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00:00軍隊の言語というのは、明治18年頃にできたと思います。
00:07メッケルというドイツの優秀な参謀少佐が来て、日本に参謀本部を作るために来て、
00:15同時に参謀本部の重要な機関である陸軍大学校を作るために来て、日本が招いたわけです。
00:23メッケルというのは秀才ですが、細々と教えた中に、言語を作れと。
00:33言語を作らなければ、軍隊同士の上下及び左右の意思疎通ができない。
00:41そしてその言語は非常に簡潔で、意味を取り違えない。
00:46一切、この文脈だとこう解釈できるとか、この単語だとこういう意味もあるというような、
00:55そういう口語解釈で困難な言語は使うの。
01:01軍隊の言語を作れと。
01:04それがいいんだというのでできた言葉であります。
01:07ですから、軍隊文書というのは私は今でも書けますが、命令書でも独特であります。
01:18例えば必要があればというのを要すれば、
01:21それから何々、正体はどこそこにおいて敵と交戦中だというのを、
01:29交戦しあり、しつつありというのをしありといった、特殊な言葉ですが、
01:41それをだいたい明治20年ぐらいに作り上げたんだろうと。
01:48そしてその、明治期の、私はその坂の上の雲を書いたときの体験で言いますと、
02:03明治期の軍人及び前線及び後方で出された文書というものは非常に正確なものでした。
02:12その余分なお砂糖味、あるいは余計な塩味のない、非常に、何と言いますか、
02:26これならこれとものそのものを表す文章でした。
02:32そして文脈でした。
02:34そういうものが軍隊用語なんですけれども、
02:38それが軍隊という特別な社会の中で使われてきて、
02:46そして日本の軍人というものは、
02:50正規の軍人というものは士官学校で出ます。
02:54より正規な軍人というのは幼年学校から入ります。
02:58そしてさらに優れた軍人は陸軍大学校に入って指導者になるわけです。
03:03その指導者の文書は、例えば戦時中、東郷秀樹さんが、
03:11あの人は変わった人ですね、総理大臣と陸軍大臣と参謀総長を見つかねた。
03:21見つかねたということは、これはいかに国慶かということをここで説明する意図間がありませんが、
03:28とにかく絶対権力を握ったわけなんですが、
03:31だけど誰も偉い人だと思っていないわけであります。
03:34あれは単に士官学校では優秀な成績、
03:38陸大では一番か二番、その後カミソリと東郷と言われた。
03:42そんなに、だけど学校成績だけなんです。
03:47で、例えばインパー、話が飛んでいきますけれども、
03:52インパール作戦というのは、もう考えられないような作戦をやったことがなく、
03:56東郷さんの頃にですね、
04:00そしたら、それは食料も兵器もないのにやったわけなんですが、
04:07ついにやることになりましたと言って、市谷の参謀本部から東郷秀樹氏の官邸に使いがの服館が来て、
04:20そしたらお風呂に入ったんですね。
04:22そしたら東郷さんがお風呂の中から、
04:24それは何々は大丈夫か、つまり食料は大丈夫か、何々は大丈夫か、何々は大丈夫か、
04:305つか6つ、つまり修裁ですから、学校修裁ですから、
04:37士官学校及び陸軍大学校で教えられた通り、
04:40作戦を始めるときには何々は大丈夫かと言って、
04:44当の過剰があるとしたら、過剰書き通りにこうやーっと言ったら、
04:49復活は大丈夫であります。
04:50それで日本は、それのためのみで滅んだわけではありませんけれども、
04:56それのためにインパールというものは、
04:58インサンナ、もとんど生きている人が帰ってきた人は、
05:03もう一人わずかな、白骨のカイドウと言いますか、
05:08白い骨のカイドウと言いますか、
05:13そして今でもジャングルで、
05:15死者たちは眠っております。
05:18それはもう、つるつるつるっとこの過剰書きで行って、
05:22そして復活も修裁ですから、大丈夫であります。
05:25これ全部言語の世界で、言語の世界でありますけど、
05:28何の子の実感も持っていない。
05:31言語というものは、
05:33年度の高い正直さというのは、
05:35実感の中から出なきゃいけない。
05:37そして実感の中から、実感というのはリアリズムに即しなきゃいけない。
05:42空想なことをしゃべっても、
05:43誰も聞いてくれないんですけれども、
05:46しかし、権力の社会に入りますと、
05:49空想なことをしゃべっても、聞いてくれるんですね。
05:51こうして言うと、さらには権力の頂点に行きますと、
05:5710か条を挙げましてですね、
06:00なんなん大丈夫かと言ったら、
06:02その復活も心得たもので、大丈夫であります。
06:04これはもう、ほとんど芝居、
06:07現実感のない芝居であります。
06:09光るに、英米蘭諸国は、
06:15この帝国の当然なる自衛的措置を向かうに、
06:24猜疑と危惧な念頭を持ってし、
06:28資産統決を行い、
06:32事実上、全面的金融により、
06:38帝国を目標として経済封鎖を実施いたしまするとともに、
06:47その軍事的脅威を急速度に増加してまいったのであります。
06:55つまり、私は中学の何年生かでした。
07:08何年生?中学じゃなくて、もっと上でしたね。
07:15東条さんの国民に対する大演説をやっているんですね。
07:21漢語をやたらと並べ、
07:23力みに返った発音でもってやっているんですね。
07:41当時、ラジオは大抵の家であったと思いますけれども、
07:45しかし、来家もあって、
07:46ラジオ屋さんというのは将来のスターでした。
07:49スターというか、
07:50一つのある意味を持った場所でした。
07:56そこで、覚醒器が付けられて、
07:58割合、お相撲ならお相撲の実況放送をみんなたかっているんですね。
08:04東条さんの話をみんな聞いているんですね。
08:07最後に、終わってから、
08:10全くの大工さんだったのか、社官さんだったのか忘れましたが、
08:15あるいは他の商売の人だったのか、
08:18普通の人である、普通のおじさんが、
08:20青かいなと、最後。
08:24つまり、庶民というか、我々はですね、
08:29いかに力みに返って、
08:31偉い人が演説してようと、
08:34いかに難しい漢字を、漢語を使ってようと、
08:37それは何の実感も空想なものだということを知っているわけですね。
08:43頭とハートで、
08:45言語はハートに入るか、頭に入るかであります。
08:51あるいはどっちかかで、
08:53両方で感じておるわけで、
08:57破壊なと。
08:58つまり、
09:02もはや明治後70何年たってですね、
09:05国民教育は行き届きすぎてですね、
09:12国語理解力というものは、
09:15第一期の頂点に達した。
09:18ですから、東条さんのラジオ放送の言葉は、
09:24よく理解できておるわけです。
09:26これが、私どもが、
09:28もし江戸時代の百姓で、
09:31隣村も行ったことがないと。
09:33あるいは、隣村は一生に2階ぐらいは行くかもしれないという状況の中での人間ならばですね、
09:43東条さんの演説なんて何を言っているのか分かりませんよね。
09:47お念仏のようなものであります。
09:52だけど、お念仏のようなもんだという、
09:54お念仏というか、お経のようなもんだという、
09:56お経のようなもんだという伝統はまたあるものですからやらないんですね。
10:04今でも偉い人が、地震災か何かで読み上げている。
10:11なんとか知事さんがまた大読で読み上げている。
10:14あれ、みんなお経なんでしょうね。
10:16みなさん、早く終わらないかなと思って、こうやってうなだれていますけれども、
10:20お経で慣れているものですから、こうやって法事か何かでみんな慣れているものですから、
10:25お経というのは、あれは中国語なんですね。
10:29そして元はインド語だったはずですが、中国語をそのまま読んでいるわけです。
10:35それをワンワンワンワン。
10:37お坊さんが、その大抵の家は毎月1回か2回、お坊さんがいらっしゃいます。
10:43そしてワンワンワンワン。
10:44これは、もしこのワンワンがなければですね、
10:48先祖に対して供養が足りないと思って、
10:51僕はきっとそのね、この月はお坊さん来なかったなと思って、
10:56申し訳ないなと僕らは思いますですね。
11:00ワンワンワンに慣れているわけでありますから。
11:03ですから、地震災の言葉、あるいは会社の重要な記念、
11:10会社創立30周年記念、そしてその各界の有力な方がいらっしゃって、
11:16それの大読者がいらっしゃって、そしてこのマキガビをおぼむろに開いてお読みになる。
11:23この言語、この言語の中に非常に魅力を感じ、興奮しですね、
11:29明日への生きる元気が出ましたという話聞いたことないですね。
11:34その言語というものは、その不特定多数、あるいは特定多数に対して発せられたときには、
11:43魅力的でなければならない。元気が出なければならない。
11:47ああ、嬉しいなと思わなければならない。
11:49つまり言語というのは、自分たちが赤ちゃんであったときから母親の言語を通して、
11:55宇宙を感じているというか、宇宙の輝きとか宇宙のたくまざる音楽、
12:05あるいは宇宙そのものの一番重要なものを音声と言語として感じているわけですから、
12:15言語への憧れ、言語によって気持ちが元気になる、震い立つということには、相当、つまりちゃんと体にできておるわけであります。
12:26できておるのにもかかわらず、我々の国の言語はですね、
12:31どうしても、例えば、ポンと話が変わりますが、イギリスからチャールズ皇太子がやってきて、非常にグモラスな話を、
12:40方々でスピーチを、あるいは即興でされた。それは全部面白かった。
12:47らしい。私どもは新聞、テレビ、その他で知るのみですが、それを通してでも面白かった。
12:54つまり彼は練度の高い正直さを持っており、練度の高い正直さを持っておりますと、ユーモアになる。
13:05そういう訓練が、訓練というかな、こうなると、しきたり、習慣、慣習、伝統、文化になりますが、
13:16我々の国にはまだ、まだなんでしょうね。
13:22ただ、私が言いたかったのは昭和元年から20年までの間で、たくさん使われた言語。
13:30それは特に、軍が日本を支配し始めたのは昭和12年頃からでしょう。
13:37そして最も末期は、昭和12年頃はまだましでした。
13:41末期は昭和18年以後の2年間の空想を通り越して、言語の来世を、言語というものはそういう場合に使うべきではないという表現がふんだん出て、
13:59そして、せっかく言語教育を明治後70数年かかって行った国民の優れた日本語教育をマイナスの方角に持って行って、
14:21しかも言語についてのなんとなく不信感、言語は不信なものではないんです。
14:29言語というものは不信も何もないんです。言語というものは人間の命なんです。
14:35それに対する不信の思いを持たせたというのは、昭和元年から20年、少なくとも濃密に言えば昭和18年から20年までの
14:47大体に分が増やした言語表現によるんじゃないかと思います。