39:20そんな表現です。
00:39:23大政奉還は、
00:39:24坂本龍馬の構想であります。
00:39:27最も厄介な政権というものを、
00:39:30将軍としても嬉しいわけです。
00:39:32やっと解放された。
00:39:33だから、
00:39:35革命家としてはですね、
00:39:37将軍をやっつけて、
00:39:40幕府を軍事的に潰してしまう、
00:39:42ということが、
00:39:43革命家の本来であって、
00:39:46最後はそのつもりでした。
00:39:48ですけども、
00:39:49自分の知らざるときに、
00:39:51将軍にパッと、
00:39:53この政権だけを掘り込まして、
00:39:55将軍は、
00:39:55江戸に帰っていく。
00:39:57このことをやられたので、
00:39:58西郷は非常に不況に立ったわけである。
00:40:02それをやったのが、
00:40:03同じ仲間の革命家だったわけ。
00:40:05ここで、
00:40:06西郷と坂本とは、
00:40:08明治維新の構想が、
00:40:09違うということが、
00:40:10よくわかったわけである。
00:40:11坂本は、
00:40:12血を濡らさずして、
00:40:14明治維新を作れるんだ、
00:40:15という自信があったわけ。
00:40:17西郷は、
00:40:19古今東西の、
00:40:20もう全ての革命家と同じように、
00:40:23血濡らさずして、
00:40:25革命はできないと、
00:40:26という信念。
00:40:28これはこれで、
00:40:28理論的なものである。
00:40:30ついでに言いますけども、
00:40:32一つの民族が革命を起こすのは、
00:40:34歴史の中で、
00:40:35一回しか起こしておりませんので、
00:40:37革命というのは、
00:40:39えらい、
00:40:40お仕事ですな。
00:40:41人が死ぬ。
00:40:42フランス革命を起こしたフランスは、
00:40:45もう二度と革命を、
00:40:46起こしそうになっても起こさない。
00:40:49そして、
00:40:49そのもう二度ともいいんだという。
00:40:52日本は明治維新平やったら、
00:40:54もう革命はコリコリだ、
00:40:56というところがありますんでしょうな。
00:40:57中国だけは二度やってるじゃないかと、
00:41:00侵害革命と、
00:41:01毛沢東による新中国の成立は違う革命ですから、
00:41:06だけど侵害革命というのは、
00:41:08革命だったかどうか、
00:41:09よくわかりません。
00:41:10これはまあ、
00:41:10新朝を倒したわけですが、
00:41:11二度とやりたくない。
00:41:13一つの民族は、
00:41:14だいたい革命を一回、
00:41:16まあ、
00:41:16中南米の国は革命というのは、
00:41:19クーデターで、
00:41:20一種の政権の交代の、
00:41:21一つの、
00:41:23儀式というようなものですから、
00:41:24これはまた意味が違いますが、
00:41:27オランダも独立戦争を一度やったら、
00:41:28オランダも二度と革命が起こらない。
00:41:31だいたい、
00:41:32古代が終わって、
00:41:33中世が終わって、
00:41:34全部総決算が革命、
00:41:37近代化への革命ですから、
00:41:39それをやってしまえば、
00:41:40あとは手直しで、
00:41:41社会というのは、
00:41:43うまく持っていけるもののようですな。
00:41:46そういうように、
00:41:47どの民族でも革命革命と、
00:41:49その後も言うんですけれども、
00:41:51不思議と二度と起こらない。
00:41:54日本の場合は、
00:41:55敗戦がありましたから、
00:41:56これは大きいございます。
00:41:58この敗戦というのは、
00:41:59革命の代表品としても、
00:42:01明治時期に非常に大きいものでありましたが、
00:42:03それは別として、
00:42:05とにかく明治維新というものの構想が、
00:42:10最後、革命家である西郷と、
00:42:12西郷は徳川義信の首を跳ねるというつもりで、
00:42:17西郷はいました。
00:42:18跳ねることによって、
00:42:20当時新聞も、
00:42:23テレビもありませんから、
00:42:24満点化に知らせてくれると、
00:42:26世の中は勝ったぞと、
00:42:28これ以外に、
00:42:29革命のプロパガンダといいますか、
00:42:32薩摩の癒やしい侍である西郷が、
00:42:35薩摩藩を率いて、
00:42:37そして将軍の首を切ったと、
00:42:39分かったと、
00:42:40今から世の中は勝ったんだということを、
00:42:42知らしめるという、
00:42:44これで意志外にないと、
00:42:45大久保利光もそのつもりでした。
00:42:47それから、
00:42:49土佐の室戸岬に、
00:42:51銅像が建っています、
00:42:53中岡慎太郎も、
00:42:54強烈にそのつもりでした。
00:42:57その、
00:42:57中岡慎太郎も、
00:42:59名文家でありまして、
00:43:00戦いを恐れるなという、
00:43:03論文があります。
00:43:04彼の殺される、
00:43:05龍馬と一緒に殺されるんですが、
00:43:07少し前です。
00:43:09戦の一時あるのに、
00:43:10戦うという、
00:43:12つまり革命というのは、
00:43:12これ以外ないんだという、
00:43:14実に論理的な、
00:43:16名文であります。
00:43:17西郷も、
00:43:19大久保も、
00:43:20明治維新の前の、
00:43:22戊辰革命、
00:43:23つまり明治維新の革命についての、
00:43:26劣化とした論文を、
00:43:27残さなかったんですけれども、
00:43:29中岡慎太郎は、
00:43:30見事な、
00:43:31短い文章で、
00:43:33非常にすぐ読める文章なんですが、
00:43:35見事な文章を残しております。
00:43:38そうしたら、
00:43:39中岡慎太郎の親友であり、
00:43:40西郷の親友である、
00:43:41坂本龍馬だけが、
00:43:43別な質問を持ったわよ。
00:43:45血濡らさずして、
00:43:46革命ができると。
00:43:48それが、
00:43:50後藤昌二郎という、
00:43:51戸佐藩の、
00:43:52家老ですね、
00:43:53分かりやすく言うと、
00:43:55一大家老であります。
00:43:56当時、
00:43:57戸佐藩は、
00:43:58世襲の家老はいましたけど、
00:43:59これは全部、
00:44:00ボンクラなものですから、
00:44:01有能なものを、
00:44:02執政という、
00:44:04職にしました。
00:44:06後藤昌二郎という、
00:44:07底抜けの、
00:44:08大きな人物に、
00:44:10坂本龍馬は、
00:44:11身分が低くございますから、
00:44:13後藤昌二郎を持って、
00:44:15殿様をとき、
00:44:17京都にいました。
00:44:18徳川や景気を、
00:44:19徳川やなかった。
00:44:20で、
00:44:21薩摩でも、
00:44:22小松立脇という、
00:44:23家老は、
00:44:24後藤昌二郎と同じ事件でした。
00:44:26小松立脇は、
00:44:27チャーミングな人ですが、
00:44:29最後よりは、
00:44:30穏やかな革命家である。
00:44:32後藤昌二郎と同じで、
00:44:33そんないい薬があるとしたら、
00:44:35それがいいというのは、
00:44:36大政奉還だよ。
00:44:39大政奉還というのは、
00:44:40言葉だけであって、
00:44:41将軍は、
00:44:42お荷物を京都に残して、
00:44:43去っただけである。
00:44:44だから結局は、
00:44:45東幕戦争が、
00:44:47後になって起こるんですけど、
00:44:48その時は、
00:44:49坂本はいなかった。
00:44:50この辺にはいなかった。
00:44:51札長連合をやって、
00:44:54大政奉還をやったんです。
00:44:56大政奉還は、
00:44:57二条条で、
00:44:58会議が行われました。
00:45:00オープンの会議でした。
00:45:02出席者は、
00:45:03各官の代表者、
00:45:06戸坂から後藤昌二郎、
00:45:07薩摩から小松立脇、
00:45:09そういう具合の人が、
00:45:10と言って、
00:45:11将軍から見れば、
00:45:13大名は、
00:45:14直属の部下ですが、
00:45:16その家来は、
00:45:18将軍から見れば、
00:45:19農民と同じ階級なんです。
00:45:22この稲井のと同じ階段の人、
00:45:24その家来と、
00:45:25将軍とが対話したわけですから、
00:45:28これそのものが、
00:45:29階級的な意味では、
00:45:30革命であります。
00:45:32契機というのは、
00:45:32それだけ思い切ったことのできる人でした。
00:45:35その、
00:45:36吉野部です。
00:45:37で、
00:45:37その、
00:45:38私は契機と言いますが、
00:45:39そういうふうに覚えて、
00:45:40言い癖ですから。
00:45:43徳川契機は、
00:45:45その二条条の大会議を開いて、
00:45:47そして、
00:45:47小松後藤昌次郎から出た、
00:45:51大政奉還案に、
00:45:53賛成したわけで、
00:45:54俺はそれに乗ると言った。
00:45:57坂本領馬は、
00:45:58それ待ってたわけで、
00:45:59京都の会議の報告がどうなるか、
00:46:02宿で待ってたわけで、
00:46:04二条条から飛んできたお使いが、
00:46:06将軍は、
00:46:07政権を返上すると、
00:46:09決まったと。
00:46:10その時、
00:46:10領馬は、
00:46:12ひっくり返ってですね、
00:46:13これは非常に感動的な場面ですが、
00:46:18今まで憎んでおった、
00:46:19あれだけ憎んでおった将軍というものに対してですね、
00:46:23非常に偉い人だと。
00:46:25この将軍のためなら、
00:46:26命もいらんと言ったわけ。
00:46:27つまり、将軍が革命の主人になったわけです。
00:46:34その後の歴史は、
00:46:35徳川契機を大きくは評価しません。
00:46:38しかし、
00:46:39明治維新の最大の功績者は、
00:46:42徳川契機であることははっきりしておられる。
00:46:44それは明治の体幹は、
00:46:47言いたくなかっただけである。
00:46:49徳川契機が、
00:46:50不戦にして、
00:46:52戦わずして、
00:46:53政権を返上したというのは、
00:46:55もう決定的な、
00:46:56革命の功績である。
00:46:59それを、
00:47:00龍馬だけがわかったわけですね。
00:47:02なぜかと言えば、
00:47:03立案者ですから。
00:47:05それで、
00:47:05非常に感動して、
00:47:06ひっくり返って、
00:47:08この君のためならば、
00:47:11自分は命を捨てると言って、
00:47:13この時に、
00:47:14一体この言葉を、
00:47:15その馬鹿な、
00:47:17カチカチの人が聞いたら、
00:47:19じゃあ、
00:47:20ローマは裁くなったのかと。
00:47:24まあ、
00:47:25当時の流行り言葉では、
00:47:26悪雨を助けるという指が、
00:47:28砂漠であります。
00:47:30金納というのは、
00:47:31革命家のことを言うんである。
00:47:32この土佐の酒場に、
00:47:34田中幸健という人はいまして、
00:47:37酒場の、
00:47:38家老の城下町でした。
00:47:40その家老の家来である。
00:47:42そしたら、
00:47:42これはお殿様から見れば、
00:47:44売信で、
00:47:45またものになるわけです。
00:47:47高知の町を、
00:47:48土佐の人は、
00:47:49今でもそういう言葉は、
00:47:50残ってますけど、
00:47:51お町と言うんですね。
00:47:53おがつくんである。
00:47:53それはお城下という意味である。
00:47:55お町に来るとですね、
00:47:58両党は、
00:47:59酒場の町で刺してるんですよ。
00:48:01脇差ししか刺せない。
00:48:03大党はどっかして、
00:48:04友達のとこ置いておいて、
00:48:05高知の町では、
00:48:07百姓の身分になるわけです。
00:48:08こういう身分社会の中で生きてきて、
00:48:12田中高賢は、
00:48:13やがて脱藩して、
00:48:15世に抜けて、
00:48:16それから長州へ逃れるんですが、
00:48:18当時、
00:48:18金能、
00:48:19彼の言葉で、
00:48:20金能ということは、
00:48:23火付強盗という、
00:48:25ご関東なりだったと。
00:48:27つまり、
00:48:28土佐の酒場で、
00:48:29田中高賢という人間が、
00:48:32脱藩したと、
00:48:33賢助という名前だったと思いますが、
00:48:35言うと、
00:48:36あいつも、
00:48:37石付強盗、
00:48:38泥棒の類になったかという、
00:48:40非常に癒しめられた言葉だったそうだ。
00:48:43この五感の変化は、
00:48:45明治の世が固まって、
00:48:47小学校教育が広ばれにつれて、
00:48:49金能というのは、
00:48:50非常に高級なもんだと。
00:48:53金能の師というのは、
00:48:55非常に高雅な、
00:48:58高くて、
00:48:59びわびわかな、
00:49:01紳士たちだと。
00:49:02思われがちですが、
00:49:04田中高賢は、
00:49:04いいことを残してくれています。
00:49:07歴史の中で、
00:49:08一番わかりにくいのは、
00:49:09五感、
00:49:10それから、
00:49:11その時代の感覚というものである。
00:49:13これは、
00:49:13高賢という人は、
00:49:15やはり、
00:49:15龍馬よりも、
00:49:16小さな人ですけれども、
00:49:18土佐人の持つ表現能力、
00:49:21というものを持った人ですから、
00:49:23そういうように、
00:49:23残しているところをくれた。
00:49:25で、
00:49:26龍馬は、
00:49:27金能の師匠であります。
00:49:29それが、
00:49:29徳川景気のためには、
00:49:30命もいらんという、
00:49:32ここら辺の大きさがですね、
00:49:33龍馬には、
00:49:35金能も砂漠もなかったということですね。
00:49:38ただ、
00:49:38一人の革命家であって、
00:49:40しかも、
00:49:41アウトサイダーでなくて、
00:49:42インサイドにいて、
00:49:44大きな、
00:49:44日本の設計図を持っていた。
00:49:46おそらくは、
00:49:48龍馬が持っていたのは、
00:49:50アメリカと似た制度だったろうと、
00:49:52思うんである。
00:49:53ただ、
00:49:54彼は、
00:49:55薩長が持っている、
00:49:56考えがですね、
00:49:59打上官とか、
00:50:00いろいろ、
00:50:01そういう名前の、
00:50:02古代の名前をつけた、
00:50:03非常にこの、
00:50:05国粋的な、
00:50:07センス、
00:50:08これ、
00:50:08最後には、
00:50:09そういう国粋的なセンスは、
00:50:10ありません。
00:50:11ありませんけれども、
00:50:12中まで、
00:50:13国学派がいましたから、
00:50:14国学派に対する、
00:50:16世論沈めで、
00:50:17非常にこの、
00:50:18復古的な名前をつける、
00:50:19つけでもらわなかった。
00:50:21ほとんど、
00:50:23全日本に、
00:50:24覆っていた、
00:50:26正野階級。
00:50:27これは、
00:50:27国学派が多かった。
00:50:29国学派って、
00:50:30イデオロギーだけでなくて、
00:50:32政治勢力、
00:50:32似たようなもんでした。
00:50:34例えば、
00:50:34長州藩の藩来革命に、
00:50:36兼ね出して、
00:50:37応援し続けたのが、
00:50:38白石という人でありまして、
00:50:40この人も国学者でした。
00:50:42侍じゃありません。
00:50:43それから、
00:50:44島崎藤尊は、
00:50:45基礎の、
00:50:46孫目の人でありますが、
00:50:48藤尊のおじいさんは、
00:50:49正野の身分で、
00:50:50国学をかぶれして、
00:50:52そして、
00:50:52勤労の、
00:50:53仲間に入っておった。
00:50:55つまり、
00:50:55そこのグループが、
00:50:57ありますから、
00:50:58最後は、
00:50:59非常に社会科学的な、
00:51:02素直な頭の革命家である。
00:51:04この国学者は、
00:51:06非常にファナティックな、
00:51:07国粋派。
00:51:08この世論を、
00:51:09こう、
00:51:10ダメだということはできなくて、
00:51:12彼らを抱き込んで、
00:51:13生理したために、
00:51:15復興的な名前がついたりするんですが、
00:51:17その匂いを、
00:51:19両母は嗅いだんでしょうな。
00:51:21どうも自分が持っている、
00:51:22青写真とは、
00:51:23違う風になっていくんだと。
00:51:25ちょっと絶望的な気持ちも、
00:51:27あったに違いない。
00:51:28あれや、
00:51:29これやでですね、
00:51:30最後は、
00:51:31私として、
00:51:32総国人の、
00:51:33同志社の近所の、
00:51:34薩摩屋敷におりまして、
00:51:35坂本さん、
00:51:36来てくれって言って、
00:51:37言ったら、
00:51:38大丈夫かにも、
00:51:40大臣、
00:51:41閣僚、
00:51:42それから、
00:51:43偉い人。
00:51:44これ、
00:51:44名簿、
00:51:45各藩から、
00:51:46功績のある藩、
00:51:47それから、
00:51:48有力な藩、
00:51:49抱き込んでいる藩、
00:51:50土佐藩団というのは、
00:51:51もう大変な、
00:51:53発言権を持った、
00:51:54藩になっておるわけです。
00:51:57その土佐藩団の代表が、
00:51:58非常に低い部分ですけど、
00:52:00坂本龍馬であることは、
00:52:02世間が知っている。
00:52:04土佐藩のものは、
00:52:05坂本龍馬というのは、
00:52:06どこかの、
00:52:06町越しの子じゃないかと。
00:52:08認めてないかもしれませんけども、
00:52:10世間ではそう思っている。
00:52:12つまり、
00:52:12革命家仲間では。
00:52:14だから、
00:52:14龍馬に代表して、
00:52:16人員の付け足し、
00:52:17名簿を、
00:52:18こさえてくれた。
00:52:19これこれ、
00:52:20これこれは、
00:52:20ぜひ、
00:52:20新政府に入れてくれた。
00:52:23そうすると、
00:52:24龍馬は、
00:52:24じゃあ、
00:52:25これだと言って、
00:52:25出した。
00:52:27最後は、
00:52:27それを見た。
00:52:28有名な話である。
00:52:29ご存知だと思います。
00:52:31よく見ると、
00:52:31坂本龍馬という名前、
00:52:32載ってたんですね。
00:52:34これは、
00:52:35新たな名前が、
00:52:36忘れてますな。
00:52:39ついていった、
00:52:40もつむねみつが、
00:52:41それを目撃しているんです。
00:52:42これ、
00:52:42明治の外交、
00:52:44外務大臣で、
00:52:45皆さんご存知のように、
00:52:47奇襲の人である。
00:52:48若い頃の、
00:52:49もつむねみつ、
00:52:49これは、
00:52:50萩原信人さんの、
00:52:52研究がありますが、
00:52:53もう、
00:52:54すべて、
00:52:54龍馬の人柄、
00:52:55龍馬の思想、
00:52:56龍馬の世界観、
00:52:58全部が、
00:52:59むつむねみつは、
00:53:00龍馬にくっついていた。
00:53:02ご存知のように、
00:53:02むつむねみつは、
00:53:04明治、
00:53:04大正、
00:53:05昭和、
00:53:06現在と、
00:53:07日本の外務大臣は、
00:53:08ずいぶんいましたが、
00:53:10最大の外務大臣は、
00:53:12むつむねみつであるというのは、
00:53:13誰とも認めていることで、
00:53:15日本歴史そのものも認めている、
00:53:17不正室の外務大臣である。
00:53:19明治20年代までに、
00:53:21外務大臣した人ですが、
00:53:23肺病で、
00:53:24死んでしまいました。
00:53:25長崎時代に、
00:53:26龍馬の後ろにくっついていって、
00:53:28することが仕事だった。
00:53:29いろいろ、
00:53:30筆記もしたわけ。
00:53:31薩摩判定で、
00:53:32坂本龍馬が、
00:53:34西郷と対話しているのを、
00:53:36見ていたのは、
00:53:37秘書である、
00:53:39むつむねみつだ。
00:53:41龍馬が柱に寄りかかっておりまして、
00:53:44それは忘れたのではなくて、
00:53:47私は役人になろうと思ったことがありました。
00:53:51私は、
00:53:52だから嫌だ。
00:53:54これは、
00:53:56西郷もさすがに腹疑論だと。
00:53:58この、
00:53:59むつむねみつは、
00:54:00薩摩判嫌いだった。
00:54:02そして、
00:54:03西郷もあまり好きではなかった。
00:54:06だから、
00:54:07こんな小気味、
00:54:08思い出はむつむねみつには、
00:54:10なかったわけである。
00:54:11西郷も、
00:54:11花じろんだと。
00:54:13無欲ということである。
00:54:16西郷は、
00:54:16もろん、
00:54:17新政府の、
00:54:19偉大なる指導者になるつもりですから、
00:54:22花じろみまして、
00:54:23君は、
00:54:24じゃあ、
00:54:25何をするんだと。
00:54:26言ったら、
00:54:27世界の、
00:54:28開援隊でも、
00:54:29やりましょうわいと。
00:54:30こう、
00:54:30言ったてにですね、
00:54:32世界の開援隊なら、
00:54:34世界貿易をしますという意味である。
00:54:37貿易家になりますと。
00:54:38龍馬という人はですね、
00:54:41ちょっとその、
00:54:43一角離れてたというのと、
00:54:45龍馬が、
00:54:45書き終わりまして、
00:54:47終わってから気がついたんですけどね。
00:54:49書いてる時は、
00:54:50それはあまり気がつかなかった。
00:54:52終わってから気がついたのはですね、
00:54:54情けないことなんですけども、
00:54:55明治維新という革命も、
00:54:58彼にとって片手間だったということである。
00:55:02龍馬が思うのはですね、
00:55:04長崎にいたわけである。
00:55:05長崎にいて、
00:55:08彼は、
00:55:09勝貝州から習った、
00:55:11反戦の運用についての、
00:55:14技術を磨いておったわけである。
00:55:16まあ、
00:55:16仲間と一緒に、
00:55:18浪人結社を作りまして、
00:55:20ご存知のように、
00:55:21最初は、
00:55:22亀山という丘にありましたから、
00:55:24亀山社中。
00:55:26それから、
00:55:27その次は、
00:55:27海塩帯という名前に変えたんですけども、
00:55:30要するに、
00:55:31小船帯を作ることだった。
00:55:34だから、
00:55:35海塩帯というのは、
00:55:36株式会社であると、
00:55:38考えてもいいわけである。
00:55:39そして株主は、
00:55:41はっきりと、
00:55:41龍馬勝貝州の紹介で、
00:55:43さっき出た越前の松平新学から、
00:55:46お金をもらいに行ってます。
00:55:48それは株主である。
00:55:49そして、
00:55:49薩摩川のさっき出た、
00:55:51小松立脇とこに行って、
00:55:54最後高森をも巻き込んで、
00:55:57炎上費は出てます。
00:55:58これも株主である。
00:56:01だから、
00:56:02土佐藩としてはですね、
00:56:03土佐の浪人が多い、
00:56:05自分のところの浪人が多いもんですから、
00:56:07これを見捨てておくとですね、
00:56:10恥じになるわけです。
00:56:11ですから、
00:56:12土佐藩は非常に保守的な藩でしたが、
00:56:15これを金を出すわけです。
00:56:18金を出すと、
00:56:19後になって、
00:56:22あれはうちの藩のもんだということは言えるわけですから。
00:56:26だけど、
00:56:26龍はもうしたたかなもんです。
00:56:29土佐藩の支配は受けないと。
00:56:31お金をもらうのは受けない。
00:56:32で、この土佐藩からはですね、
00:56:35会計係が一人来てたわけです。
00:56:38会計係は秋の方の貧しい、
00:56:42ごしみ分も失ってしまった、
00:56:46だけど大将だけは指しておる青年で、
00:56:49岩崎八太郎であります。
00:56:51岩崎八太郎は後藤正二郎にかえがらえてですね、
00:56:55資金代表としてですね、
00:56:57資本代表として、
00:56:59引けと。
00:56:59で、
00:57:00で、
00:57:00海援隊の会計係してた。
00:57:02だけど土佐藩市ではない。
00:57:03海援隊医師ではない。
00:57:05ここら辺も龍馬がきちっとしてます。
00:57:07だから、
00:57:08岩崎八太郎をもって、
00:57:10海援隊医師とはしてないわけです。
00:57:12で、
00:57:12何かのことがあると、
00:57:13岩崎八太郎、
00:57:15小づいてたような感じである。
00:57:17いじめてたような。
00:57:18岩崎八太郎は坂本龍馬が好きではなかった。
00:57:21小づかれてて、
00:57:22その人が好きだというのは、
00:57:24まずい人だけであって、
00:57:26岩崎八太郎はやはり、
00:57:28これはもう男の中の男である。
00:57:30ですから、
00:57:31坂本龍馬が小づいてくるので、
00:57:33好かなかった。
00:57:35これの恨みは、
00:57:37晴らしたわけですな。
00:57:38有名なことでありますが、
00:57:40岩崎八太郎の船と龍馬が、
00:57:43自らが乗って運用しておった、
00:57:46イロハマルというのは衝突しまして、
00:57:48岩崎八太郎は起船であります。
00:57:49大きな起船でありまして、
00:57:51イロハマルは小さな帆船であります。
00:57:54ストライカーで衝突して、
00:57:55イロハマルが沈んだ。
00:57:57この場合、
00:57:58もう裁判になることを知っている。
00:58:00非常に近代的な頭脳であります。
00:58:02裁判になることを知っている。
00:58:03こんなことは考えられないんですけど、
00:58:05長崎でですね、
00:58:07海事裁判が来られているのを見たはずですね。
00:58:09海事裁判員はご存知のように、
00:58:11長崎の港に入っていて、
00:58:13船同士のトラブルが起こった時に、
00:58:15船長たちが集まって、
00:58:17臨時の法廷を開くわけである。
00:58:19これは、
00:58:20全近代的な場合での、
00:58:22臨時的な監修法である。
00:58:24海事、
00:58:25海のことに関しては、
00:58:27船長たちが、
00:58:28オランダ船もいれば、
00:58:30スペイン船も、
00:58:31スペインは生きていませんが、
00:58:32英国船もおれば、
00:58:33アメリカ船もおれば、
00:58:35何船もいると。
00:58:36それぞれのキャプテンが集まって、
00:58:38この問題を裁判する。
00:58:41それは、
00:58:41両方はああいうことが好きだから、
00:58:42見てたと思うんですが、
00:58:44だからこそ、
00:58:45承知が早かったと思うんですが、
00:58:47沈みゆく自分のイロハウハウルを捨てるや否や、
00:58:50向こうに登って、
00:58:51最初に押さえたのは、
00:58:52航海日誌であります。
00:58:54これは飛び込んで、
00:58:55最初に押さえたのは、
00:58:56航海日誌を押さえて、
00:58:58原告として、
00:58:59これを戦ってやるという、
00:59:00頭ですね。
00:59:01それは近代的な法社会、
00:59:04つまり法社会が出来上がるのは、
00:59:06実際は明治21、
00:59:082年以降ですから、
00:59:10それまでは、
00:59:11監修法に近い、
00:59:13江戸時代の延長のような、
00:59:15法律社会ですが、
00:59:17近代的な法社会の中に、
00:59:21生まれてきたような、
00:59:22もっと経験したような、
00:59:23行動であります。
00:59:24公開日誌を押さえることで、
00:59:27証拠、
00:59:28その時に、
00:59:29看板司官が立ってたから、
00:59:31看板司官が立ってなかったら、
00:59:33決定的に既視犯の負けである。
00:59:35立ってないわ。
00:59:37そして、
00:59:37その、
00:59:38原刀といいますか、
00:59:39灯火ですね、
00:59:41いろんな法規通りになってたから、
00:59:43まあ、
00:59:43いろんなことでですね、
00:59:45長崎で結局、
00:59:46開示裁判が開かれて、
00:59:47開示裁判といって、
00:59:48近代的な裁判じゃありませんが、
00:59:50まあ、
00:59:50形式上の、
00:59:51幕府体制の中での、
00:59:54紛争処理が行われてですね、
00:59:56結局既視犯負けて、
00:59:58五千両出すと、
01:00:00確か五千両だったと思います。
01:00:02だから、
01:00:02龍馬を殺したのは、
01:00:03既視犯の、
01:00:05家老の、
01:00:05三浦なちがしだという説まであったぐらいに、
01:00:08既視犯をいじめ抜いたわけです。
01:00:11いじめ抜いてですね、
01:00:12五千両は、
01:00:14龍馬が死んでから、
01:00:15降りた。
01:00:17これ、
01:00:18誰の懐に入ったかというと、
01:00:19岩崎八太郎の懐に入った。
01:00:22いや、
01:00:22それは汚職じゃないんですよ。
01:00:24岩崎八太郎という人は、
01:00:25賢い人ですから、
01:00:26そして、
01:00:27明治維新になりまして、
01:00:29明治四年に、
01:00:31廃藩地権でしたね。
01:00:33明治二年に、
01:00:34藩籍奉還でしたね。
01:00:35要するに、
01:00:37まだ明治四年まで、
01:00:38藩があったわけです。
01:00:39土佐藩というものは、
01:00:40明治四年まであったんです。
01:00:43明治の土佐藩として、
01:00:44フランスから、
01:00:46貴兵の教官も呼んでるんです。
01:00:48土佐藩に貴兵がありまして、
01:00:50貴兵の教官も呼んでて、
01:00:52その人がステーキを食べたいって言うんで、
01:00:54貴兵の叩きが出来上がったと言われているのは、
01:00:59僕は割合信じている方です。
01:01:01あれは、
01:01:04日本の料理の系列にありませんでですね、
01:01:08墨田原の中に、
01:01:10カツの生をステーキ切りにして入れて、
01:01:14墨田原にちょっと塩かなんか、
01:01:16水かなんかぶっかけて、
01:01:18煙で焼いていくわけである。
01:01:20煙で焼いていくわけでありますから、
01:01:23ちょっと西洋料理の料理法の系統で、
01:01:27他の日本料理の発想や系統にはないので、
01:01:31その話は信ずべきであると。
01:01:35明治4年までの間に、
01:01:37ここにフランス人教官もいた時期があって、
01:01:40ところがどの藩もそうでありましたが、
01:01:43土佐藩は特にもう財政赤字で、
01:01:46もう雪だるまである。
01:01:48そしてその負債がもう累積している。
01:01:53長春藩はいろんな財政上手がいまして、
01:01:57維新の時でもまだ健康な財政でした。
01:02:00薩摩藩は天見大島を作して、
01:02:05これだとほとんど先輩的に売って、
01:02:09それから琉球貿易という秘密貿易をやっておりましたもんですから、
01:02:14これでもってほぼ財政が健全でした。
01:02:18土佐というのはもう本当に殺菌まみれでした。
01:02:21何にもないところですから。
01:02:24そのために後藤翔二郎は、
01:02:27その財務処理をしなきゃいけない。
01:02:29失勢過労でありますから。
01:02:32それで岩崎八太郎の会計能力を見込んでおりましたが、
01:02:36岩崎がある時に、
01:02:37借金を全部私が背負うと。
01:02:39岩崎の借金を全部私が背負うと。
01:02:43魅力的じゃないですか。
01:02:44一人の人間にですね。
01:02:46その代わり、大阪の倉屋敷。
01:02:49これは西区、西長堀というところにありましてですね。
01:02:56大阪の倉屋敷がありました。
01:02:57それを俺にくれと。
01:03:00それから、両馬が勝ち取った5000両の金もくれと。
01:03:05それから土佐藩の持っている旗船、
01:03:08藩船も俺にくれと。
01:03:10それをくれたら、
01:03:12これで両馬が構想していた貿易業はできるわけです。
01:03:155000両の資金と、
01:03:17それから事務所、オフィスは土佐藩の大阪藩邸であります。
01:03:22そして藩が幕末に西洋から、
01:03:26随分、長崎系譜で旗船を買っています。
01:03:29旗船及び藩船を、西洋式の藩船を買っています。
01:03:33これだけあればですね、貿易ができるわけ。
01:03:36その代わり、それで生み出した金で、
01:03:39藩の負債を俺が払うと。
01:03:42俺が借金ということにしてくれと。
01:03:45これはすごい革命の時しか生まれない取引ですね。
01:03:49それは三菱の誕生になるわけであります。
01:03:51偉大なる三菱はですね、
01:03:54この瞬間に誕生したと言っているんですが、
01:03:57その後藤正弘はわざっぱな人ですから、
01:04:00そんなにいいことない、頼むと言って、
01:04:02大阪藩邸を、およびその他を、
01:04:04龍馬が得た5000両、
01:04:06もう龍馬は亡き人になっていますが、
01:04:09あげてしまった。
01:04:10大阪のこの倉屋敷、最初の八崎亜太郎のオフィスは、
01:04:17三菱とまだ名乗っていなくて、
01:04:20津久保商会という変な名前があっていました。
01:04:22九十九商会。
01:04:24それを津久保と呼んで、津久保商会。
01:04:27それのオフィスは大阪の倉屋敷。
01:04:29これ大きいところなんですよ。
01:04:31この敷地が僕はよくわかりませんがですね、
01:04:34大阪の市内にあって、
01:04:37派邸の中だけで4000坪ぐらいあるんじゃないでしょうか。
01:04:41そしてその派邸の一部がですね、
01:04:45今では見ることができるんです。
01:04:46一部、つまり派邸には必ず、
01:04:49屋敷神のありますですね。
01:04:51これは屋敷神というのはありましてですね、
01:04:55江戸の場合でも、
01:04:56江戸派邸は、
01:04:58藩によってもちゃんと決まっているんです。
01:05:00有馬の殿様は水天宮を祀っているんです。
01:05:02だから今でも東京で、
01:05:04藩邸はなくなったけど水天宮だけ生きている。
01:05:07それから、
01:05:08細川熊本の殿様は、
01:05:10清聴講様、
01:05:11清場様と言っているんです。
01:05:13だから今でも東京で清聴講座かとか、
01:05:17いう地名がありますが、
01:05:20藩邸はなくなったけども、
01:05:22地名が残るか、
01:05:23ほこらが残るか、
01:05:25大阪の登山はお稲荷さんが屋敷神でした。
01:05:29ですから大阪もお稲荷さんです。
01:05:31そこはお稲荷さんに桜がいっぱい植えてありましてですね、
01:05:36昔から江戸期を通じて、
01:05:38戸佐藩邸の桜は見事でですね、
01:05:41特に夜桜が見事でですね、
01:05:44桜の季節になると、
01:05:45藩邸は夜開放するわけである。
01:05:49戸佐の夜桜というのは、
01:05:50大阪の名所の一つでした。
01:05:53夜桜見物に、
01:05:54その日だけは藩邸の中に町人が入れるわけで、
01:05:57それはもう大変な数の人間が行くわけです。
01:06:01娯楽のない頃ですから、
01:06:031万人ぐらいはもう軽く行くわけであります。
01:06:06その1万人がどっと入れるわけでないですが、
01:06:08相当な広い境内であります。
01:06:12それがですね、
01:06:13岩崎太郎のものになってですね、
01:06:15彼は社名を三菱として、
01:06:19社長を三菱にするのは、
01:06:21戸佐藩の山内家の文章が、
01:06:25三葉柏であってですね、
01:06:29三葉柏を単純化したら、
01:06:32三菱のあの形になるわけです。
01:06:35かえって電気冷蔵庫かなんか、
01:06:37ちょっとご覧になればわかると思うんですが、
01:06:39ちょうど必死ではありますけれども、
01:06:42柏を非常に気化学化したら、
01:06:45そうなんだと。
01:06:46だから、やはり、
01:06:48戸佐藩の財産が基礎だったというイメージを、
01:06:52岩崎太郎は、
01:06:53その文章に残したんだろうと思います。
01:06:55で、実を言いますとですね、
01:06:58昭和30年から、
01:07:023年間以内ほどそこに住んでいたことある。
01:07:05大阪が焼けてしまいまして、
01:07:07空襲になった後、
01:07:09その判定の辞書を、
01:07:11住宅公団が買い取りまして、
01:07:14住宅公団が最初の11階建てのアパートを作ったんです。
01:07:19おそらく大きなアパートですから、
01:07:21大阪の人はネーミングが、
01:07:24どちらかというと下品で、
01:07:26素物的なネーミングをつけるんですが、
01:07:29万物アパートという略称でしたが、
01:07:32私はその11階建ての10階にいたわけである。
01:07:3710階にいましてですね、
01:07:39さっき言った私の後輩の渡辺志郎という、
01:07:45土佐の、そして土佐高校の出身で、
01:07:48海軍兵学校に途中で辞めて、
01:07:50別の学校行って、
01:07:51新聞社に入ってきたのが、
01:07:53坂本霊をもらえてくださいよと言った部屋は、
01:07:56その部屋である。
01:07:57私は土佐判定の上に乗っかってたわけである。
01:08:03その10階ですから、
01:08:05下を見下ろしますと、
01:08:07土佐の稲荷が丸見えであります。
01:08:10散歩の時に、
01:08:11土佐の稲荷の官律さんが、
01:08:13ちょっと声をかけてくれます。
01:08:15その土佐の稲荷の官律さんは、
01:08:18官主の専業者かと思って、
01:08:20あなたは代々の官主ですか。
01:08:23いや、違います。
01:08:23私は三菱の社員です。
01:08:26三菱の神社ですからね。
01:08:29三菱の辞書が神社になる。
01:08:31昔通り土佐の稲荷として、
01:08:33判定時代のまま、
01:08:35他に利用することなしに、
01:08:37土佐の稲荷として保護しているような、
01:08:38三菱の偉さである。
01:08:41そこに三菱の定年社員で、
01:08:43官主さん向きの人を、
01:08:46ああ、そうですかというようなことが、
01:08:49全部私の、
01:08:50つまり刺激物になったわけだ。
01:08:53自分は土佐判定の上に乗っかっているんだ、
01:08:56ということが、
01:08:57初めから知っていたわけではないんです。
01:08:58大阪の江戸時代の地図を眺めてみると、
01:09:02自分の住んでいる町はどうだったかな、
01:09:04と思ったら、
01:09:05渡辺志郎が、
01:09:07坂本龍馬の、
01:09:08帰ってくださいと言った時には、
01:09:10私は生返事で、
01:09:11全く気がなかったの。
01:09:13ところが、地図を見れば、
01:09:15土佐判定が出てきて、
01:09:16これは今、
01:09:17俺がその上にいるんだと。
01:09:19そしてこう眺めて、
01:09:21眺め下ろしてみると、
01:09:22土佐判定が見えるわけである。
01:09:24そしてその、
01:09:26散歩してみると、
01:09:27三菱の社員であります、
01:09:28官主さん。
01:09:29で、
01:09:30岩崎八太郎伝っていうのを持ってまして、
01:09:32官主さんが、
01:09:34じゃあそれちょっと貸してくださいと言って、
01:09:36岩崎八太郎伝は、
01:09:38何冊もあるかもしれませんが、
01:09:39非常に古いやつを見せてくれて、
01:09:41よくできた伝記であります。
01:09:43それが、
01:09:44どういう経路で、
01:09:46その、
01:09:48土佐判の判定が三菱の岩崎八太郎のものになったか、
01:09:51ということが書いてあるわけ。
01:09:53それは、
01:09:53五千両という話が出ているわけで、
01:09:55それは龍馬の賠償金であります。
01:09:58ああ、
01:09:59そうかと。
01:09:59そして龍馬が、
01:10:01世界の海援隊でもやりますわい、
01:10:03と言ったことは、
01:10:04岩崎八太郎によって、
01:10:06実現されたわけで、
01:10:07だから、
01:10:10人間の運命というのは、
01:10:11面白いもんだと思うんであります。
01:10:14そして、
01:10:14岩崎八太郎と龍馬の関係は、
01:10:17藩の会計係である、
01:10:18渋い顔をした岩崎八太郎が、
01:10:21龍馬がおそらく、
01:10:22今から過月に飲みに行こうと思って、
01:10:25岩崎金出せと言ったら、
01:10:27金出さなかったんでしょうな。
01:10:29龍馬のような人に金出していたら、
01:10:31キリがありませんから、
01:10:33そうすると龍馬は、
01:10:34きっと小づいたんでしょうな。
01:10:35まあ、
01:10:37そういうことがあったりして、
01:10:39の中であると。
01:10:40つまり、
01:10:41逆縁に近い、
01:10:43同じ飯を食って、
01:10:44釜の飯を食ってるけれども、
01:10:45立場が、
01:10:46違うんで、
01:10:48一種の逆縁であります。
01:10:50しかしながら、
01:10:50その逆縁のものの、
01:10:52岩崎八太郎が、
01:10:54その、
01:10:55偶然よりも必然的な形で、
01:10:57龍馬の思想を見てますから、
01:11:00龍馬の思想を見てますから、
01:11:01龍馬のようなことをやろうとして、
01:11:03津久保商会を起こし、
01:11:04三菱商会を起こしたわけであって、
01:11:08貿易会社を起こしたわけであって、
01:11:09かつ、
01:11:10長崎に造船場を置いたわけで、
01:11:12これは龍馬の理想でありました。
01:11:15海運業をやる限りは、
01:11:16造船業、
01:11:17および船舶補修の設備、
01:11:20当然の付属したものである。
01:11:22ですから、
01:11:22それを全部、
01:11:23岩崎八太郎が実現したわけである。
01:11:26だから、
01:11:26龍馬というのは、
01:11:27師匠だったわけですね。
01:11:29そういうことに、
01:11:32その、
01:11:32たまたま、
01:11:33岩崎八太郎がいて、
01:11:35龍馬もかつては来たことがあるはずの、
01:11:38大阪藩邸の上に、
01:11:39住んでたもんですから、
01:11:41龍馬が行くというのが、
01:11:43できたというような感じであります。
01:11:44私の長い話は、
01:11:47そういうことで終わります。